沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした日米双方の約20万人をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。旧日本軍による組織的戦闘が終わった日とされ、今年で79年。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で、不戦を誓い、恒久平和を願う沖縄全戦没者追悼式(県など主催)が営まれる。式には岸田文雄首相や玉城デニー知事らが参列。

 政府は台湾有事などを念頭に、沖縄を含む南西諸島での防衛力強化を続けており、今年3月には陸地から艦艇を狙う地対艦ミサイル部隊を沖縄本島に初めて配備。戦時の記憶と重ね、懸念を深める県民は多い。

 式では正午に1分間黙とう。沖縄県立宮古高3年仲間友佑さん(18)が、自作の「平和の詩」を朗読。国籍や軍民を問わず、戦没者の氏名を刻んだ公園内の石碑「平和の礎」には今年新たに181人が追加され、計24万2225人となった。

 沖縄戦は多くの住民を巻き込んだ熾烈な地上戦により、県民の4人に1人が犠牲になった。米国は戦後の統治下、多数の基地を整備。沖縄県内には今なお、国内にある米軍専用施設の面積の約7割が集中し、米軍が絡む事件や事故が相次ぐ。

 沖縄戦 太平洋戦争末期の1945年3月26日、米軍が沖縄・慶良間諸島に上陸して始まった地上戦。4月1日には本島へ上陸した。南西諸島の防衛を担う旧日本軍第32軍は5月下旬、拠点の首里(那覇市)から南部への撤退を決め、持久戦を継続。南部にいた多くの住民が巻き込まれた。組織的戦闘は6月23日に終わったとされる。日米全体で約20万人が死亡。機密漏えいを恐れた日本軍による住民虐殺や、捕虜にされないよう住民が命を奪い合う「集団自決」も発生した。

沖縄戦犠牲者の氏名が刻まれた「平和の礎」に供えられた花=22日午後、沖縄県糸満市の平和祈念公園

2024年6月23日 5:41(6月23日 5:46更新)北海道新聞どうしん電子版より転載