今日はミラノから、また高速バスに乗っている。




移動時間は4時間ほど。



日中の短距離移動だし、寝ることもなさそうなのでブログを書くことにした。



ちなみに普段は高速バスで一晩越すこともあるので、もはや4時間は「近い」と感じるようになってしまった。笑


そんな移動中、とある方のポストを見た。



内容をざっくり言うと、 


「日本人の海外旅行離れは、単純に円安だけが原因ではない。世代によって海外旅行に行かない・行けない理由は違い、特に30〜40代のファミリー層は、家族コストと教育費が重なることで“行きたいけれど行けない”状況になっている」



というものだった。



私はまさにドンピシャの30〜40代ファミリー層である。そして読んでいて、「教育費と重なる」という部分が妙に引っかかった。



というのも、私にとっては

旅の費用こそ教育費そのものであり、

子どもへの大きな投資のひとつ

だと思っているから。



これは少数派の考え方なんだろうなという自覚はある。






例えば子どもがものすごく勉強が得意だったり、自分から「塾に行きたい」「もっと勉強したい」と言うタイプなら、私はそこにお金をかけると思う。



何より私自身がそういう子どもだった。


自分から親に塾へ行きたいとお願いしていたし(10才初の習い事が進学塾)そもそも「勉強する」という行為がまったく苦ではなかった。


だからそういう子どもが一定数いることは身をもって知っている。


本人が望んでいてそこに得意があるのなら、学力を伸ばすことにお金をかける価値は存分にあると思う。






でも、娘は私とは違った。

特に小学2〜3年生くらいの頃、

私はその事実にかなり悩んだ。


自分はいとも簡単にできていたことなのに

我が子はできない。


「なぜそうなる?」
「なぜそう考える?」
「宿題になぜこんなに時間がかかる?」

そんな「なぜ?」が止まらなかった。



子育てって基本的にサンプルがない。

教育に携わってきた人ならまだしも、初めての子育てなら、比較対象はどうしても身近な誰かや「過去の自分」になりやすいと思う。


 

誰かや何かと比べるものじゃない。



そんなことは頭では分かっている。


それでもいざ我が子について疑問にぶつかると

つい自分を基準に考えてしまう。



……そんな時期もあった。






でもある時、考えてみた。

特段苦労もせず身体能力が高くて

足が速い子がいる。

絵が驚くほど上手な子もいる。

音楽が得意な子もいる。



それと同じように特段苦労もせず

「学校の勉強」ができてしまう子が

いるだけなんじゃないかと。

私はたまたまそれだった。



ただそれだけの話だった。



ちなみに娘は身体能力がかなり高い。


年齢を重ねるごとにそれを見せつけられる場面が増えている。春先に行ったフィリピンでは、深さ3〜4メートルほどある洞窟の天然プールを、ライフジャケットもなしで優雅に泳いでいた。





その横で私は娘の浮き輪を手放せなかった。

たぶん手放したら普通に溺れる。笑  






みんな得意なことと不得意なことがある。



そう思えるようになってから、私は「勉強」にこだわる必要はないんだなと日を重ねるごとに感じるようになった。


無意識にでも過去の自分と比較するのはやめた。



もちろん、生きていくうえで必要な最低限の学力や知識は必要だと思っている。



しかしそこに困っているわけではないのなら、

「もっと上へ」

「もっと勉強を」

と、本人が望んでもおらず、特に得意としていないものを親が追い求め続ける必要はないのかもしれない。



実を言うと娘に受験して行ってほしいと思っていた中学校があった。オープンキャンパスにも行った。

娘も興味を示していた。

シンプルに綺麗で、楽しそうで、

「ここに通えたらいいな」と私も思った。



でも今の学力ではたぶん足りない。

このままでは難しいと思う。



そして何より、娘自身に

「塾に行ってでも受験したい」


「勉強して絶対にここに入りたい」

というほどの意思はない。



じゃあ、それまで。

私の人生ではないから。



親として「こんな選択肢もあるよ」とおすすめはする。きっかけも作る。



知らなければ選ぶことすらできないから、できるだけたくさんの選択肢を見せてあげたい。



でもそこから行動するのも最終的に選ぶのも本人。




だから今の私は、娘をいろんな場所へ連れて行って、いろんなものを見せて、いろんな体験をさせることにお金を使っている。



旅というと「娯楽」「贅沢」と捉えられることも多い。


もちろん、楽しい。

遊びでもある。



でも、子どもとの旅を続けていると、

それだけではないと感じる場面が本当に多い。



知らない土地で電車に乗る。

言葉が通じない相手に何かを伝える。

違う文化を見る。

日本では当たり前だったことが

世界ではまったく当たり前ではないと知る。



トラブルが起きたら、その場で考える。

失敗する。どうにかする。

そしてまた次の場所へ行く。



そういう経験って、「旅行」という娯楽よりも、むしろ日常の延長線上にある生きる力に近いんじゃないかと思う。



塾に払う数万円も教育費なら、知らない国へ行って、知らない世界を自分の目で見るために払う数万円だって、私にとっては教育費だ。



どちらが正しいという話ではない。


子どもによって今お金をかけるべき場所が違うだけ。



だから我が家の場合、

「教育費がかかるから旅に行けない」ではなく、

旅にかかるお金も、教育費として考えている。



それが今のところ娘に対して私が一番投資したいと思っているものなのだと思う。



そんなことを考えながら、

今日も親子で高速バスに揺られています。

次はヴェネチアへ。

旅はまだまだ続きます🚌