お墓参り | my will

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FacebookやTwitterでは書けない日々感じたことを前向きな意味で「書き遺す」ためのブログ

この前の日曜日にお墓参りに行ってきた。

このブログを作るきっかけになった人のお墓参り。


前も書いたように、その彼女とは生前面識が殆どなかったし、友達と呼べる関係ではなかった。


でも不思議なもので縁はつながった。亡くなった後だけれど友達になれた(自分はそう思い込んだ)。


その人のおかげと言ってしまうと誤解を与えそうだけど、その人が亡くなってしまったことによって自分の目を覚ませてくれた。当たり前にあるものが当たり前ではないんだと教えてくれた。会える人には会って、言わなきゃいけないことは伝えなければいけないと教えてくれた。前にも書いたけどそれが実際に行動となって現れて、自分の人生を変えさせてくれた。


そう感じさせ、変えさせてくれた彼女にご冥福を祈るとともに、今自分が思っていること感じていること、そして何よりありがとうを伝えたいと思いお墓参りをする決意をした。





色々な話をできたがする。



「できることなら生きているうちに友達になりたかったこと」



「自分も以前自殺を考えたことがあってこの世界が嫌になってしまったことがあったけど何とか生き永らえていて、そういうことを生前伝えられていたならもしかしたら自殺せずに済んだんじゃないかという淡く身勝手な期待(妄想)をしてすまないということ」



「あなたが死んでしまったことはとても悲しいし、死ぬべきじゃなかったと思うけど、あなたの死によって自分の目を覚まさせてくれてありがとうと伝えたいこと。あなたのおかげで自分の意識が変わり、13年も疎遠になっていた大切な人に連絡をとる勇気をだしてありがとうを伝えることができ、今度会いにいくことになったこと」



「あなたの死は決して無駄ではなく、確実に一人の人間を変えさせてくれたということ。変にとって欲しくないけどありがとうといいたいこと」



「あなたは愛されていたこと。あなたが生きていた意味は必ずあるということ」



「あなたの親友は今強く生きているけれど、きっと心の底ではまだあなたへの悲しみがなくなっていないこと、できることならその親友のことを見守ってあげて辛いときには助けてあげて欲しいこと」



そして最後に、もし迷惑じゃないのならまた来るよと言ってお墓参りを終えました。



友達の中には彼女の自殺の原因を知っている人がいるらしく、知りたい人には教えてくれるそうだけど、自分は聞くつもりは全く無い。何が原因で死んでしまったかというのはある意味どうでもいいと思っている。問題は色々周りの人に配慮ができるとても優しい人だったはずなのに、どうして自殺を選ばなきゃいけなかったんだということ。


彼女の親友には死にたいということを前から話していたらしく、誰にも相談できなかった状態ではなかったみたい。助けてくれる人が周りにいたにも関わらず、それでもなお自殺を選ばざるを得なかった彼女の心の苦しみはきっと彼女だけにしか分からない。


自分は彼女のことを何も知らない。だからこそ原因を教えてもらうのではなく、彼女の苦しんだ心を推し量って汲み取って、少しでも彼女の気持ちに添えるよう毎日考えて生きて行くと決めた。