国内の認知症の人は2022年に約443万人いて、60年には65歳以上の5.6人に1人がなるとの推計もある。今や誰もがなりうる病気だ。全国組織の「認知症の人と家族の会」は全47都道府県、北海道には「北海道認知症の人を支える家族の会」(計38支部)があり、認知症の人が安心して暮らせる社会を目指して、地道な活動を日々続けている。道内で最初に誕生した「札幌認知症の人と家族の会」は6月、結成から40年を迎えた。(くらし報道部デジタル委員 升田一憲)

「札幌認知症の人と家族の会」が主催したイベント「認知症のひろば」の相談会=2022年11月

「札幌認知症の人と家族の会」の事務室=札幌市中央区のかでる2・7

 札幌市中央区の北海道庁そばにある複合ビル「かでる2・7」。2階に「札幌認知症の人と家族の会」の事務室があり、毎週火、水曜日に会員が集まる。作業机の一角には親子電話が置かれ、寄せられた相談に会員のだれかが耳を傾ける。通話が1時間を超えることも珍しくない。直接ここに訪れることもでき、介護者は気軽に相談できる。

結成40周年の記念講演会に向け、案内などの発送準備に追われる会員

6月上旬に訪れると、約20人の会員が、同月30日に開く結成40周年の記念講演会に向け、チラシを印刷したり、封筒に宛名の書かれたシールを貼ったりと準備作業に追われていた。
 会員の大半は認知症になった家族らの介護経験者だ。一方、今も介護の合間を縫って駆け付ける人もいる。「自らの経験を少しでも多くの人に役立てたい」と無報酬のボランティアで取り組む。

パソコンで作業に当たる会員の鈴木高雄さん

鈴木高雄さん(65)=札幌市中央区=は生まれも育ちも東京の元エンジニア。釧路や旭川、苫小牧を転勤するうち北海道を気に入り、札幌をついのすみかと決めた。15年、55歳で早期退職し、「そろそろ第二の人生を」と考えていた時、11歳上の妻(76)がアルツハイマー型認知症と診断された。
この後、鈴木さんが取った行動や、「札幌認知症の人と家族の会」の取り組みなどを紹介します
 鈴木さんは当時、認知症についての知識がほとんどなく、すがる思いで札幌市主催の「男性介護者の集い」に参加した。会場にはオブザーバーとして「札幌認知症の人と家族の会」の会員もいた。それが縁で会員から時折電話をもらい、さまざまな相談に乗ってもらった。
■今度は私が恩返しの番
 半年後、鈴木さんは妻と2人で「札幌認知症の人と家族の会」の事務室を訪ねた。「会員の方が気を利かして、妻を散歩に連れ出してくれました。私はじっくりと相談することができ、とてもありがたかったです」

事務室で打ち合わせをする「札幌認知症の人と家族の会」の会員

以来、鈴木さんは介護で困りごとがあると頻繁に事務室に顔を出し、相談に乗ってもらった。
 「認知症の人の症状はさまざまで、初期から中期、後期の過程で現れる症状も異なる。その時々で使える介護保険サービス、事前の準備、心構えなど、経験者ならではの体験談を聞くことができた。すべてうまく行ったわけではないが、話をしてすっきりした気持ちで帰ることができました」
 その後、鈴木さんの妻は認知症の症状が進み、特別養護老人ホームへ入居した。自宅で1人暮らしとなった鈴木さんは、空き時間を「札幌認知症の人と家族の会」の活動の時間に当てられるようになった。
 「いくつもの胸のつかえを取ってもらった。今度は私が恩返しをする番です」
■「家族の会」の始まりは京都

認知症の人と家族の会」が発行している手引、ガイド

公益社団法人「認知症の人と家族の会」の前身である「呆(ぼ)け老人をかかえる家族の会」が日本で最初にできたのは1980年、京都だった。当時は認知症という言葉はなく、「呆け」「痴呆(ちほう)」などと呼ばれた。認知症の人だけでなく、支える家族への配慮も決して十分ではなかった。介護者らが連携して情報交換し、社会にも発信しようと活動が始まった。
 当初、全国組織にする考えはなかったが、介護をする家族が集まって話し合う場の大切さが各地に広まり、自発的に岐阜、東京、愛知、千葉などでも集いが開かれた。14年に沖縄県で結成され、全47都道府県に支部が生まれた。
 札幌で「家族の会」の前身が誕生したのは、1983年に北海道社会福祉協議会が主催した社会福祉講座の講演会がきっかけだった。当時、岐阜県の支部で代表を務めていた敷島妙子さんが講演した。

「1人でも多くの人が穏やか介護をしてほしい」と話す飛嶋弘子さん

会場で話を直接聞いた「札幌認知症の人と家族の会」の前会長の飛嶋弘子さん(84)=札幌市北区=は「敷島さんが言った『介護者同士が励まし合い、心を癒やすためのつながりの場が必要です』という言葉に共感しました」と振り返る。飛嶋さんは当時、祖母の介護をしていた。道社協などの呼び掛けなどもあって、札幌で有志の会を立ち上げる機運が盛り上がった。年明けの84年1月に準備会を開き、同年3月に設立総会を開催、会員17人からスタートした。
 主な活動は電話での相談、会報発行をはじめ、介護の悩みを話し、相談する催し「つどい」を区民センターなどで年10回ほど開く。

講演会の開催準備を進める事務局長の大内小百合さんサイドバーでクエリ検索

講演会の開催準備を進める事務局長の大内小百合さん

事務局長の大内小百合さん(73)は20年ほど前、認知症になった義母の介護をきっかけに「札幌認知症の人と家族の会」に相談した。当時、対応に当たった飛嶋さんから「一緒に考えていきましょう」と声を掛けられた。「祖母への接し方や言葉のかけ方など細かなニュアンスも含め、いかに穏やかに接するのが大切かを学んだ。おかげで気持ちが楽になった」と振り返る。
■高齢化にはあらがえず
 今や新聞、テレビで認知症という言葉を聞かない日はないほどだ。認知症に関する知識や情報をまとめたサイトも簡単に閲覧できる。「札幌認知症の人と家族の会」以外にも地域包括支援センターや区役所の保健福祉課など相談できる窓口は増え、認知症を取り巻く環境は変わった。
 一方、高齢者が高齢者を介護する「老老介護」、離れた場所で暮らしながら親の生活をサポートする「遠距離介護」が増えるなど、家族形態が多様化するのに伴い、認知症の家族が抱える課題は複雑化し、負担も増している。「札幌認知症の人と家族の会」は、認知症の人を介護した家族が集い、悩みやストレスを軽くし、元気になる場でもある。存在意義は決して揺るがないものの、若い世代も含め、当事者以外の関心はおおむね低い。

「男性介護者のつどい」にオブザーバーとして参加し、話に耳を傾ける大野孝さん(画像の一部を加工しています)
会員の高齢化という厳しい現実にも直面している。「札幌認知症の人と家族の会」の会員は、2005、06年には300人を超えたが、現在は250人前後で、会を中心的に支える人は70代、80代が多く、高齢化が進む。
 親の介護が始まる40代後半~50代は働きざかりで会の運営にかかわるのが難しい。家族の介護をきっかけに会員になった人でも介護を終えると、会合などへの参加が遠のいてしまう人が大半だ。大野孝会長(78)は「会を今後も安定的に運営するには、介護の経験者や認知症に興味を持つ若い世代や新しい会員の参加が欠かせない」と話す。
■どこも課題は担い手不足
 「札幌認知症の人と家族の会」を含む地方の支部を束ねる「北海道認知症の人を支える家族の会」には、道央や空知など8ブロックに現在38の支部がある。地方はもっと深刻だ。活動には会員が集まる拠点が欠かせないが、場所を確保できず、自宅を開放して手弁当で続ける「家族の会」も少なくない。ボランティア団体などの役職を兼務して支える高齢者も多く、会の存続は年々困難になっている。
 近年では、名寄市、留萌管内小平町、北広島市、渡島管内八雲町、同管内七飯町、函館市(旧戸井町)にあった地方支部がなくなった。このうち北広島市の「介護者と共に歩む会」は、代表の女性(86)が不慮の事故で亡くなり後継者もいなかったため、23年に活動を終えた。女性は生前、新型コロナウイルスの感染流行で活動が極度に制限され、会の存続をどうするか悩んでいると、取材に対し打ち明けていた。
 認知症の義父の介護を機に「北海道認知症の人を支える家族の会」にかかわり、1996年から事務局長を務める西村敏子さん(76)は「会の活動を長年地域で一生懸命に支えてくれた方とお別れする機会が増えたのはとても残念なことです。しかし、身近なところに家族の会の支部があり、相談に行けるのはとても大切。次の担い手を1人でも多く増やしていきたい」と話す。

2024年6月15日 14:00北海道新聞どうしん電子版より転載