水曜どうでしょうのOHPの月曜日の日記のコピペですひらめき電球



【お知らせ】 18日(日)藤村、嬉野、そして樋口了一さんも!宮城県女川町におじゃまいたします。



「女川町商店街復幸祭」のイベント告知サイトがオープンしました。



女川町商店街復幸祭



1.皆さん十分暖かい格好で
2.時間は早めで
3.車がある方はマイカーで、あるいは友達同士乗り合いで

お越しいただければと思っています。

・・・とのことでございます。



3月12日月曜日。藤村でございます。



昨夜、東京MXテレビさんで、最新作の放送がスタートいたしました。



関東圏では順次、放送がスタートいたします。



たいへんお待たせいたしました。
1年ほどお待ちになりましたな。



昨年の今ごろは、東北各地で新作の放送がスタートした時期でありました。



1年が経ちましたか。



あの日、宮城県の女川では、こんなことがあったそうです。



高台に、車に乗った人々が続々と避難してきた。真っ暗闇の中で過ごす最初の夜。周りにいる人たちに向かって、ひとりの男が、こう叫んだと。



「ここをキャンプ地とする!」



周りにいるみんなは、思わず笑ってしまったそうです。



その男は、高橋という名で、彼の家は女川で「高政」という蒲鉾屋をやっています。「高政」の工場は、津波の被害が他よりも少なく、浸水はしたけれど、動かせるラインがあった。そして、工場の冷蔵庫には、蒲鉾の材料になるすり身が大量にあった。それ で「高政」は、震災の数日後にはそのラインを動かし、どんどん蒲鉾を作り、町の人たちにどんどん配ったそうです。



その高橋という男が、わざわざ札幌まで足を運び、我々に会いに来てくれました。



今週末、18日の日曜日に女川でイベントがあるそうです。そのイベントに、来てくれないかと。



彼は、今回のイベントの意味をこう話してくれました。



「もう、野次馬でも物見遊山でも構わないから、今は、とにかくたくさんの人に女川に来てほしいんです。両親を亡くした女子高生の子は、これまで取材が来るたびに逃げていました。でも今は、自分から『取材を受けます』と言っています。ぼくも、テレビだろうが雑誌だろうが、それがどういうふうに扱われようと、取材を受けていこうと思います。だって、一番怖いのは、女川を忘れられてしまうことですから。忘れられて、誰も来なくなったら、復興なんかできませんから」と。



それを聞いて、嬉野さんは言いました。



「だったら、私のような人間でも、ようやく被災地に行けます。自分は震災の被害を受けていない人間だから、あなたたちの気持ちはいくら想像したってわからない。『わかったつもり』すらできない。だから、一緒に悲しむこともできない。気の利いた言葉をかけることもできない。それどころか不謹慎なことを言ってしまうかもしれない。そんな人間だから、震災の話も簡単にはできない。でも、こんな人間でも来ていいと言ってくれるのなら、私もようやく行けます」と。



日曜日、私と嬉野さんで女川に行きます。



東北の諸君。遅くなりました。



すぐに行けず、申し訳ありませんでした。



諸君はもう、十年以上も前から我々の番組を知っていてくれました。ずいぶん前から我々の友だちでいてくれておりました。



でもこの番組は北海道で生まれたから、諸君は、幼なじみの友だち、という間柄ではないでしょう。でも私は、北海道からやって来た転校生に、最初に声をかけてくれた、涙が出るほどうれしい友だち、そんな間柄であると、勝手に思っています。



キミたちは、この1年を、どう過ごしていましたか。



ずいぶん遅くなってしまったけれど、勝手に親友と思っているキミたちに、ようやく会いに行こうと思ってます。



一緒に、酒でも飲みましょう。



日曜日に女川の総合運動場で開かれるイベント「女川町復幸祭」でお会いしましょう。




高橋くんの家は、その後、「女川で生き残っている数少ない会社ですから」と、女川の人たちを新たに従業員に雇っているそうです。無理をして。



でも、「高政」が作っている蒲鉾は、バカみたいに肉厚で、バカみたいに美味しいです。女川に来て、たくさん食べたほうがいいですよ、これは。















という事なんですが、18日は予定があって行けないんだよなぁ…ダウン



行ける方は是非ニコニコ

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