記者(57)の母(84)が認知症と診断されたのは5年ほど前です。症状は予想を超える早さで進みました。札幌市西区の一軒家で父(87)の介護を受けながらの2人暮らしは難しくなりました。今は市内の介護老人保健施設で生活しています。母の心身の変化や家族の葛藤、時々のさまざまな失敗が読者にも将来、役立つのではないかとの思いから、記者が自らの体験を毎月1回、振り返っています。13回目は、介護を担う家族を襲った精神的なストレス、メンタルの不調を取り上げます。(くらし報道部デジタル委員 升田一憲)

 

<前回のあらすじ>2021年10月、右膝の状態が悪くなった父は手術で、9日間入院することになった。母を1人、家に置いておくわけにもいかず、介護保険サービスの一つ、ショートステイを初めて利用した。母は入居者とトラブルを起こすことなく無事に過ごすことができた。ただ、施設側が薬を間違えずに飲んでもらうため、袋に母の名前を書いたことで怒ってしまった。
 母がショートステイを終え、実家に戻って約2週間後のことだった
 「交通事故を起こしてしまった」
 21年11月10日の夕方。たまたま実家に電話すると、父は驚くべきことを言い出した。物損事故を起こしたという。幸いけがはなかった。
 「今日は仕事を早めに済ませたら、そっちに行くから」。そう手早く伝え、電話を切った。「とうとう起きてしまったか」。

東京・池袋で起きた事故を伝える当時の北海道新聞記事

 

 



 19年に東京・池袋で高齢者の暴走事故が発生するなど、高齢ドライバーによる交通事故が社会問題となっている。アクセルとブレーキを踏み間違え、スーパーやコンビニエンスストアに突っ込んでしまう例が多い。身内に高齢者がいて、そんなニュースに接するたび、胸がざわっとする人は多いのではないだろうか。
 父は当時84歳。スピードを出すことが気になっていた。運転免許証を返納させたいと思っていたが、正面から切り出せないままでいた。父の性格から私が言ったところで、「反対されるに決まっている」と思っていたからだ。
 もやもやを払拭(ふっしょく)できないまま自家用車を運転し、実家に向かった。居間のドアを開けると、父はソファに横たわっていた。事故のショックのせいか少しうなだれ、意気消沈しているように見えた。あらためて何が起きたのか聞いた。
この後、事故を起こした状況を詳しく聞き、家族の対応などを紹介します
 父はこの日、歯科クリニックを予約していた。差し歯が緩くなったので、治療してもらうためだった。クリニックは中央区中心部、西区の実家から車で片道30分ほどかかる。家には母を1人で残していた。

父が交通事故を起こした現場付近=札幌市中央区(画像の一部を加工しています)



 父は1時間ほどで治療を終えた。1人で車を運転し帰宅する途中に、事故は起きた。父は片側2車線の左側を走っていた。「前方に車が駐車していたのでとっさに右側に移ろうとハンドルを切ったとき、前を走っていた車の左側面をこすってしまった」という。ぶつけられた男性もけがはなかった。運転席から出てきた父があまりにも青白い顔をしていたためか、相手の男性は父に「大丈夫ですか」と心配して声をかけてくれたという。父はすぐに損害保険会社に連絡。男性の車について修理や代車の手配なども済ませたとのことだった。
 それにしてもなぜ前方を十分に確認せず、右側車線に進路変更したのか。
 私「前の方を走っている車が見えなかったのかい」
 父「ちょっとボーッとしていた。疲れていて、意識がもうろうとしていたかもしれない」
 当時の状況を聞くと、歯の治療で麻酔などは使っていなかったようだ。「時間がかかってしまい、家にいる母さんのことも心配になっていた。早く帰らなきゃと焦っていたかもしれない」と言った。

 

母がいつも座っていたソファ

 この日は1時間ほど父とやりとりした。私の右隣には母がソファに腰掛けていたが、一言も発しなかった。時折、母に顔を向けると「うん、うん」とうなずくしぐさをしたが、2人の話を理解しているようには見えなかった。私は父の落ち込みが激しいので、「今日は早めに床に入り、ぐっすり寝た方がいいよ」と言ったが、父はよく「この頃、よく眠れていない」と返した。私は内心、困ったなあと思ったが、いい考えがその時は思い浮かばなかった。
■説得できなかった免許返納
 私は自宅に戻って妹(55)に電話をした。事故の内容をざっと伝えると妹はこうまくし立てた。
 「今回はけが人が出なかったから、よかったかもしれないけど、人をはねていたら取り返しがつかないよ。これから病院の送り迎えや買い物は私が連れて行くから。そうだ、家に宅配してくれるサービスを使ったらいいわ。とにかく免許証の返納が先決よ。お兄ちゃんから説得してよ」
 妹の指摘はその通りだと思った。この事故が運転免許証を返納してもらう、よい機会になるのは間違いない。しかし、私はこの説得は極めて難しいと思った。実に情けない話だが、妹から返納の話を父に持ちかけてもらうことをお願いし、電話を切った。
 

高齢者に運転免許証の自主返納を呼び掛けるチラシ、パンフレット

 翌日、妹から連絡が来た。「どうだった?」と聞くと「全然ダメ。お父さん、カリカリしていて、電話を切られちゃった」。
 妹がそれ以上に憤慨していたのは、車のディーラーの対応だった。今回の事故で父の車もバンパーなどを破損したため、既に修理を依頼していた。車の販売店の担当者が修理ではなく、新車の購入を提案し、見積書を持ってくるという話を父から聞いたというのだ。
 「もう、80過ぎの高齢者にだよ。新車を売りつけようなんて。なに考えてんの。あったま、来た」
 妹がこれほど怒りをあらわにするのは初めてだった。あっけにとられて聞いていた。妹はその後、販売店に電話したようで、折り返し、連絡があった。
 「がっつり、言ってやった。もちろん、購入なんてなし。修理は傷が目立たなくなる最低限の修理でいいって」。妹の興奮はしばらく収まりそうもなかった。
■父の負担も極限に
 思い起こすとこの頃、認知症が進んだ母の介護で、父の負担は確実に増していた。いままで出来たことが、出来なくなっていった。

 

実家の洗濯機。洗い物が増え、父の負担が増していった

 母が粗相を初めてしたのもこの頃だ。トイレに行けばズボンを下げて用を足すという一連の動作に手間取るようになった。母はボタンを外し、チャックを下げるという行為に時間が掛かるようだった。きちんと用を足せる日の方が多かった。ただ、失敗すると当然、洗濯物がたまり、父の負担が増える。
 母は食べ物を粗末にするのが嫌いな性分だった。実家での食事作りは父も手伝うようになったが、2人の食も細くなり、おかずを食べきれず、冷蔵庫にしまう頻度が増えた。野菜や肉などを買っても早めに使い切れず、腐らせてしまう。悪くなった食材はすぐに処分すればいいが、母は捨てることを極度に嫌った。父は「悪くなったものも気にせず口に入れる。注意して見ていないといけない」と漏らすようになった。
 父は、内科クリニックから睡眠薬(睡眠導入剤)を処方してもらうようになった。しかし、よく合わなかったのか、眠れない日が続いた。昼間は居間のソファでうたた寝していることが多くなった。「昼間に寝ちゃうと夜、眠れなくなるよ」と言っても、持病の腰痛のためウオーキング、散歩などをするのは難しかった。当然、運動不足は否めない。悪循環が続いた。
 当時の父の表情を振り返ると明らかに覇気がなく、ボーッとしていることが多かった。食欲がなく、ささいなことで怒り出す。「楽しみが何もない。何をしても楽しくない」と言うようになった。気分の落ち込みが長く続いているため、うつ病を疑った。専門病院に行ってしかるべき治療を受けるべきだと思い、受診を強く勧めた。しかし、父は頑として拒否した。「必要ない」の一言で片付けられた。

 

新聞の天気欄。新聞を頼りに脳トレをよく行った

 この頃、私は実家に行って母を散歩に連れ出し、新聞を一緒に開き、文字をたどるなど脳トレのままごとみたいなことをしていた。「とにかく母の認知機能を回復させたい、何とか現状を維持させたい」の一心だった。母を優先するあまり、父への配慮や気配りができていなかった。実家で1人、介護に当たる父の苦労に思いが至っていなかった。
■家族の声が分からなくなった母

 

どうしたものかと、不安な思いを巡らせている時、衝撃的な出来事が起きた。
 21年11月17日の夕方のこと。いつものように自宅に電話すると、母が出た。
 私「俺だよ。母さん、どう。元気かい」
 母「えっ…」
 私「カズノリです。カ、ズ、ノ、リ」
 母「カズノリさん? 私、分からなくて」
 「えっ! 母さん、俺の声が分からなくなったのかい」。私は心の中で声を上げた。
 

2階に通ずる実家の階段。父が2階にいると母は電話の子機を持っていった

 これは私にとっては相当に大きなショックで、思い出すたびに涙が出そうになる。いずれこうなる時が来るとは頭で理解していたつもりだったが、いざ現実に直面し、狼狽(ろうばい)した。ここまで認知機能が低下するものなのかとも思った。母はその後、電話に出ても、声の主が理解できないため、コードレスの電話機を父にそのまま手渡すようになった。父が2階の自室にいるときは、「夫に代わりますから」と言って、子機を持って父をうろうろと探し回るのだった。「はあ、はあ」と言いながら階段を上がり、「キー、バタン」と戸が開く音が電話から漏れる。父から「だれからだい」という声が聞こえてくるが、母は「ほれっ」と言って父に手渡すのだった。
 母の置かれた事情を知らない親戚などがたまたま実家に電話をして母の豹変(ひょうへん)ぶりに驚き、泣き出す人もいた。母は最終的には電話に一切出なくなった。電話が鳴ってもどういう意味か理解できなくなった。

 

 

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高い数値が記録された血圧

 そうこうするうちに私も気分的に落ち込むことが増えた。常にイライラして、ネガティブなことばかり考える。仕事中もため息が出る。夜、布団に入ると、その日の嫌なことが繰り返し思い出され、そこから意識を抜け出せない。私は高血圧症で降圧薬を毎日服用しているが、当時の血圧手帳を見ると、通常よりも高くなっていた。ストレスが多分に影響しているのは間違いなかった。「さすがにこれはまずいぞ」と思った。
■思い切って産業医に相談
 私は会社の産業医に連絡した。かつて仕事上のストレスからかメンタルの不調を起こしたことがある。それ以来、何度も相談に乗ってもらった。

 

 

海外旅行で訪れたオランダ・キンデルダイクの風車

 メンタルの不調改善に良いのは環境を変えることだ。産業医からは仕事をいったん離れ、休息することを強く勧められた。コロナ前の2019年秋、私は10日間の休みをもらい、妻(54)と欧州を旅行した。オランダやベルギー、ドイツの世界遺産、美術館などを巡った。おいしい食事を楽しみ、夢のような毎日が続き、その時は嫌なことを忘れることができた。
 介護でストレスを抱えた時、どうすればいいのか。産業医からは気の持ちようや、ちょっとしたコツ、心構えなどを教わった。
 「升田さん、嫌なことがあってそのことばかりを考えていたら、心が疲弊し消耗してしまいます。普段からストレスの軽減を考えましょう。楽しいこと、好きなことにもぜひ目を向けてください。ほどよい運動や散歩も気分転換にいいですよ」

 

ストレスの度合いも数値でチェックできるスマートウオッチ

 取材の移動は、なるべく歩くことを心掛けた。1日1万歩以上を歩くことを自らに課した。体が疲れていると午後11時も過ぎれば自然と眠くなる。週に何日かでもぐっすり眠れることは気分的に楽だった。スマートウオッチでストレスチェックした。しかし、そう単純にストレスが消え、開放されるものでもなかった。介護の負担は増し、家族の気持ちを時折めいらせた。


 毎月1回、月末の土曜日に配信しています。次回は、母がようやく行き始めたデイサービスでの出来事を中心に取り上げます。併せて記事へのご意見、ご感想をお待ちしています。名前と連絡先を書いてkurashi@hokkaido-np.co.jpへお寄せください。


 升田一憲(ますだ・かずのり) 1966年9月、小樽市生まれ。大学卒業後、3年勤めた銀行を辞め、1994年に北海道新聞社に入社。帯広、室蘭、東京などでの勤務を経て2020年3月から、本社くらし報道部。シニアのセカンドライフや高齢期の課題、お墓や葬儀などのテーマを中心に取材している。
2024年6月29日 10:00(6月29日 12:10更新)北海道新聞どうしん電子版より転載