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沖縄の文化と歴史ブログ

本土と違う沖縄の文化と歴史を書き綴るブログです。

薩摩芋とはその名のとおり薩摩、つまり現在の鹿児島県から全国に伝えられ広まったことからその名の由来があります。


しかし実は薩摩にこのイモを伝えたのは当時の琉球だったのです。


では何故薩摩芋と呼ばれたのでしょうか?


それはどうもサツマイモの歴史的な流れに理由があるようです。


1605年、野国総管と呼ばれる人物が当時の中国と琉球王国との交易を行う進貢船で中国に渡った際にイモの苗を琉球に持ち帰りました。


そして野国総管が持ち帰ったイモの苗の栽培と繁殖方法を研究して琉球に広めたのが儀間真常という地頭(地域の支配者)でした。


当時のイモの流れは以下のとおりです。


1594年  ルソン島(フィリピン)から中国へ伝わる


1597年  中国から琉球の宮古島へ伝わる


1605年  野国総管が中国より琉球へイモの苗を持ち帰る


1615年  琉球から長崎の平戸へ伝わる


1625年  琉球から薩摩へ伝わる


1734年  薩摩から江戸へ伝わる


1743年  江戸幕府がイモ栽培を全国へ奨励する


このイモのお陰で当時、飢饉や凶作で苦しむ多くの人々が救われたといいます。


サツマイモは琉球が中国より持ち帰って薩摩経由で全国に広まったのですがポイントは琉球から薩摩に伝えられたのち、薩摩から江戸へ伝えられたことにあるようです。


つまり琉球→薩摩→江戸→全国という流れから琉球が表に出ることなく薩摩が表に出ることでサツマイモとなったわけですね。


もし琉球が直接、江戸に伝えていたならばサツマイモではなくて琉球イモといわれていたかもしれませんね?