面白いよな~
前にEVAのことを書いてその心理描写とかそこから出て来る内面の問題や解決策を考察・模索したり……兎に角参考になった
でも庵野監督はこうも言って居た
「本当の意味でのオリジナルは存在しない……唯一の例外は【自分の人生そのもの】」
「だからそれをフィルムの投影することが自分の中のオリジナル」
「今まで【死んでなかっただけの】僕が……」
本来、例えば僕も物凄く憔悴して居る時、他に何も出来なくて、しなくて、それを「ただ【生きて居るだけの】情けない人間」とか言うんだけど、彼は「死んでないだけの」と表現したんですよ
積極的に生きる、生気というか覇気もなく淡々と過ぎる一日を無味乾燥に何も感じずに生きていく……それは同じだろうけれど、ニュアンスは同じでも、
・ただ生きてるだけ
と、
・ただ死んでないだけ
では表現手法だけでなくその内面が全然違うんですよね
そんな彼が思い立ち、作品を作った
それがEVAであり、本当のオリジナルはなく、唯一あるとしたらそれは自分の人生だから「自分を投影したい」ということになった……だからEVAはああも「成長しない、ハッキリしないウジウジした主人公」が最後まで居続け、でもそれが共感を呼ぶこともあった
アニメの方は奇しくもバブル崩壊が始まった時期に重なるからね……
その閉塞感がある意味「共感」を読んだのかも知れない
だけど彼はとても自分に自信がなく、そこで宗教や哲学や科学等の無数の情報(知恵)をEVAに取り入れた
それがEVA、庵野氏が「衒学的だ」と呼ばれる(呼ばれた)理由なんですけど、結局彼はオリジナル性を人生自体に見付けるしかなく、アニメとしての原作・脚本にそれを見い出せないからいざというときにそういう情報を援用するしかなく、所謂「理論武装」した訳ですよ
でもね?!
膨大な情報を集めるだけでも大変だし、それを結び付けるのだって、あそこまで伏線張って、ギミックな展開をさせて「惹き付けさせる」ことって、これは矢張り天才じゃないと出来ないと思うんですよ!
そして、それとは違い「成長し、人間の汚さも含めて生きることも死ぬことも徹底的にリアリティを追求したガンダム」の作者である富野由悠季氏は諸事情で鬱病になって居ました
彼はEVAに対してこう言います
「
本来、たとえば今話題になっている『エヴァンゲリオン』なんていうアニメは作品じゃないはずなんだと。
だけどそういうものを俎上に上げてしまう。そういうカルチャー論、サブカルチャー論って言葉で何でも認めていく。それはサブカルチャーの側の問題というより、すでに評論する側も全てデジタル化している。これは、かなり深刻でやばいぞって思います。
と言っても、オンエアの一本しか見れなかったです。
それ以上は見られなかった。
エヴァが、僕みたいな年代とか、僕みたいな感覚を持つ人間から見た時に、あのキャラクターは生きてるキャラクターではない、と感じます。
ドラマは、生気ある人によって描かれるはずなのに、その根本を無視している。かくも腺病質なキャラクターとメカニックで、ドラマらしいものを描けるというのは、頭の中で考えていることだけを描いていることで、短絡的に言えば、電脳的だと。
セックスにしたって生きているから出きることでしょ?その境界線を分かっていない年代、つまり、ビデオとかインターネット上のオ○ン○(僕註:女性器です)見てセンズリかいているだけで、生のセックスに興味を持てない、本物の女性を怖がる病理現象があるだけで、さっき行った『死ぬこと』が実感出来ないっていうことが一緒になった感性の人々の実在を見せつけられただけで、そう、あれはカルテに見えるんですね。
」
とね
EVAのメカニックが何故ああかはきちんと理由があるんだけど、富野氏は逆にこれを見て、
・このままじゃいけない
と思ったんです
自分が鬱状態にある
何かしらの発信力があるクリエーターとして、そして影響力がある人間として、この様な「リアリティがなく病的な主人公が社会現象を起こすと世の中がおかしい方向に行く」と危惧したんです
その結果、新訳Ζガンダムが生まれました
オリジナルのΖガンダムは、カミーユが精神崩壊せざるを得なかったと富野氏は言って居ます
「あれだけの人間の思念を感じ、受け取り、それによって凄まじい力を手に入れた……それは彼が本来の精神的キャパシティを超えないと成し得ない筈で、だからこそ精神崩壊させた」とね
ここに目を付けたんです
実際カミーユはZZでは崩壊を続けながらも完全に「逝っちゃってる」状態じゃなかったんですが、「ハッピー・エンドはないのか?」とね
新訳Ζガンダムは、変えたい所だけ新たに作り、それ以外は全部オリジナルを使って居ます
最初は違和感がありました
大昔のデザインと今のデザインが混在してシーンが変わる時にスイッチする訳です……
でもそれを通じて富野氏が言いたかったことは、「何も変えなくても、本人の考え方と捉え方次第で幾らでも人は自在に捉え方をコントロール出来る」ということです
だから「修正してやる」とか残忍なシーンは新しいフィルムで置換し、でもそれだけでハッピー・エンドを迎えられるということを体現したんです
事実新訳Ζガンダムは全編通してストーリー的には全く違和感がありません
でもエンディングは本当にハッピー・エンドでカミーユが精神崩壊しないんです
ガンダムという固有名詞が出て来た時、その代名詞として必ず使われるのが「ニュータイプ」です
これにも変遷があるんですよね
・人は脳の30%しか使ってない(当時のデータ)
・残りは必ず何処かで開花するんじゃないか?
・それは宇宙に出た時だ
・宇宙に出て新しい環境に適応していく過程で開花する
ここまでが逆襲のシャア
だけど富野氏は考えを変えます
変えざるを得なかった、とも言うべきかな?
宇宙という広大な空間の中で生きていくには先ず空間認識力が発達しないとダメだけど、それは確かにモビルスーツを操縦して達成出来るかもだけど、そもそも環境設定としての「コロニー」が、
・重力を人工的に作り出して制御され
・緑も豊か
な訳で、宇宙への進出が棄民政策だったということを除けば正に「フロンティアだけど地球環境と何も変わって居ない」訳ですよ
コロニーに穴が開けば一発ですが、ある意味温室育ちな訳で、そんなことよりも「隕石落とし」の恐怖や過酷な(現在でも言える)自然の摂理に身を置いて居る方が余程人は進化するんじゃないか、とね(コロニーで地震が自然発生的に起きる訳はないでしょう?)
だからVガンダムで初めて地球生まれのニュータイプが生まれた
そして「赤ちゃん返り」とも言うべき現象をモチーフにした
更に富野氏は考えを進めるんです
それは、本人が親御さんの介護で相当疲れて居ること、お孫さんが居ないことに対し、「早く生まれた者は後の世代の為に無駄に長生きしない方が良い」と言ったりする訳です
これね、とてもじゃないけど今の僕は到底言えません
介護の苦労があってこそ言える、彼だから言えた言葉です
最近テレビでは緩和治療・ホスピスがようやく取り上げられましたが、矢張り介護する側される側、看取る側看取られる側、それぞれが大変なんです
それよりももっと前に、富野氏は大のガンダムファンのお医者さんから手紙を貰います
「
昔はガンダムが大好きであんなヒーローになりたいなんて英雄像ばかりを追い掛けてた
今は終末医療に携わり、果たして本当にそういったことが人間の本来的価値なのか
」
みたいなね
富野氏は本当の意味での結論を出します
そもそも「ニュータイプ」という概念は「人はどうやって自我を克服出来るか」ということであり、この自我というのはEVAで言うところの「自分を自分として成立させているモノ」ではなく「エゴそのもの」です
だからこそ「人と人が分かり合える」ということがニュータイプに関連して言われる訳です
その結論とは、
・人がより長生きしたいという気持ちこそが最大の自我
ということです
それは介護のこともあるでしょう
自分が長生きしても孫が見れないという絶望もあるでしょう
結局、ガンダムシリーズとして彼の中では「これで終わった」という「∀ガンダム」では、コールドスリープによってほぼ永遠に近い生命を得た人種とそうでない人間とが出て来て、最後は「自然死」を選ぶという結末で終わります
卵子凍結が話題になって居ます
勿論それは精子でも可能です
でも人間が生身の状態でコールドスリープをかけた時、本当に何年何十年何百年後にかける直前に戻るかという保証はありません
それにね、人類って他の動物と比べて物凄い進化して居ますけど、物凄い時間を掛けて進化した脳だって、未だにその「脳自体の寿命」は100年位じゃないですか?
どれだけ医学が発達して脳以外の部分が治せるようになっても、脳が指令を送らない限り臓器は機能しないし、思考能力も衰えます(ボケとかね)
中枢神経系は最も再生し難いから脳細胞自体の再生も難しい
素人だから断言はしませんが、再生医療は未分化の状態から分化した細胞へ変化させることであり、全く何もない状態から、つまり未分化の状態&それ単独で何かしらの細胞が作れるのでしょうか?
そうじゃないのなら、幾ら医学が発展したって老化が進んだ脳に未分化細胞を脳細胞にした所で限界があるんじゃないかな、と
生命は有限だからこそ進化出来た
不老不死であればその状態をよしとして進化なんて殆ど無いでしょう……
生きる、生き続けることが傲慢だとは思いません
病気で生きたいのに生きれない人には尚更です
でも何処かで、人間も自然の一部である以上、その摂理に抗うことなく生を全うするのもひとつの道だと思うのです
しかし一方で、そのエゴ故に人は、そう、人類は科学も医学も進化させて来ました
嘗ての難病も今は簡単に治るようになった……そういう病気も沢山あります
哲学者は形而上学的ながらも(若しくはその後の形而下学的実践主義哲学者も含めて)思考(生き方)における進化を示した
科学者や医学者は実践によって人の生命と文明に進化を示した
芸術家はその実践によって美意識への進化を示した
常に肯定的で断定的に言い切れる答えはない
傲慢だと言われても生きようとする人間が居れば、これも自分の運命だと受け入れる人間も居る
それぞれの願いの狭間で、当然どちらが正しいと言い「切れる」訳もなく、その両極に対するそれぞれの価値観や文化や科学と医学の進化がある訳です
終末医療・緩和医療、終末思想・未来思想……
本当の進化というのは、人が、そしてその集合体である人類が「懸命になって居る限り」、たとえ開花が遅くてもどの方向にもあり得るのだと思うのです
苦しみのない死に方へ
苦しむことも死ぬこともない生き方を
どちらを追い掛けるのも進化です
事実、フォローという形で冒頭部分に戻りますが、EVAを見てこれではダメだと影響を良い意味で受けて新訳Ζガンダムを作った富野氏も、旧劇を終えて実写に走っても戻って来た庵野監督も、互いが互いに影響を与え、受けながら、別の道を模索して居る様に見えながらアニメやその下地にある哲学(表現したい文化的価値観)に於いては共通の進化をして居るのです