本日(2月17日)は保育園の参観でした。


参観ののち、通常ならクラス懇談なのですが


今年は講演会が催されました。


せっかくなので拝聴してきたのですが


まぁ、それなりにいいお話でした。


ただ、私の持論とは少々違いました。



子供のしつけなどについていろいろと話されてましたが


子供に真剣に関わってない親が増えているとか


子供に忍耐力や協調性が備わってきてないとか


そういうことを前提に


どう接したらよいかということを話されてました。



とにかく挨拶を元気よくしなさい


ということがまず第一。


これはそうだと思います。


人として関係を築いていくための基本だと思いますね。


それから


ほめなさい


と言われました。


一部同感です。


例に水の結晶をあげておられたのですが


ペットボトルに


「きれいだね」


「おいしいね」


などのほめ言葉


「バカヤロー」


「くそったれ」


「死ね」


などの中傷的な言葉


それぞれを書いて冷凍すると


氷の結晶に差ができるのだとか。


そういう実験をされた方がいて


その実験結果の写真があって見せていただいたんです。


なるほど


ほめ言葉を書いた水の結晶はきれいでした。


逆に中傷言葉を書いた水は形もぐちゃぐちゃで汚かったですね。



人も同じだというわけです。


ほめ言葉をたくさん聞いている子供はまっすぐに


素直に育つということらしいです。



まぁ、そうでしょう。




でも、ほめ言葉だけでいいのでしょうか。


社会に出れば嫌でも不愉快なことや


理解しがたい人に出会うわけですよ。


その時にきれいな心で育った子は耐えられるのですか?



だからといって


中傷をすすめてるわけじゃないんです。



ほめるだけでは足りないと思うんです。



感情を吐き出す方法も知らなければ


いずれつまずくことも出てくるのではないかと思うんですね。



だから、子供の存在をしっかり認め


大事に思っていれば自然体でいいって思うんです。


親も人間、いろんな個性を持っているわけですから。


もちろんほめたいときはほめればいいし


しかるときはしかればいいし


感情をぶつけて構わないって思うんですね。


それが家族だと思うので。




親は子供のために少々の犠牲ははらうべき


などともいわれますが


私はそれはナンセンスだと思います。


実際に私の母は子供のために人生を捨てたような人でしたが


子供(もちろんすべての人ではないですが)は、それがわかったときに


自分の存在が腹立たしくなるんです。


自分がいなければ親は自由に生きれたんだって。



そんな悲しい思いをさせるくらいなら


「親は自分勝手な人だった」


と思われる方がいいと思います。


親が勝手なんだから自分も自由に生きるって思ってもらった方がいいです。


親に遠慮してとか、親の期待に背かないようにとか


そんな気遣いをする生き方はしてほしくないんですね。



だから自然体。


もちろんほったらかしにするってことじゃないですよ。


先に生まれてきて


今ある社会を子供より知っているという立場で


うまく生きていける例やまずい例っていうのは


教えてあげないといけないと思いますが。




素敵なことを素敵だと言い、


不愉快なことを不愉快だと言える関係。


それが私の思う家族の理想のありかたです。




ほめることはいいことですが


無理してほめなくてもいいって思うんですね。


「好き」「大事に思ってる」って心と肌、時には言葉で伝えることさえ忘れなければ・・・。


講師の方はこのことをおっしゃっていたのかもしれませんけど^^;





まだ子育て6年目の若輩者が何言うか


って感じの生意気な言い分でしたね笑


すみません。



この結果は15年後くらいに出てることでしょう。


その時の私、この記事読んだらなんて言うでしょうか笑