闘猫日記 吾輩は寝込んでる | センテンスサワー

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タイトルは、さておき、半年ほど前から定期的にブログを書くようになった。というのも、四年ほど前から本格的にお笑いについて考えていて、自分なりのアプローチができたらなとずっと思っていた。自身の体験として語れる知見から、第5世代が作り出したお笑いブームを新たな見方と解釈で提案したいというのが、そもそもの動機であり、そこからの発展として、「松本人志論」を書くことになった次第である。

 

このブログで儲けようなどとは売らん哉まったくもって思ってはなく、ただこのブログを見て、楽しんでもらえたらと思っているくらいである。ただ、専門家の目にとまり、このブログからなにかヒントでも感じていただければ、それはそれで感慨深いとは思っていたりする。

 

少なからず、コンテンツがたまることで読者が増え、PVも少しづつ増えてきた。ただ、ぼくのブログで一番読まれている記事は、ずっと同じで「ブスとデブはなぜ差別用語ではないのか」というものである。なぜ、この記事がこれほどまでに関心があり、いや、この記事というよりもテーマとキーワードに関心があるのだろうが、不思議でしょうがないというのが本音である。

 

世の中の関心とは不思議なもので、暴力性すら感じられるし、また哀れみに満ちているともいえる。検索している時点で無意識とは言い切れないのだが、なにかを知ろうと気持ちが動くということは、理性的ではない何かが衝動的に働きかけているからなのだろう。

 

例えば、最近ブログで最も注目を集めるテーマは、闘病日記であろう。基本ランキングの上位に独占しているし、生々しければ生々しいほど、バズる可能性を秘めているのである。演出しようと思えばいくらでもできるし、ユーザーにしてみれば、嘘か真かなど関係がなく、新聞の事故記事を眺める程度の関心しかないのが事実である。フィクションであっても、ノンフィクションであっても関係はなく、泣きにいくために映画を観に行く人とまったくもって同じ構造で動いているのではないだろうか。

 

失恋ソングが売れる理由として、不幸や悲しみは共感しやすいという性質を備えており、それはいい意味でも悪い意味でもビジネスとなってしまうのが現状なのである。憐れみは消費しやすいコンテンツであるし、今後もヒットするための条件であることは間違いないだろう。

 

 

併せて、注目すべきなのは、これはブログのみならず、ネットで人気者になりたければ、ネコをコンテンツとして使うべきである。ネコ市場は大変賑わいを見せており、インスタでも、ツイッターでも、ネコの画像や動画が溢れており、まさに招き猫的な状態となっている。トップに君臨していた犬など、もはや見る機会が減っていることは言うまでもなく、負け犬の遠吠えすら聞こえてこないしまつ。チワワちゃん、いったいぜんたいどこへ行っちゃったんだろうね。

 

さて、そこで提案したいのが、それらの強力なコンテンツをかけ合わせて、猫の闘病日記を書けばいいのではないだろうか。機会があれば、ぼく自身で書いてみたいのだが、お笑い論を進めていくだけでも手一杯なので、やめておくことにする。内容は、皆様の豊かな想像力におまかせするとして、そのうち猫の闘病日記てきなブログが出てくるのだろうと、密かに期待している。

 

 

さて、くだらないことを書いてしまい、その後悔の念を抱きながら締めくくろうとしているのだが、結論としては、ヒットするものだけが面白いものだとは限らないということ。私自身、Web系のエンジニアとして働いているため、PVを増やそうと思えば可能だとは思うが、それにこだわらず本当に書きたいことや、伝えておきたいことをこれからも書いていこうと思っている。読者は限定してしまうと思うのだが、どこにも存在しないお笑い論をこれからも書いていきたいと思っているし、新しい解釈でお笑いを分析し、提案していきたいと思っている。

 

現在の反省点としては、意欲があるうちに書かなければならないというプレッシャーから勢いだけで書いてしまい、誤字脱字や脈絡の無さも見受けられる文章となっていることである。改めて機会を設けて校正すべきだと思うが、次回で最後の松本論を書き上げるまでは、それに神経を注ぎたいと思っている。

 

以上。