妊娠中に染色体異常などお腹の子の障害や病気を調べる出生前診断。障害が判明すると、命をめぐる重い選択に向き合うことになる。14年前、香川県高松市の川井真理さん=仮名、当時43歳=は、2人目の子どもの妊娠時に出生前診断を受け、胎児に障害が判明した。1人目の長男にも障害があったため「障害がある子を、2人は育てられない」と、当初は中絶するつもりだった。だが「私がこの子の心臓を止めていいのか」と悩み抜いた末、長女を出産した。これまでの子育てで川井さんは何を感じ、どう考えてきたのか。10年以上前に取材した筆者が、その後の思いを聞こうと再び訪ねた。(共同通信=船木敬太)

川井さん(仮名)を担当したクリフム出生前診断クリニックの夫律子院長(本人提供)

 

 ▽「今でさえ大変なのに」でも中絶にもためらい

 川井さんを初めて取材したのは2013年。出生前診断をめぐり、当事者である母親たちから体験を聞くためだ。当時、長男の隆也さんは6歳、長女の久美さんは2歳だった=いずれも仮名=。

 久美さんの染色体異常は、2009年に受けた出生前診断で判明した。夫=当時40歳=はそれでも出産に前向きだったが、川井さんは長男の隆也さんに障害があったため、中絶するつもりだった。「今でさえ大変なのに、同じように障害がある子が生まれたら、長男の世話もできなくなってしまう」と考えたからだ。双方の実家も「産まない方がいい」という意見だった。

 ただ、川井さんはすぐに中絶を決断することもできなかった。超音波検査のモニター画面で動くわが子の心臓をみて「私がこの子の心臓を止めていいのか。こんなに元気に動いているのに」とためらっていた。

 ▽夢か現実か、聞こえてきた声に出産を決意

 母体保護法で中絶が認められるのは妊娠22週未満。毎日のように泣いて、悩んでいた川井さんを変えたのは、そのタイムリミットまで3日となった、ある眠れない夜だった。夢か現実かも分からないが、どこかから「今度はちゃんと産んでね」という声が聞こえたという。

 実は川井さんには、長男が生まれる前に女の子を中絶した経験があった。妊婦健診をきっかけに、その後の検査で胎児の脳の異常が判明。「非常に症状が重く、妊娠を継続できるかも分からない」と告げられ、やむなく出産を諦めた。

 そして、またお腹に宿して産むか悩んでいるのも女の子。かつて産めなかったわが子に告げられたような思いがしたという。「今度は諦めたくない」と、出産に大きく傾いた。タイムリミットの前日、それまで反対していた川井さんの母が根負けしたように「悩んどるってことは、本当は産みたいんだろう。産みたかったら産めばいい。『この世のことはこの世で』っていうしな」と認めてくれ、決意した。

 ▽話せない子に願う「いつか母さんと呼んで」

 2010年春、久美さんを出産。親友からは「これから大変だ。わざわざ苦労を抱え込まなくてもいいのに」と心配されたという。

 かつて取材した際、川井さんは就学前の子どもたちを見つめながら「いつか『母さん』と呼んでほしい。『かあ』でもいい」と、切実な思いを話してくれた。2人とも重い知的障害で、言葉が話せないからだ。兄妹はそれでも仲が良く、川井さんは「妹が泣くと、兄が手を差し伸べるような仕草をして落ちつかせる」と教えてくれた。

 「親も友達も、私に『苦労ばかりして』と言う。確かに大変だし、心配もいっぱいあるけど、苦労と感じたことはない。子どもたちは神様がよこしてくれたんだから、笑って、頑張って、育てる」。そう意気込んでいた。

 ▽仲良くしてくれた地域の子どもたち

 それから10年あまりが経過した2024年。川井さんに「その後」について改めて取材させてもらった。「あの時は肩に力が入っていたのですが、今は自然に子どもたちと向き合おうと思っています」。川井さんは笑顔で、子ども2人の成長と当時の決断について、思うことを話してくれた。

 隆也さんは人数が多い場所が苦手だったため、小学校入学時から特別支援学校に通った。今は高等部。少しずつだが、身の回りのことができるようになってきているという。来年には卒業し、障害福祉サービス事業所に通う予定だ。

 久美さんは「地域の子どもたちと一緒に育ってほしい」との願いから地元の小学校に入学させた。話せない久美さんにはハードルが高かったが、1年近く前から学校側と何度も相談を重ね、特別支援学級に受け入れられたという。川井さんは「子どもたちには、本当に仲良くしてもらった」とうれしそうに話す。

 4年生から学校のカリキュラムが難しくなり、久美さんは特別支援学校に編入したが、その後も双方の学校の先生たちが話し合って、以前の地元の小学校と年数回、交流する機会をつくってくれた。

 ▽支えてくれた同級生やママ友、時にはつらい思いも

 川井さんには強く思い出に残っていることがある。久美さんは小学4年生の秋、久しぶりに以前の学校を訪れた。川井さんも付き添っていたが、久美さんは同級生との再会に興奮してしまい、授業で思わず大きな声を上げてしまったという。そのとき、隣に座った女の子が自分の手を久美さんの手の上に重ね、優しくトントンとしてくれた。久美さんはそれで落ちつき、静かになった。

 「なにか言葉をかけたわけでも、強く言い聞かせたわけでもない。手のぬくもりと、寄り添ってくれる心が伝わってきたんだと思う」と振り返る。

 もちろん、2人の子育てはうれしかったことばかりではなく、大変なこともあった。自由に動き回る子どもたち。夫が休みでなければきょうだい2人を一緒に連れ出せない。家族での泊まりがけの旅行も難しい。川井さんは「一度、行ってみたい」と、しみじみと話す。地元の小学校でも全てがうまくいったわけではなく、久美さんができないことを一つ一つ先生に厳しく指摘され、つらい思いをしたこともある。久美さんが課題にぶつかるたびに、学校側と話し合いを重ねた。

 それでも、支えになったのは、障害がある子どもがいるママ友たち。困り事を互いに相談できたほか、時には子育てに行き詰まって悩んでいる川井さんを察して、子どもを預けられるように手配してくれた上で、地域のお祭りに誘ってくれたこともある。「共感してくれるだけでも助かったが、アドバイスもくれて、話をしているうちに自分の気持ちを整理できた。孤立せずにすんだ」と、振り返る。

 ▽出生前診断「真剣に向き合い、カップル同士で考えて結論を」

 当時、出産する決断をしたことについて、今改めてどう思うか質問すると、川井さんははっきりした口調で「大変なこともあるけど、娘がいない人生を想像できない」と話す。

 出生前診断を巡っては、従来からある羊水や絨毛(じゅうもう)を採取しての検査に加え、2013年に採血するだけで3種類の染色体疾患を判定する「新出生前診断」(NIPT)が導入された。妊婦の高年齢化もあって関心を持つ人は少なくないが、妊娠した場合、受けるかどうかの選択を迫られることになる。

 川井さんは「出産する決断をするのも、しないことを選ぶのも、どちらも簡単なことではない」と強調する。どちらの選択をしても、お腹の子の命や人生と向き合うことになるからだ。

 川井さんが出生前診断を受けたのは大阪市にある胎児診療の専門医院「クリフム出生前診断クリニック」。出生前診断を経験した当事者による集会が開催され、川井さんも出席したことがある。

 クリニックの夫律子(ぷぅ・りつこ)院長は、産むのを諦めるケースも含め多くの家族を担当してきた。「産む、産まないのどちらでも心の底から真剣に向き合い、カップル同士で考えて結論を出すことが大事だ」という姿勢だ。川井さんもその考えに共感している。「産む、産まないのどちらかが正しかったり、間違いだったりするわけではない」と話す。

 ▽「普通の子と見られたい」娘の障害を隠したことも

 川井さん自身は、出産を選択したことを後悔していない。「悩みに悩み、考えに考えた末、産もうと決心した。何が正解かわからず不安でいっぱいの中で命と向き合って出した結論だったが、娘に会えて良かった」と振り返る。

 一方、かつて中絶した経験や、久美さんを産むか悩んだ過去から、出産を選ばない人の気持ちが分かる部分もあるという。実は、久美さんを産んだ後も葛藤があった。1年ほどは、親と親友以外には、娘の障害を隠していたのだ。「娘に障害があることを分かって産んだが、それでも周囲に『普通の子』と見られたかった。当時は複雑な思いがあった」と明かす。

 ▽「不幸になると決まっているわけではないし、そう決めつけないでほしい」

 今は2人の子育てを経験して、娘が生まれてきて良かったと心から思える。そして地域の中で自然に受け入れてもらい、暮らしていきたいと望んでいる。だから、久美さんが地元の小学校に通ったときの同級生たちが、スーパーや近所の道路などで会った際、声を掛けてくれたり、手を振ってくれたりすることが何よりうれしいという。「地域の中で、私たちがここで生活していると、ちゃんと認識されている」と感じるからだ。「障害がある子を産んだからといって不幸になると決まっているわけではないし、そう決めつけないでほしい」と訴える。

 川井さんがずっと胸に抱え続けている「わが子がいつか母さんと呼んでほしい」という願いは、今もまだかなっていない。「時々、話さないかなと思って、呼びかけているんですけどね」。将来、「母さん」と呼んでくれるかまだ分からない。正直、難しいかもしれないとも感じる。それでも子どもたちの笑顔を見て、日々の幸せを感じているという。

 「これまでの決断が正しかったのか分からないし、先のことも見えないけど、今日の幸せの積み重ねが将来につながっていくと思って、日々を楽しく生きていこうと思っています」

スマートフォンで動画を見る久美さん(仮名、手前)と川井さん(仮名、奥)=2024年2月、高松市

久美さん(仮名、左)と隆也さん(仮名、右)は仲が良く、一緒にいることも多い=2024年2月、高松市

川井さん(仮名)は子育てを振り返り『娘がいない人生を想像できない』と話す=2024年2月、高松市

2人の特別支援学校の制服、隆也さん(仮名)は高等部、久美さん(仮名)は中学部に通う=2024年2月、高松市

2024年6月22日 13:06(6月22日 13:12更新)北海道新聞どうしん電子版より転載