【江別】明治時代に樺太(サハリン)から対雁(現江別市)に強制移住させられ、疫病などで多数の犠牲者が出た樺太アイヌ民族をしのぶ行事が15、16の両日、市内で相次いで行われた。江別市営墓地で墓前祭が営まれたほか、犠牲者の過去帳が残る真願寺では樺太アイヌ協会のメンバーが講演。先人の苦難に思いをはせた。

 1875年(明治8年)の樺太千島交換条約締結を受け、日本政府は樺太で暮らすアイヌ民族のうち841人を宗谷地方に移住させ、翌年、対雁に移した。その後、コレラや天然痘の流行で約350人が亡くなり、この地に埋葬された。

 墓前祭は15日、市営墓地にある「対雁の碑」の前で行われ、関係者約60人が出席した。僧侶の読経に続き、樺太アイヌ協会がアイヌ民族式の供養を行い、先祖に果物などをささげた。あいさつで同協会の田沢守会長は「樺太アイヌは本来の生活を奪われた。元の生活ができる環境を返してほしい」と訴えた。

 講演会(真願寺主催)は16日に行われ、市民ら約80人が参加した。同協会の楢木貴美子副会長が、故郷を追われて強制移住させられた歴史などを紹介して「胸が痛くなる」と語った。

 墓地に埋葬された樺太アイヌ民族らの遺骨が持ち出され、大学などに保管されている問題についても触れ、「早く生まれ故郷に返してあげたい」と思いを語った。

 講演後には伝統舞踊のホリッパ(輪踊り)などが披露されたほか、エゾシカの肉を使った汁物「オハウ」やカボチャや木の実などの混ぜ煮「ラタシケプ」といった伝統料理の試食も行われた。

 ☆「ラタシケプ」の「シ」と「プ」は小さい字

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江別市営墓地で行われた墓前祭で、伝統衣装を身にまといアイヌ式の供養を執り行う参加者

真願寺で開かれた講演会。弦楽器「トンコリ」を演奏しながら伝統舞踊を紹介する楢木貴美子さん(右)

2024年6月17日 22:04(6月17日 22:24更新)北海道新聞どうしん電子版より転載