子どものタナトフォリックという致死性の

病名の宣告受けて、5日経ちました。


半日以上泣いては、エコー写真見て。

また号泣して。

その繰り返し。

でも、私の中で、決まった事。

それは。


中期中絶を受けようと言うこと。


私は一人っ子。並びに身体が143cm。

自分の子供にはきょうだいは作ってあげたいと、ずっと考えていました。

なので、満期で産んでも、延命治療を望まないのならば。巨頭傾向もあるということもあり、身体の負担も考え、今、このタイミングでお別れしようという。自論の結論に至りました。


賛否両論あると思います。

ちゃんと産んで、延命治療しながら育ててる方もいます。でも、色々調べて。今後のことも踏まえて。

これが、私のベストアンサーになると、信じたい。


別れたくはないです。


今だって、先生の見間違いで、なんの病気もなくこのまま産めるって思いたくて仕方ない。


でも、何度もエコー写真見て。

数値見て


紙に長さ書いて切って、今の子どもの状態を実際の形と同じように作って平均値と比べて確認して。


旦那とできた人形を見て。


本当に、手足が短過ぎていることを実感して。


腹部と胸郭の差も確認して。


病気が有ると言う事実を再確認して。

また泣いて。


本当に。弱い母で申し訳ないと。お腹の子に何回も謝って。


正当化したい訳ではありません。

正当化なんていらない。

私は間違いなく、今後の事を考えて、この子に別れを選択したと言う事実は代わりません。

ずっと背負っていきます。

ずっと忘れない。

私達の大事な子。


受精卵の時から飛び抜けて元気な子だった。

不安になりながらも、夢?だったのか。不思議だけど、【そら】と名前が出てきて。その日からずっと【そら】と呼んで。

病院行くたび心臓が動いてる事に 、生きてることに安堵して眺めたエコー写真。

でも、ふと、何枚かのうちの、1枚のエコー写真見た時

この子、大丈夫だよね?と何故か強烈な不安にかられた時もあった。

今思うと、知らないうちに悟っていたのかもしれない。こうなる事。でも、認めたくないから、知らないフリした。考えないようにした。


元々、私は強く印象的に感じた【勘】が外れたことがなかった。

ひいおばあちゃんが倒れた時も。

母が出ていく時期も。

母方のおじいちゃんが亡くなった時も、

11年前の地震の時も。

結婚して子供がなかなか子供ができないでいた時も。

化学的流産した時も。

どの時も、強い不安感?と言うのか。

釈然としない嫌な感覚に襲われる。


こんな予測。当たらない方が1番なのに。

本当に。

自分の人生呪いたくなる。