年金ライダーになれるのか?続き
先日、年金関係の本で読んだ計算式ですが
一部私の勘違いがありました。
が~ん((((((ノ゚⊿゚)ノ
もらえる年金、もっと少なかったです

先日書いた65歳からもらえる老齢基礎年金の額が
老齢厚生年金の額を含んだ額でした、、、
従って最終的にこうなります。
60才~63才までの年金支給は0円。
63才~65才までは夫婦でなんと月額75,000円のみ。
65才~67才までが私の国民年金の支給が66,000円と
私の老齢厚生年金+老齢厚生年金支給の116,000円
と加給年金の支給が33,000円の合計月額215,000円。
67才(妻が65才)~死ぬまでは夫婦の国民年金支給に
なるため倍の132,000円と私の老齢厚生年金+老齢厚生年金の支給
116,000円で合計月額248,000円
とんだ誤算でした
あとmarutoさんが言ってみえた50%というのは
現役時代の所得(賞与込の手取り収入)に対して
みたいです。これも夫のみ40年間就労した場合の
目安で夫婦共働きだと40%、単身者も40%前後
まで下がります。
最後に余談ですが平成19年4月以降、離婚すると
婚姻期間中の厚生年金保険料の納付記録の
上限半分が妻側に分割されることになってますので
結果、老齢厚生年金(部分年金)が半分ほどしか
もらえなくなります、、、
恐ろしやぁ~熟年離婚Y(>_<、)Y
年金ライダー目指して私、65歳まで働きます!
(暗くなるので年金の話これでTHE END)
一部私の勘違いがありました。
が~ん((((((ノ゚⊿゚)ノ
もらえる年金、もっと少なかったです


先日書いた65歳からもらえる老齢基礎年金の額が
老齢厚生年金の額を含んだ額でした、、、

従って最終的にこうなります。
60才~63才までの年金支給は0円。
63才~65才までは夫婦でなんと月額75,000円のみ。
65才~67才までが私の国民年金の支給が66,000円と私の老齢厚生年金+老齢厚生年金支給の116,000円
と加給年金の支給が33,000円の合計月額215,000円。
67才(妻が65才)~死ぬまでは夫婦の国民年金支給になるため倍の132,000円と私の老齢厚生年金+老齢厚生年金の支給
116,000円で合計月額248,000円
とんだ誤算でした

あとmarutoさんが言ってみえた50%というのは
現役時代の所得(賞与込の手取り収入)に対して
みたいです。これも夫のみ40年間就労した場合の
目安で夫婦共働きだと40%、単身者も40%前後
まで下がります。
最後に余談ですが平成19年4月以降、離婚すると
婚姻期間中の厚生年金保険料の納付記録の
上限半分が妻側に分割されることになってますので
結果、老齢厚生年金(部分年金)が半分ほどしか
もらえなくなります、、、
恐ろしやぁ~熟年離婚Y(>_<、)Y
年金ライダー目指して私、65歳まで働きます!
(暗くなるので年金の話これでTHE END)
年金ライダーになれるのか?
おやじ&おばさまライダーの皆々様
皆様は老後(60才以降)の生活設計しっかり
立てておられますでしょうか?
ちょっと年金のこと勉強したのでご報告を
させて頂きます。
公的年金には「国民年金」と「厚生年金」があります。
普通のサラリーマンは両方加入していますが
自営業の方は国民年金のみ、公務員の方は
国民年金+共済年金に加入してます。
でいくつからいくらもらえるの?って話ですが
「国民年金」はフルに40年(20才~60才)
に渡り毎月保険料14100円支払っても
年間792,100円(月約66,000円)しか支給されません。
しかも65才から!
つまり自営業の夫婦は65才から2人で月額132,000円しか
支給されません。
ではサラリーマンの方は?
毎月給与、賞与の7.5%程の厚生年金保険料と国民年金保険料
14,100円(無職配偶者の分を含むと28,200円)を払っています。
この給与、賞与に比例した保険料の「部分年金」がちなみに
昭和32年生まれの私だと63才から貰える予定。
(昭和36年4月2日以降の方は一律65才からです)
その支給額は例えば加入期間27年の私で年間約900,000円。
つまり月額75,000円ほどしかありません。
この部分年金は65才から老齢厚生年金に変わり継続支給されます。
そして在職時の平均月収とは関係なく年金加入期間をもとに
計算された「老齢基礎年金」が私の場合で年間約1,400,000円、
つまり月額116,000円ほど支給されます。
但し65才からです。
また妻が20年以上の会社勤めをしておらず老齢厚生年金を受け取れる
資格にない場合「加給年金」として年間396,000円(月額33,000円)
も妻が65才になるまで加わります。(うちは2年です)
これも65才からです。
これによると私の場合
60才~63才までの年金支給は0円。
63才~65才までは夫婦でなんと月額75,000円のみ。
65才~67才までが私の国民年金の支給が66,000円と
私の老齢厚生年金75,000円+老齢厚生年金支給の116,000円
と加給年金の支給が33,000円の合計月額290,000円。
67才(妻が65才)~死ぬまでは夫婦の国民年金支給に
なるため倍の132,000円と私の老齢厚生年金+老齢厚生年金の支給
191,000円で
合計月額323,000円
以上でお分かりになりましたでしょうか?
60才から65才までがほとんど空白の5年間なのです。
まだ元気だと思うのですが蓄えがなきゃライダーを
維持するどころか生きて行くことさえ儘ならないのです!
この空白の5年間を67才以降の年金収入と同じレベルの
生活とするには概算2000万円ほどの蓄えが
必要なんですよY(>_<、)Y!
ただ、年金支給開始年齢も70才位まで引き上げられる
可能性も大アリですし少子高齢化や失業者の大量発生が
進み我が国の年金制度が崩壊したら上記試算も全く意味
ないですが、、、
ちなみにとある調査機関が実施した
「生活保障に関する調査」ではゆとりある老後生活に
必要な金額(希望額)は月額平均37.9万円とのことです、、
あああぁぁ、生涯現役鉄馬騎士宣言に不安の翳、、(_ _。)
一部訂正:
加給年金支給は夫65才時から始まり
妻が65才になるまでの間のみでしたm(_ _)m
皆様は老後(60才以降)の生活設計しっかり
立てておられますでしょうか?
ちょっと年金のこと勉強したのでご報告を
させて頂きます。
公的年金には「国民年金」と「厚生年金」があります。
普通のサラリーマンは両方加入していますが
自営業の方は国民年金のみ、公務員の方は
国民年金+共済年金に加入してます。
でいくつからいくらもらえるの?って話ですが
「国民年金」はフルに40年(20才~60才)
に渡り毎月保険料14100円支払っても
年間792,100円(月約66,000円)しか支給されません。
しかも65才から!
つまり自営業の夫婦は65才から2人で月額132,000円しか
支給されません。
ではサラリーマンの方は?
毎月給与、賞与の7.5%程の厚生年金保険料と国民年金保険料
14,100円(無職配偶者の分を含むと28,200円)を払っています。
この給与、賞与に比例した保険料の「部分年金」がちなみに
昭和32年生まれの私だと63才から貰える予定。
(昭和36年4月2日以降の方は一律65才からです)
その支給額は例えば加入期間27年の私で年間約900,000円。
つまり月額75,000円ほどしかありません。
この部分年金は65才から老齢厚生年金に変わり継続支給されます。
そして在職時の平均月収とは関係なく年金加入期間をもとに
計算された「老齢基礎年金」が私の場合で年間約1,400,000円、
つまり月額116,000円ほど支給されます。
但し65才からです。
また妻が20年以上の会社勤めをしておらず老齢厚生年金を受け取れる
資格にない場合「加給年金」として年間396,000円(月額33,000円)
も妻が65才になるまで加わります。(うちは2年です)
これも65才からです。
これによると私の場合
60才~63才までの年金支給は0円。
63才~65才までは夫婦でなんと月額75,000円のみ。
65才~67才までが私の国民年金の支給が66,000円と私の老齢厚生年金75,000円+老齢厚生年金支給の116,000円
と加給年金の支給が33,000円の合計月額290,000円。
67才(妻が65才)~死ぬまでは夫婦の国民年金支給になるため倍の132,000円と私の老齢厚生年金+老齢厚生年金の支給
191,000円で
合計月額323,000円
以上でお分かりになりましたでしょうか?
60才から65才までがほとんど空白の5年間なのです。
まだ元気だと思うのですが蓄えがなきゃライダーを
維持するどころか生きて行くことさえ儘ならないのです!
この空白の5年間を67才以降の年金収入と同じレベルの
生活とするには概算2000万円ほどの蓄えが
必要なんですよY(>_<、)Y!
ただ、年金支給開始年齢も70才位まで引き上げられる
可能性も大アリですし少子高齢化や失業者の大量発生が
進み我が国の年金制度が崩壊したら上記試算も全く意味
ないですが、、、
ちなみにとある調査機関が実施した
「生活保障に関する調査」ではゆとりある老後生活に
必要な金額(希望額)は月額平均37.9万円とのことです、、
あああぁぁ、生涯現役鉄馬騎士宣言に不安の翳、、(_ _。)
一部訂正:
加給年金支給は夫65才時から始まり
妻が65才になるまでの間のみでしたm(_ _)m
1980年北海道ツー ~5日目~
肌寒い真夏の夜でしたが温泉とストーブの
おかげでぐっすり安眠させて頂きました。
「山田温泉ホテル」の玄関出た朝から
この日は雨、、、お馴染みの農業合羽に
身を包みちらっと然別湖に。

朝靄が立ち込めて多少神秘的といえば神秘的。
ここからR273糠平国道で北上する。
「松見大橋」っていうんですか、、
今でこそ日本百名道とかに選ばれてるけど
こちらも樹海の中を延々とだだっ広いダートが
伸びててあの三国峠もこんな感じ。
国道のくせに辺りは何にもないんです。
ほんま不安ですよ(((( ;°Д°))))
↓ ↓

霧雨の中、ガス欠になったらどうしよう?
不安な気持ちで北へ北へ進むのでありました。
途中、あまりの疲れと寒さで休憩してると
通りがかった車の老夫婦が
「お兄ちゃんたちこれ食べなぁ~」
っておにぎりと暖かいお茶くれたのが
とっても嬉しかったぁ~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

その老夫婦に撮ってもらった写真。
おにぎりと人情に触れ元気回復です!
再出発して大雪湖を過ぎると
北海道屈指の紅葉スポット
「層雲峡」です。

初めて目にしたそそり立つ岩肌は絶景!
清々しい気分になって訳もなく
石狩川の川原に降りて、、万歳

層雲峡を後にする頃は結構いい時間。
確か一気に旭川を経てどこにも寄らず
最後の宿泊地、札幌に向かったと思います。
正直泊まった宿も忘れました(^^;
札幌ビール園は行ったみたいです。
その翌日はまったり市内観光。

意外と小さい時計台。

ヨーロピアンな道庁。
ハハハ、お写真ここまでですね。
パンク修理道具もスペアパーツも持たず
夏の北海道を甘く見て
半袖ばっかり鞄に詰めて
あまりの寒さにバスタオル首に巻きながら
震えて旅した4泊5日。
今思うと恐ろしく向こう見ずな冒険の旅ですが
同時に恐ろしく楽しかったです(^▽^)
いつか生まれ変わってもあたしゃこんな青春
繰り返すんでしょうねぇ、、、
おかげでぐっすり安眠させて頂きました。
「山田温泉ホテル」の玄関出た朝から
この日は雨、、、お馴染みの農業合羽に
身を包みちらっと然別湖に。

朝靄が立ち込めて多少神秘的といえば神秘的。
ここからR273糠平国道で北上する。
「松見大橋」っていうんですか、、
今でこそ日本百名道とかに選ばれてるけど
こちらも樹海の中を延々とだだっ広いダートが
伸びててあの三国峠もこんな感じ。
国道のくせに辺りは何にもないんです。
ほんま不安ですよ(((( ;°Д°))))
↓ ↓

霧雨の中、ガス欠になったらどうしよう?
不安な気持ちで北へ北へ進むのでありました。
途中、あまりの疲れと寒さで休憩してると
通りがかった車の老夫婦が
「お兄ちゃんたちこれ食べなぁ~」
っておにぎりと暖かいお茶くれたのが
とっても嬉しかったぁ~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

その老夫婦に撮ってもらった写真。
おにぎりと人情に触れ元気回復です!
再出発して大雪湖を過ぎると
北海道屈指の紅葉スポット
「層雲峡」です。

初めて目にしたそそり立つ岩肌は絶景!
清々しい気分になって訳もなく
石狩川の川原に降りて、、万歳


層雲峡を後にする頃は結構いい時間。
確か一気に旭川を経てどこにも寄らず
最後の宿泊地、札幌に向かったと思います。
正直泊まった宿も忘れました(^^;
札幌ビール園は行ったみたいです。
その翌日はまったり市内観光。

意外と小さい時計台。

ヨーロピアンな道庁。
ハハハ、お写真ここまでですね。
パンク修理道具もスペアパーツも持たず
夏の北海道を甘く見て
半袖ばっかり鞄に詰めて
あまりの寒さにバスタオル首に巻きながら
震えて旅した4泊5日。
今思うと恐ろしく向こう見ずな冒険の旅ですが
同時に恐ろしく楽しかったです(^▽^)
いつか生まれ変わってもあたしゃこんな青春
繰り返すんでしょうねぇ、、、
1980年北海道ツー ~4日目~
弟子屈の宿を出てトコトコ走ってると
「弟子屈観光牧場」って看板がやけに気になり
立ち寄ってみました。

アハハ(^▽^;)実はここがどこだったのか
思い出せなかったのですが
さすがIT時代WEBで解明したんですよ。
道東といえば湖、屈斜路湖とくれば
お次は「阿寒湖」です。

陽気な奥方はアイヌの貸し衣装を纏って
これがやけに似合ったりしてます( ̄_ ̄ i)
阿寒湖まで来れば次わかりますよね?
当時はかなり有名な秘湖。
そう「オンネトー」!
完全オフロードの道を必死こいて向いましたが

曇天と霧で神秘な湖面はちっとも拝めず
石碑の前で記念撮影、、(_ _。)
摩周湖も見れなかったし、ぐやぢぃ~
気を取り直して向かった先は70年代後半の
北海道出身のスーパーアイドル?
そう「千春」さんの実家。

さすが人気ピーク時だったのでたくさん
ファンが来てました。
家の前に停まってる「千春号」ってバスは
千春に会いにきたファンの待合室なのです。
さて今日のお宿は然別湖の近くの
「山田温泉ホテル」

確か糠平から糠鹿峠を越えてアプローチ
したと思うのですがこの道もひどい悪路。
大きな岩があっちこっちに転がっており
タンデムハスラーでヨロヨロ交わしながら
辿り着いたものです。
ここも寒くて夜はストーブの恩恵受けました。
そして嬉しいことに今でも営んでるんですよ♪
↓ ↓
2003年撮影「山田温泉ホテル」
昔とおんなじ看板がいいなぁp(^-^)q
さて次回はいよいよ最後、5日目です。
「弟子屈観光牧場」って看板がやけに気になり
立ち寄ってみました。

アハハ(^▽^;)実はここがどこだったのか
思い出せなかったのですが
さすがIT時代WEBで解明したんですよ。
道東といえば湖、屈斜路湖とくれば
お次は「阿寒湖」です。

陽気な奥方はアイヌの貸し衣装を纏って
これがやけに似合ったりしてます( ̄_ ̄ i)
阿寒湖まで来れば次わかりますよね?
当時はかなり有名な秘湖。
そう「オンネトー」!
完全オフロードの道を必死こいて向いましたが

曇天と霧で神秘な湖面はちっとも拝めず
石碑の前で記念撮影、、(_ _。)
摩周湖も見れなかったし、ぐやぢぃ~

気を取り直して向かった先は70年代後半の
北海道出身のスーパーアイドル?
そう「千春」さんの実家。

さすが人気ピーク時だったのでたくさん
ファンが来てました。
家の前に停まってる「千春号」ってバスは
千春に会いにきたファンの待合室なのです。
さて今日のお宿は然別湖の近くの
「山田温泉ホテル」

確か糠平から糠鹿峠を越えてアプローチ
したと思うのですがこの道もひどい悪路。
大きな岩があっちこっちに転がっており
タンデムハスラーでヨロヨロ交わしながら
辿り着いたものです。
ここも寒くて夜はストーブの恩恵受けました。
そして嬉しいことに今でも営んでるんですよ♪
↓ ↓
2003年撮影「山田温泉ホテル」
昔とおんなじ看板がいいなぁp(^-^)q
さて次回はいよいよ最後、5日目です。
うす皮たい焼き便り~第五弾~
弥生月の高山は夕方からみぞれ小雪が
舞いだしました。
さて今月のうす皮たい焼きですが、、

桜うぐいすたい焼き(4月まで限定販売)
これが気になりますよね。

見た目も春らしい感じで
早速注文。食べてみました。

う~む、、甘い中にちょっぴりの塩気か、、。
アンチこしあんのあたしにはちょっと
ヘビーだなぁ、、、(w_-;
ま、孫たちは食べそうなのでいくつか
土産にすることに。
そして次に気になったのが
「ジャーマン!」

要はじゃがいもです。
ソルトペッパーでピリッとしてます。
でもひとつ物足りないのでケチャップ投入。
うん!こりゃ大人のお味。(ビールにも合いそう)
これが今朝の朝食になりました(*^.^*)
ま、当たり外れはあるものの
「うす皮たい焼き本舗」
やはりその企業努力には頭が下がります。
話それますがこないだの日曜日
暖かい陽気に誘われて
冒険号のリアサスのリンクを
全バラにしグリスUP致しました。

前回どうにもバラせなかった鬼門の
18mmのメガネスパナがいる部分。
(だって18mmのメガネってそうそう
持ってる方いないでしょ?)
今回、必殺モンキースパナ2丁がけで
外しました。
案の定、錆で固着寸前ですΣ(゚д゚;)

耐水ペーパーかけて何とか
綺麗になりました。
悩みひとつ解消!
ほんとここは冒険号の致命的な
メンテナンス鬼門スポットなんですわ。
舞いだしました。
さて今月のうす皮たい焼きですが、、

桜うぐいすたい焼き(4月まで限定販売)
これが気になりますよね。

見た目も春らしい感じで
早速注文。食べてみました。

う~む、、甘い中にちょっぴりの塩気か、、。
アンチこしあんのあたしにはちょっと
ヘビーだなぁ、、、(w_-;
ま、孫たちは食べそうなのでいくつか
土産にすることに。
そして次に気になったのが
「ジャーマン!」

要はじゃがいもです。
ソルトペッパーでピリッとしてます。
でもひとつ物足りないのでケチャップ投入。
うん!こりゃ大人のお味。(ビールにも合いそう)
これが今朝の朝食になりました(*^.^*)
ま、当たり外れはあるものの
「うす皮たい焼き本舗」
やはりその企業努力には頭が下がります。
話それますがこないだの日曜日
暖かい陽気に誘われて
冒険号のリアサスのリンクを
全バラにしグリスUP致しました。

前回どうにもバラせなかった鬼門の
18mmのメガネスパナがいる部分。
(だって18mmのメガネってそうそう
持ってる方いないでしょ?)
今回、必殺モンキースパナ2丁がけで
外しました。
案の定、錆で固着寸前ですΣ(゚д゚;)

耐水ペーパーかけて何とか
綺麗になりました。
悩みひとつ解消!
ほんとここは冒険号の致命的な
メンテナンス鬼門スポットなんですわ。
1980年北海道ツー ~3日目~
サロマ湖を後にし立ち寄った先は
サンゴ草で一面深紅色になる能取湖。
っていうのは9月らしいですがね、、

そしてお隣の網走に。
網走と言えば網走刑務所。
でも健さんの網走番外地のような
暗いイメージもなくニタリ笑ったりして、、

約1000年前に栄えたオホーツク文化
の代表的な遺跡「モヨロ貝塚」です。
モヨロ人はアイヌでもなくサハリンを
拠点に北の海を往来していたニブフ民族
のことらしいです。

ちなみにこの頃のあたしはYMOに影響されてか
オードリーの春日ばりのテクノカットですσ(^_^;)
はてな?嫁がシコ踏むこの神社がどこなのか
網走神社でしょうか?斜里神社?わかりません。

網走の次は知床を目指します。
R334はどこまでも直線、10kmくらいハンドル
切らずまーっすぐです。

オシンコシンの滝でしょうか?

何故か知床の写真って殆どないんですよ。
当時はウトロから羅臼に至る横断道路
が建設中でして走り抜けれませんでした。
夏でもウトロの町は寒くて土産物屋さんも
ストーブ焚いてたのにびっくりです(*_*)
屈斜路湖です。
いかにもクッシーが現れそうなどん曇り。

記憶が薄いけどこの日は弟子屈の民宿に
泊まったんじゃなかったかな、、
ちなみに2stハスラー250の燃費は20km/L
前後だったので満タン9Lで200km走るか
どうかってとこ。
毎日300~400km以上走るにはガスが心配だ
ってんで登山用の1Lの鉄のスペアタンクを
2個積んでました。
さ~て、次回は4日目で~す。
サンゴ草で一面深紅色になる能取湖。
っていうのは9月らしいですがね、、

そしてお隣の網走に。
網走と言えば網走刑務所。
でも健さんの網走番外地のような
暗いイメージもなくニタリ笑ったりして、、

約1000年前に栄えたオホーツク文化
の代表的な遺跡「モヨロ貝塚」です。
モヨロ人はアイヌでもなくサハリンを
拠点に北の海を往来していたニブフ民族
のことらしいです。

ちなみにこの頃のあたしはYMOに影響されてか
オードリーの春日ばりのテクノカットですσ(^_^;)
はてな?嫁がシコ踏むこの神社がどこなのか
網走神社でしょうか?斜里神社?わかりません。

網走の次は知床を目指します。
R334はどこまでも直線、10kmくらいハンドル
切らずまーっすぐです。

オシンコシンの滝でしょうか?

何故か知床の写真って殆どないんですよ。
当時はウトロから羅臼に至る横断道路
が建設中でして走り抜けれませんでした。
夏でもウトロの町は寒くて土産物屋さんも
ストーブ焚いてたのにびっくりです(*_*)
屈斜路湖です。
いかにもクッシーが現れそうなどん曇り。

記憶が薄いけどこの日は弟子屈の民宿に
泊まったんじゃなかったかな、、
ちなみに2stハスラー250の燃費は20km/L
前後だったので満タン9Lで200km走るか
どうかってとこ。
毎日300~400km以上走るにはガスが心配だ
ってんで登山用の1Lの鉄のスペアタンクを
2個積んでました。
さ~て、次回は4日目で~す。
1980年北海道ツー ~2日目~
ハスラー250で行った29年前の北海道
さて続きです。
宗谷岬の展望台に登りそこらに咲いてた
花を耳に飾しポーズする家内、、

この日はR238(オホーツクライン)を南下し
サロマ湖に向かいます。
途中、とってもリアルな牛さんを発見。
思わず乳搾りに興じます(´0ノ`*)


上の写真がどこで撮ったものか謎でしたが
webで調べてあーちゃ堂さんに答え頂けました。
道の駅さるふつ公園にある「乳牛感謝の碑」
みたいです。
あーちゃ堂さんどうも有難うございました。
この日はまーっすぐなオホーツクラインを
サロマ湖まで坦々と走るだけだったので
のんびり行きゃぁいいやと思い、確か
枝幸町の小学校のグランド脇のベンチで
お昼弁当を食べてまったりしてから再出発。
ところが100kmほど走ったところで財布
がないことに気が付くΣ(゚д゚;)
こりゃ大変だぁ!!ってんで3ケタ速度で
来た道を戻ること約1時間。
弁当食べてたベンチを見ると、、
うほ~っありました~(≧▽≦)!
嬉しかったなぁ♪
優しい時代、優しい田舎に感謝感謝ですよ。
だからこの日もなんだかんだ言って450kmほど
走ってしまった訳です、、(-。-;)


今見るとかなりレトロな計呂地郵便局です。
さっきの財布紛失事件に懲りて余計な
現金を口座に入金することに。
当時の北海道は銀行の支店も少なく勿論
コンビニなどない時代ですから
我らライダーは郵便局命だったんですよ。
そしてやっと到着した宿はサロマ湖の「ピラオロ荘」

なんと今でも健在でした。http://www.town.saroma.hokkaido.jp/saroma_kanko/yado/yd_piraoro.html
北海道で30年以上も頑張っておられる
宿ってすごいと思いますp(^-^)q
さて次回は3日目です(^_-)☆
さて続きです。
宗谷岬の展望台に登りそこらに咲いてた
花を耳に飾しポーズする家内、、

この日はR238(オホーツクライン)を南下し
サロマ湖に向かいます。
途中、とってもリアルな牛さんを発見。
思わず乳搾りに興じます(´0ノ`*)


上の写真がどこで撮ったものか謎でしたが
webで調べてあーちゃ堂さんに答え頂けました。
道の駅さるふつ公園にある「乳牛感謝の碑」
みたいです。
あーちゃ堂さんどうも有難うございました。
この日はまーっすぐなオホーツクラインを
サロマ湖まで坦々と走るだけだったので
のんびり行きゃぁいいやと思い、確か
枝幸町の小学校のグランド脇のベンチで
お昼弁当を食べてまったりしてから再出発。
ところが100kmほど走ったところで財布
がないことに気が付くΣ(゚д゚;)
こりゃ大変だぁ!!ってんで3ケタ速度で
来た道を戻ること約1時間。
弁当食べてたベンチを見ると、、
うほ~っありました~(≧▽≦)!
嬉しかったなぁ♪
優しい時代、優しい田舎に感謝感謝ですよ。
だからこの日もなんだかんだ言って450kmほど
走ってしまった訳です、、(-。-;)


今見るとかなりレトロな計呂地郵便局です。
さっきの財布紛失事件に懲りて余計な
現金を口座に入金することに。
当時の北海道は銀行の支店も少なく勿論
コンビニなどない時代ですから
我らライダーは郵便局命だったんですよ。
そしてやっと到着した宿はサロマ湖の「ピラオロ荘」

なんと今でも健在でした。http://www.town.saroma.hokkaido.jp/saroma_kanko/yado/yd_piraoro.html
北海道で30年以上も頑張っておられる
宿ってすごいと思いますp(^-^)q
さて次回は3日目です(^_-)☆
ひな祭り
日本各地でホワイトひな祭りですね
名古屋は雨に変わりましたが、、
今日は早目に帰宅できたので孫の
りんちゃん♀のひな祭りを祝いました。

ママ(長男のお嫁さん)が一生懸命作った
お雛様いちごケーキに大喜びのりんちゃん♪
そしてはるちゃん♂

スポンジベースからしっかり作りこんでます。

実は長男のお嫁さん、ケーキ作りの名人でして
先月も我娘の20才のお祝いにと作ってくれた
このチョコレートケーキ!

お味はあたし的には一番goodでした。
甘すぎず苦すぎずで仕上げに塗したココアパウダーが
上品に絡みます。

中は三層に分けてチョコを塗りこむ熱心さ、、。
も~お店に出したいほどの美味しさで
じ~じ3個食べちゃいました。
前に何回か焼いてくれたベイクドチーズケーキ
といい勝負のお味です。
そして今日は得意メニューにピザを追加。
生地から煉って伸ばして薄皮焼きにした
こいつもパリっと香ばしくなかなかの一品。

いやぁ~素人にしとくのはもったいない
店出したいほどです。
どちらかスポンサー
ついてくれませんかねぇ?
試食品お持ちしますよん♪

名古屋は雨に変わりましたが、、
今日は早目に帰宅できたので孫の
りんちゃん♀のひな祭りを祝いました。

ママ(長男のお嫁さん)が一生懸命作った
お雛様いちごケーキに大喜びのりんちゃん♪
そしてはるちゃん♂

スポンジベースからしっかり作りこんでます。

実は長男のお嫁さん、ケーキ作りの名人でして
先月も我娘の20才のお祝いにと作ってくれた
このチョコレートケーキ!

お味はあたし的には一番goodでした。
甘すぎず苦すぎずで仕上げに塗したココアパウダーが
上品に絡みます。

中は三層に分けてチョコを塗りこむ熱心さ、、。
も~お店に出したいほどの美味しさで
じ~じ3個食べちゃいました。
前に何回か焼いてくれたベイクドチーズケーキ
といい勝負のお味です。
そして今日は得意メニューにピザを追加。
生地から煉って伸ばして薄皮焼きにした
こいつもパリっと香ばしくなかなかの一品。

いやぁ~素人にしとくのはもったいない
店出したいほどです。
どちらかスポンサー
ついてくれませんかねぇ?
試食品お持ちしますよん♪
1980年北海道ツー
得意の昔ネタなのですが、、(^^;
29年前の夏ハスラー250で初めて北海道に行った時の
アルバム写真見てたら順序がめちゃくちゃなので
非常に気になり出して旅した行程を思い出しながら
並べ替えることにしました。
まずは新日本海フェリー「すずらん」に乗船し
舞鶴から出発です。
(確か運賃は往復で15000円ほどだったかなぁ、、安!)

当時は甲板に自由に上がれたんですよね。
じ~じ22才!何故か石田純一ばりに裸足で、しかも
ボーリングシューズ履いてます、、
36時間ほどかけて小樽港に着いたのは確か早朝5時位?
結構冷えててなかなかエンジンかからなかった。
さすが北海道、8月といえどチョーク引きました。

R5号で札幌に向うと丁度いいとこにロイヤルホスト。
腹ごしらえと暖を取ります。
家内20才、まだキャピキャピです(≧▽≦)
R12号で美唄を通過し一気に道北を目指します。

メインロード脇にはまだいい景色があったんですね。

こんな撮影スポットもいくらでもありました。
R12を旭川でR40に乗り換え天塩まで行くと
その先に「サロベツ原生花園」が。
広大な大湿原に感動して興奮のあまりこんな悪さを、、
若気の至りってことで、、m(_ _)m

そのあとお隣の「兜沼」にも立ち寄る。

見た目固そうですが歩くとずぶずぶ長靴ごと
沈んでいく沼にびっくりの家内です。
その頃オロロンラインなんて気にしたこともなく
ただ漠然と海岸線を流す。
そしてついに日本の最北端「宗谷岬」到着!
フェリーで一緒だった河内長野のヤンキー兄ちゃん
御一行と再会し記念撮影です。

初日の宿泊先だけは贅沢に稚内のシティホテル。

初めての北海道ツーリングでしかも二人乗りで
なんと小樽から稚内まで走っちゃいました。
400km以上ありますよねぇ、、
若さってすごいですねぇ~(*^o^*)
さて続きはまた改めてね~(*^ー^)♪
29年前の夏ハスラー250で初めて北海道に行った時の
アルバム写真見てたら順序がめちゃくちゃなので
非常に気になり出して旅した行程を思い出しながら
並べ替えることにしました。
まずは新日本海フェリー「すずらん」に乗船し
舞鶴から出発です。
(確か運賃は往復で15000円ほどだったかなぁ、、安!)

当時は甲板に自由に上がれたんですよね。
じ~じ22才!何故か石田純一ばりに裸足で、しかも
ボーリングシューズ履いてます、、
36時間ほどかけて小樽港に着いたのは確か早朝5時位?
結構冷えててなかなかエンジンかからなかった。
さすが北海道、8月といえどチョーク引きました。

R5号で札幌に向うと丁度いいとこにロイヤルホスト。
腹ごしらえと暖を取ります。
家内20才、まだキャピキャピです(≧▽≦)
R12号で美唄を通過し一気に道北を目指します。

メインロード脇にはまだいい景色があったんですね。

こんな撮影スポットもいくらでもありました。
R12を旭川でR40に乗り換え天塩まで行くと
その先に「サロベツ原生花園」が。
広大な大湿原に感動して興奮のあまりこんな悪さを、、
若気の至りってことで、、m(_ _)m

そのあとお隣の「兜沼」にも立ち寄る。

見た目固そうですが歩くとずぶずぶ長靴ごと
沈んでいく沼にびっくりの家内です。
その頃オロロンラインなんて気にしたこともなく
ただ漠然と海岸線を流す。
そしてついに日本の最北端「宗谷岬」到着!
フェリーで一緒だった河内長野のヤンキー兄ちゃん
御一行と再会し記念撮影です。

初日の宿泊先だけは贅沢に稚内のシティホテル。

初めての北海道ツーリングでしかも二人乗りで
なんと小樽から稚内まで走っちゃいました。
400km以上ありますよねぇ、、
若さってすごいですねぇ~(*^o^*)
さて続きはまた改めてね~(*^ー^)♪
