さる2月21日に、年明けに他界した父の49日法要を行いました。


滞りなく法要は営まれ、ほっとした次第です。



その時にお経をあげていただいたお坊さんが同世代の方で


とてもフレンドリーにお話ししていただきました。



そして説法もとても興味深いものでした。



父の法名について触れたときに


その法名は俗名から一字取ってその下に「輝」という字をいただいたのですけど、


この「輝」は


あたりを照らすという意味だとおっしゃいました。


あちらの世界に行って


現世を生きている人達が人生を全うできるように


光を当ててくれているのだと。


光は温かいもので


生きてる人をも温かくしてくれるんですよ。


そういう意味の輝なんですよ。


やさしい口調でお話しくださいました。


あまりにもすーっとしみこむようなお話で


心が動かされました。





私は常々、人というのは


あちらの世界(3次元ではない高次元の世界)が本来いる場所だと思ってます。


肉体があるのは


五感でいろんなものを感じるためだと思ってます。


だけども


3次元はその立体にさえげぎられるものが多くて


わからないことが多いです。


だから一生懸命生きる。


そんな風に思ってるんです。


そしてあちらの世界は光が多くある世界だと


勝手に思っています。


常に温かいところ。


だから、冷たいものがないので


温かさを見失いそうになるのではないかと。


なので時々3次元に来てはいろんな対極にあるものを感じて


光の中に帰っていく。


あちらの世界にいる間は3次元にいる人たちが


描いた人生を全うできるように光となって応援していく


(いわゆる守護霊みたいなものですかね)


その繰り返しなのではないかと思うんですね。




父はあちらの世界から光になって


私たちを照らしてくれていることでしょう。




少し意味合いは違いますが、私は3次元にいる間にも


光のような存在になりたいと思ってるんです。


つまり、私といると明るくなれる


暖かくなれる


楽しい気分になる


そんな風に思ってもらえる存在になりたいです。




なれるなれないは別として

それを限りなく目指していきたいです。



説法を聞いて


そんなことを思い出したので


ちょっとお話してみました^^    名前