彼女とはネットで知り合った。
メールのやりとりが楽しくて、住んでるところも近くて、何よりも感覚が合う。いつしか会おうということになった。
車好きの彼女はワイン色の聞いたことのない名前の車に乗って現れた。
馬車を連想させるようなレトロなフォルムの車の左側のドアが開き、輝く笑顔を見せながら彼女が降りてきた。色白の丸顔に艶のある長い髪が印象的な女の子だった。
「初めまして」
想像通りの声だった。会ったらまずこう言おうとシミュレーションしてたのに、全て消え去り頭の中は真っ白で、へらへら笑うだけでなかなか言葉を出せない。情けない奴だ。だけど、彼女がとても珍しい車に乗って来てくれたので、話題は作りやすかった。
「左ハンドルなんだね。中もなんかかわってるな。運転してもいい?」と彼女に言ってみた。彼女は「あ、分かりづらいかもしれないけど・・・いいよ」とキーを差し出した。
僕は運転席に乗り込み、エンジンをかける。ブルル・・・小気味よい音を立ててボディ全体にエンジンの振動が伝わる。運転席の横にレバー、ペダルは3つ。ミッションではあるようだけど、ギアがわからなかった。僕がきょろきょろしてると、彼女がニコニコしながら
「これがローで、引っ張るとセカンドね。で、一旦ニュートラルにしてから右上に動かすの。それがサードね」
優しく説明してくれた。なんだかとても楽しかった。
その日は朝から雲行きの怪しい天気で、持ちこたえていたのがついに大きな雨粒を落とした。
「やだ」
彼女は助手席に乗り込んできた。

僕たちは急接近した。
サービス業の彼女と営業の僕は休日が同じ日にならなかったから、彼女の休日の前夜を僕の家で過ごすのが暗黙の了解になった。
なぜか彼女が訪ねて来る日はいつも雨だったから、出かけるよりも家でゆっくりDVDを見たり、おしゃべりをして過ごす。僕たちの空間はそういうものだった。








9月のある日、僕はよくいくスナックへ彼女を連れて行こうと決めていた。彼女が来たらご飯を食べてから出かける。その日、天気予報は台風の接近を伝えていた。止めるか・・・と迷ったけど、前から決めていたし、そのつもりで他に何もプランはない。
彼女は台風のなかでも「いいじゃない。行こうよ」と言ってくれた。強い風にはあまり意味のない1本の傘に二人で入って身体を寄り添わせて歩いて行った。店のドアが開かなかった。
「ママ!来たよ!僕の彼女、連れてきたよ」
そういって中の様子を伺ったけど、反応がなかった。台風だから早めに店じまいして帰ったのだろう。
あきらめて僕たちも家に帰った。雨は更に強く窓に叩きつけるように降っていた。
「ね、泊まってもいいかな・・・雨すごいから運転いやなんだよね」
彼女が言った。彼女と一緒に過ごしたい気持ちはあったが、翌日に大事な会議のあった僕はその申し出を断ってしまった。
彼女が少し悲しそうにしたような気がした。
マンションの入口で僕たちは別れた。彼女の車は、テールランプが雨に滲んで輪郭を曖昧にしながら雨の中に姿を消した。


それから彼女とは会っていない。
彼女の休みの都合と僕の仕事の都合が合わなかったのだけど、会えない日が続いて自然にそのまま消えてしまった。
会えないとき彼女の休み前夜はいつも満天の星空だった。

彼女はナメクジだったのかもしれない。