サッカー女子・なでしこリーグで活躍した伊藤美菜子選手。
日本代表入りも期待されていましたが、東日本大震災がきっかけで、ある病のためプレーすることができなくなりました。
しかし震災から3年半あまりがたち、伊藤さんは再びピッチに立つことを決め、再起に向けた第一歩を踏み出しました。
日本代表入りも期待されていましたが、東日本大震災がきっかけで、ある病のためプレーすることができなくなりました。
しかし震災から3年半あまりがたち、伊藤さんは再びピッチに立つことを決め、再起に向けた第一歩を踏み出しました。
なでしこリーグの元トップ選手、伊藤美菜子さん(28)です。
伊藤さんが今、毎月欠かさずに通う場所があります。
精神科のクリニックです。
「呼吸ができないというか、過呼吸気味に」と医師に告げる伊藤さん。
精神科のクリニックです。
「呼吸ができないというか、過呼吸気味に」と医師に告げる伊藤さん。
病名は「パニック障害」。
バスや電車に乗れないなど日常生活もままなりません。
伊藤さんは「脈拍が高くなって、息ができなくなって、ひどいときは意識を失うときもありました」と明かします。
バスや電車に乗れないなど日常生活もままなりません。
伊藤さんは「脈拍が高くなって、息ができなくなって、ひどいときは意識を失うときもありました」と明かします。
伊藤さんは5年前、なでしこリーグの強豪で福島に本拠地を置く東京電力マリーゼに入団しました。
エースナンバー「10」を背負い、攻撃の中心として活躍しました。
しかし、転機は突然やってきました。
3年前の原発事故で、チームは無期限活動休止になってしまったのです。
エースナンバー「10」を背負い、攻撃の中心として活躍しました。
しかし、転機は突然やってきました。
3年前の原発事故で、チームは無期限活動休止になってしまったのです。
好きなサッカーを続けられないつらさ。
さらに、自分の会社が起こした原発事故が、多くの人たちを苦しめているという現実が、心に重くのしかかりました。
伊藤さんは「東電社員っていうだけで、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで。サッカーはしたいけど、でも東電社員としての責任も負わなければいけない。本当に複雑ですね」と苦しい胸の内を明かします。
さらに、自分の会社が起こした原発事故が、多くの人たちを苦しめているという現実が、心に重くのしかかりました。
伊藤さんは「東電社員っていうだけで、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで。サッカーはしたいけど、でも東電社員としての責任も負わなければいけない。本当に複雑ですね」と苦しい胸の内を明かします。
伊藤さんは東京電力を退社しましたが、心身の不調を繰り返すようになりました。
今は3種類の薬を服用している伊藤さん。
パニック障害と診断され、薬が手放せない日々です。
自宅にこもり続け、死にたいと考えるほど追い詰められていったと伊藤さんは言います。
「こんな状態でこれからどうやって生活していけばいいのかと、毎日不安で。死んだ方が楽なんじゃないかなって」。
今は3種類の薬を服用している伊藤さん。
パニック障害と診断され、薬が手放せない日々です。
自宅にこもり続け、死にたいと考えるほど追い詰められていったと伊藤さんは言います。
「こんな状態でこれからどうやって生活していけばいいのかと、毎日不安で。死んだ方が楽なんじゃないかなって」。
そんな伊藤さんに手を差し伸べたのが、中学生時代の恩師、亀田勝昭さんでした。
今は、なでしこリーグの下部リーグ、「横浜FCシーガルズ」の監督を務めています。
病に苦しむ教え子を救おうと、あえて勧めたのがコーチの仕事でした。
プレーはできなくても、サッカーと関わることで症状が上向くのではないかと考えたのです。
今は、なでしこリーグの下部リーグ、「横浜FCシーガルズ」の監督を務めています。
病に苦しむ教え子を救おうと、あえて勧めたのがコーチの仕事でした。
プレーはできなくても、サッカーと関わることで症状が上向くのではないかと考えたのです。
亀田さんは「自分の好きなことをやっていくのが、やはり病気を治していくというか、病気を忘れさせていく」と、そのねらいを話していました。
この春からチーム傘下の高校生などと接しているうちに、少しずつ心のペースを取り戻していきました。
伊藤さんは「みんな純粋にサッカーが大好きで、一生懸命やっているっていうのは、原点に戻らせてもらえるっていうところで、すごく刺激を受けています」と話しています。
伊藤さんは「みんな純粋にサッカーが大好きで、一生懸命やっているっていうのは、原点に戻らせてもらえるっていうところで、すごく刺激を受けています」と話しています。
もう一度、好きなサッカーをプレーしたい。
8月、試合会場に向かう伊藤さんの姿がありました。
病気と闘いながら、再びピッチに立つ決断をしたのです。
バスに乗ると発作が起きるおそれがあるため、監督の車で移動します。
8月、試合会場に向かう伊藤さんの姿がありました。
病気と闘いながら、再びピッチに立つ決断をしたのです。
バスに乗ると発作が起きるおそれがあるため、監督の車で移動します。
試合前、病気のことは考えず相手に勝つことだけに集中しました。
厳しい暑さの中での試合。
かつてのような体力はありません。
ハーフタイムには、思わず座り込んでしまいます。
それでも、懸命にボールを追いかけ、90分を戦い抜きました。
厳しい暑さの中での試合。
かつてのような体力はありません。
ハーフタイムには、思わず座り込んでしまいます。
それでも、懸命にボールを追いかけ、90分を戦い抜きました。
試合後「またサッカーできて自分がピッチ立ててるって、本当によかったと思います」と話した伊藤さんには、笑顔がこぼれていました。
病に苦しみながらも再起を決めた伊藤さん。
そこには自分と同じように苦しむ被災者への思いがありました。
伊藤さんは「悩んでいたり苦しんでいる人がいるのであれば、そういう人の力になれるんじゃないかなって。こんな自分でも達成できるっていうところで、なんか勇気与えられたらなと思ってます」と話しています。
そこには自分と同じように苦しむ被災者への思いがありました。
伊藤さんは「悩んでいたり苦しんでいる人がいるのであれば、そういう人の力になれるんじゃないかなって。こんな自分でも達成できるっていうところで、なんか勇気与えられたらなと思ってます」と話しています。
鬱っぽいとの噂はあったものの、理由がはっきりしなかったのでもやもやしてたんですが、これで少しスッキリしました。
本人に会って言葉を伝えたいけど、中々難しいでしょうねぇ。