もう20年も昔のことになるだろうか。都市計画を専門とする教授とともに、北海道のある町に講演によんでもらったことがあった。
 もうひとりの教授は、講演の中で森に囲まれたその町を「暮らしや子育てに理想的な環境です」と絶賛した。聴いていた人は拍手喝采。そのあとに登場した私は、「この町にも心の悩みを抱えた人、生きづらいと感じる若者もいるかもしれません。それは当然です」と話してしまった。町の人たちをがっかりさせたかもしれないな、とちょっと心配だった。
 講演が終わって会場を出ようとしたとき、数人の男女が近づいてきて小さな声で言った。
 「私たちの子どもは不登校なんです。ときどき集まって、都会でもないのにどうしてこんなことに、と語り合ってました。先ほどの話で、『そういう人がいても当然』と言ってもらえてホッとしました」
 帰りの時間が迫っていたので長く話はできなかったが、私はごく短くこう伝えた。
 「自分を見つめ、いまを生きる人にとって、まわりの環境が自然いっぱいか大都会かは実はあまり関係がない。テレビやゲームは全国みな同じ。不登校もうつ病もどこにでもあたりまえにあります」
 この考えはいまも変わっていない。北海道の診療所で働いて「みんながんばってるな」「大地に向き合って暮らすっていいな」と思うことも多いのだが、中には「これからどう生きていけばいいんだろう」という若者、「学校になじめない」という子どもだっている。ネットの中にしか居場所がない、という人もいる。都会ならそういう人たちがそっとひとりになれるカフェや書店があるが、自然いっぱいの町にはそれがない分、むしろしんどいかもしれない。
 「生きづらい」のはつらい。でも、この時代に「生きづらい」と思うのは決しておかしいことじゃない。まずはそれをわかってほしい。(かやま・りか 精神科医、総合診療医)

2024年7月6日 4:00北海道新聞どうしん電子版より転載