エンド・ゲームを観た後、MCUは今後どのように展開していくのか、いささか不安であったが、スパイダーマンの最新作を観て、それは払拭された。
前作であるホームカミングは、ぼくはとてもお気に入りの作品で、MCUの中でも一二を争う作品だと思っているが、ファーフロムホームは、それを超えるほどの出来栄えだったと思っている。
エンド・ゲームにしろ、本作にしろ、マーベル・スタジオは他の映画製作会社よりも、数年先をいっているように思う。
それは技術的なレベルだけではなく、脚本、キャラクター、どれをとっても秀逸であり、潤沢な資金力も重要なポイントである。
それは、トニー・スタークの莫大な資金力による圧倒的な強さを彷彿とさせる。
今は亡き、トニー・スタークの後を、後継者としてピーター・パーカーは、MCUの中心人物として活躍していくにちがいない。
さてさて、そろそろ本題に移ろうかと思うのだが、本作は先日公開されたばかりということもあり、内容には触れず、スパイダーマンと父の不在というテーマで書いていこうと思う。
ピーター・パーカーには両親がいない。諸説あるが、事故で亡くなっているというふうに説明されているだけである。
両親の不在自体がとても重要なことであるが、MCUで描かれるものは、父親をテーマにしたものが多いため、あえて、父の不在ということに着目した次第である。
まず、ホームカミングでは、トニー・スタークとの師弟関係を中心に描かれており、それはヒーローという存在としての父という関係が見受けられる。
そして、物語自体に着目すると、ウィング・スーツを身に纏った怪人バルチャーが、また父として関係している。これはネタバレになってしまうが、前作の内容なので目をつぶってほしいのだが、バルチャーは、ピーター・パーカーの恋を寄せる女性の父親である。
また、ファーフロムホームでも、トニー・スタークというヒーロー界の父の死から物語ははじまる。
同様に物語自体に着目すると、トニー・スタークという経営者としての父権制からの抑圧から生まれた悪というものがテーマとなっているため、それもまた父という存在が関係してくる。
スパイダーマンに纏わるのは、やはり父親の不在である。それは、父親の不在による、ピーター・パーカーの自立というものが物語の鍵であり、見どころなのである。
併せて注目したいのは、トニー・スタークにも同様のテーマが存在するということである。冷徹な経営者であるトニー・スタークも、若くして父親を亡くしているのである。
双方に父の不在が関係していると思うが、それが師弟関係に絶妙なぎこちなさをうんでいる。トニー・スタークからしてみれば、ピーター・パーカーに対して父としての接し方に苦闘し、ピーター・パーカーからしてみれば、トニー・スタークに息子としてどのように接すればいいのか苦闘しているように思うのだ。
MCUの第一フェーズの後期に登場し、第一フェーズの最後の物語として公開されたスパイダーマンは、間違いなくトニー・スタークから引導を渡された次世代の中心人物となるだろう。
第二フェーズがどのような形で幕を開けるのか検討もつかないが、ドデカイ花火をかましてほしいと思っている。
最後に、MCU版スパイダーマンの見どころは、ピュアな青春ドラマであろう。
ここから判断するのは時期尚早かと思うが、MCUはおっさんが好きなパターンばっかりだけど、第二フェーズからは、若者が好きな要素をどんどん取り入れていくんじゃないのかということだ。
だは。