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家ってのは


お前が行くことができ


人々がお前を受け入れざるを得ないところなのだ



BY 三原順  はみだしっ子「クリスマスローズの咲く頃」より



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実際には


受け入れられてないことも


最近では目にしますが


ともかく


家とは好むと好まざるとにかかわらず


その肉体の居場所のあるところですね。


この言葉は


「家」を「家族」に置き換えても


通りそうです。




このところ家族について考えてました。


家族って一体なんなんだろうと。



どんな悪人だろうと


どんなに不仲だろうと


無視して


関わらずに一生を終えられる


そんな間柄ではないですね。


単に血のつながりだけではなくて


やはり他人とは決定的に違う何かがあります。


自分の持ってるものをすべてさらけ出しても


嫌いでも


仲たがいしても


その存在を認める関係にあると思うんです。


これは一種の甘えかもしれません。


傷つけることを言ったりしたりすることも


感情を思うがままにぶつけることも


他人にはなかなかできません。


(まれにする人もいるんですけどねww)



私が生まれた家の家族は


暖かいものではありませんでした。


もちろん自分の感じ方に原因となるものが大いにあったと思いますが。


それでも、他人とは違う


他人には見せることのない自分を見せられる


そういう場所であったことに違いありません。


仲のいいのだけが家族のよさではないと思うんですね。



今は結婚して子供もいて


新たに家族がいるわけですが


この家族は最高に好きです。


なんの遠慮もなくて


自分が外で社会の一員として


他人と関わるに際して


家族がいるからこそ


耐えられることや立ちまわれることがあることに


気付きました。


「子供のために」


とか


「家族のために」


とか


そんな大それたものじゃないんです。


ただ自分の感情を素のままでぶつけ


どんな醜悪な部分を見せようとも


喧嘩をしようとも


受け入れられていることを無意識のうちに感じている


そういうことなんです。


それが人間としての基礎になってるんですね。



「受け入れざるをえないところ」なわけです。




家族とは一番深くかかわる関係の人。


私たちはそこで人生の目的を見出し


それに向かって歩くための下地を作りだすために


その家族を選んで生まれてきたのだと思うんです。




そこで何を学ぶかは親兄弟でもそれぞれに違うものだと思います。


感謝まではする必要は感じませんが


自分で選んでその家族の中に生まれてきて


何かを学び取れたら


それで家族として成り立つと私は思います。




無意識のうちに受け容れている


それが家族というものだと


そう思います。             名前