二日続けて長文の更新ですみません。m(__)m

このテーマは何度か書きかけては消していました。悪口のようになりがちで難しかったです。なるべくそうならないように書きました。

化学物質過敏症を発症すると、どうしても家族の協力が必要になります。

私は接触する化学物質を避けて解毒するというCSの治療としては一般的な改善方法をとりました。

それに対して主人は「これをやれば治る」という確固たる方法があり、絶対的に信じています。その方法は私からすると成功例などの根拠がないのです。
(やってみもしないで否定するのはどうかと思いましたので、私は過去に二回、主人の言うとおりに実行しました。効果は感じられませんでした)

この対立は娘が幼稚園の時から小学校四年生で同居して一緒に住み始めるまで続きました。

この間に私の尊敬する臨床心理士さんとの出会いがあり、その方が私に「誉めておいたらいいんですよ。」「すごいね。さすがお父さんだね。とか持ち上げておけばいいんですよ」とか何度も明るくインプットしてくださいました。

私は「嘘をつく、だます、ごまかす、謝らない」が大キライなので、それを何度も平気でする主人に対するわだかまりは消えませんでした。気持ちの整理がつかず、このインプットに対して「絶対に私にはできない」と思いました。


当時私は兄の家に住んでいたのですが(娘が幼稚園の時から主人と別居していた)兄が結婚することになり私と娘の身の振り方を考えなければならなくなりました。
ここで主人と離婚の話し合いになり離婚届を書き、養育費を取り決め、公正役場にいきました。しかし土壇場でやり直すことになり今にいたります。
一緒に住み始めた当初は上手くいっていました。主人も協力してくれましたし、私も主人に感謝したり誉めたりするようにして接していました。関係はすごく良好でした。

しかし徐々にわだかまりが増え、同時に過去の感情も頭をもたげてきます。
特に娘のことは大きかったです。主人に森田先生の本も含めて不登校関連の本を数冊渡し「自信をなくしているので誉めてあげて欲しい」とお願いしました。
「わかった」とその場しのぎの返事をするか「一日中家にいてゴロゴロしてるのに誉めるところなんかどこにもない」との返答でした。

細かいところ書くとどうしても悪口になるのですが…でもこのあたりの幾つかのやりとりでは本当に頭にきました。父親としてこの人は一体何を考えているのだろう、娘の人生がかかっているこの大事な時になにもしようとせず、ただ逃げているだけだと思いました。
この辺りから主人とはなるべく顔を合わせないよう気をつけるようになりました。顔を合わせると腹がたってしまい、娘と接する時にイライラが邪魔になるからです。

不登校になって8ヵ月ほどがたち、私が体調不良になりました。こうなるとどうしても協力をお願いしなければならないのです。

ここでまた対立がはじまります。
また振り出しにもどって自分が信じている「治る方法」を持ち出してきた主人に愕然としました。さらに「その方法で娘の不登校も治る」とも…。つまり主人からすると治る方法があるのにやろうとしない私が悪いということになるわけです。
この争いのゴールは離婚しかないかもしれないと思いました。

主人は主人でなぜ私が距離を置いているのかを全く理解していないようでした。説明したらいいのではないかと思われるかもしれませんが、説明しても無駄なのです。
主人の特性に関してはどうも違和感があるので色々調べたのですが、もしかしたら発達障害かパーソナリティ障害があるのかもしれません。本人に悪気がないようなのです。


化学物質過敏症のことを少し伝えただけですぐに理解しようとしてくださる方もいます。しかし逆にいくら説明しても、体調不良を訴えても全否定の方もいるのです。

人の考え方・行動を変えようとするのは困難です。相手が大人でも子どもでも、見方によっては自分の意見の押しつけになるだけ。相手を変えようとすることは一種の否定なんです。 

どれだけ証拠を並べでも、成功例を出しても、説明しても、それが正論でも、相手に受け入れの余地がなければ意味がないのです。ただ相手の意見を潰す材料を持ってきただけになってしまいます。どこまでいっても交わることのない平行線です。

再び主人と意見が対立したとき、インプットを思い出しました。インプット通りにやってうまくいったことも。主人が本当は誉められたい、認められたいと思っていることもわかっていました。

しかしやっぱり無理だと思いました。感情が邪魔をします。
そんな中、コンプリメントトレーニングを受けることになりました。
とにかくコンプリメントに集中し、娘にかけていく。しばらく続けているとふと主人の良いところが口をついて出そうになりました。娘の良いところばかり探していたので自然とできるようになってきていたのだと思います。

これはできるかもと思ったので勇気をだしてちょっとやってみました。一日かけて一つだけ考えました。
主人はものすごく喜んでくれました。
私も「このくらいでそんなに喜んでもらえるなら」とそれからもするようになりました。

しばらくしてCS対策で家具を捨てなければならなくなりました。やむおえず主人に相談しました。するとほとんど抵抗もなくOKしてくれました。
一番関係が上手くいっていたときも、私がCSの話をすると目をそらして話を早く終わらせたいような感じでしたが、その時はきちんと私の目を見て話を聞いているのです。聞く姿勢がこれまでと全然違いました。

不登校になってからは協力をお願いするとキレていました。数日間口をきかず、その後文句を山のように言われます。
トレーニングを申し込みたいと相談したときは「俺の意見なんか聞かないんだから、自分の思うとおりに勝手にやったら?俺は春になったらこの家を出て行くから。」でした。(確かに私には自分がやると思ったら突っ走るところはあります。)

それがこの変化です。コンプリメントの効果を再び目の当たりにしました。
人は自分のことを理解してくれる人には心を開き、歩みよるのだと思います。
相手を操作(自分の希望に添うように)しようとはせず、ただその人の良い資質を認め伝える。これがすごい効果をもつのです。

主人に対しては「嬉しい」は使いますが「力がある」は使っていません。なるべく本人が喜びそうな資質(自信がありそう・得意そうなもの)を、自然な形で伝えられるようにしながらかけています。
(子どもに対しては「気づかせる」ですが、大人に気づかせるのも少し違和感があるので「伝える」と書きました。)

このような家族間の変化は私だけが感じているのではないようです。トレーニングを受けられたお母様方のコメントをみると同じように全ての人間関係に適用できると考えられる方が多いように思いました。

主人にわだかまりはまだあります。
娘が再登校したのも「不登校の時と何も変わってないはずなのになんでだろう」と首を捻っていました。もちろんそれはトレーニングの効果だと返しました、しかしここで「私にトレーニングを受けさせてくれたこと」をコンプリメントできればgoodだったでしょう。ちょっと精神的に調子が悪かったのもあり、それは無理でした。

色々とありますが、細々と主人にコンプリメントを続けながらなんとかやっていくしかないかと思っています。

この記事だけ読むと主人が悪い人に見えるかもしれませんが、根は純粋なのだと思います。家族の為にという気持ちもありますし、困った人をみかけて何度か助けています。誤解はされやすいでしょう。考え方や行動などこだわりは強いです。