つい先日、あるブロガーさんから「言葉の魔術師」などと世辞な賛辞を受け


ちょっと(かなり!)有頂天になり、筍のようにニョキニョキと鼻を延ばしているバグです。


誰かへし折ってください笑


(嘘です。打たれ弱いので小突く程度に留めておいてくださいww)




さて、数日前に本を読み終えたので恒例のレビューを書きたいと思います。


今回読んだのは村上龍さんの短編集「空港にて」。


かなり面白かったです。


巻末にあとがきで


この短篇集では「社会的ではなく個人的な希望」を書きたかったのだと書かれてました。


その意図通りにそういうものはしっかりとキャッチできました。


だけど、明確に、というわけではないですね。


かなりぼかした曖昧な輪郭の掴めない希望。


それが余韻として残り、


掴めそうで掴めない


見えそうで見えない


かすかなジレンマになるわけです。


かといって後味が悪いわけではなく。


見えにくい虹の姿を探す感覚に似ています。






このたび村上龍さんの作品を初めて読んだのですが


感性がフィットしました。


最も気に入ったのは表現の仕方ですね。


この短篇集に特徴的なのか、村上龍さんの作品に共通するものなのかは知らないんですが


今回感じたのは


主人公の思考の推移を辿っていきながら


同時にその思考の元になる過去の出来事にシンクロさせつつ


現時点の目の前に起こっている出来事を主人公の目に映る範囲で綴り


思考の流れの量の割に時間の流れは短いことをそれで表している


それがすべての編において共通していることでした。


目に映るものの描写が半端なく微に入っていてそれ自体が意味をなすのかどうかはともかく


主人公の性格などをそこから推し量れるものでした。




そして、比喩に使う言葉が素晴らしいと感じましたね。


解り辛いようでいて、イメージしやすかったりするそいうものが多かったですね。


例えば


「他人の笑い声は暴力的だ」


「自分とトシのからだや心の境界がわからなくなる」


「中山は何かの隙間のような顔をしていた」


「記憶が溶けだしそうになる」


「話してしまうと何か大事なもの私のなかで薄まってしまう」


「原始的な動物や回遊する魚の群れに似ていた」


などです。


そのフレーズだけ見ると、よくわからないと思いますが


前後を読むとこれが的を射た表現で妙に理解できたりするわけです。


言葉から連想するものが言葉通りのものではなく


イメージとして伝わることや


全く関係のないものが浮かび上がってくることがあるのは


今までにも経験済みですが


かなり強烈な言葉の使い回しだと思いました。




似てるのは


草野マサムネ氏の詞だったり


ミラーボールズの森慎二君の書く詞。


抽象的な言葉や曖昧にぼかした言葉を使うことで


逆にイメージをくっきりと浮かび上がらせるような感じですね。


(そう感じるのは私だけかもしれませんが・・・^^;)




だけど、小説でこんな表現をされてるのはみかけたことがありません。


あ、もちろん私が読んでる作家さんが少ないということはありますけどね。




今まで、読まず嫌いでいましたが


なんでもっと早く手に取らなかったかな、とやや後悔。


でも今が村上龍さんに出会う時機だったんでしょうね。


数年前だったらこの感性に気付けなかったかもしれない。


今出会って、この感性に触れて自分の感性も反応して


なんだかきりりとした感じになりました。




どこまでも感覚で生きている私・・・笑


音と言葉、やっぱり私にとっては欠かせないもののようです。      




さて、次は「え?今頃?」と言われるような小説を読んでます。   


すでに半分を読んでしまったので次回レビューは早いかと思います。


お楽しみに。      名前