【相談】夫は軽度の自閉症スペクトラム障害(ASD)で、コミュニケーションが苦手です。帝王切開で産んだ子どもが心臓病で入退院を繰り返したことが彼のストレスにもなって、私にかなりつらく当たりました。自分本位で、その後も育児で精いっぱいな私にわがままを言ってきます。子ども好きで良いところもあるし、子どものためにも夫婦仲は良い方がいいに決まっていますが、これまでにたまった怒りや恨みが頭から離れません。出産から5年もたつのですが、このような感情とお別れする方法はあるのでしょうか?(兵庫県 主婦 38歳)
 【養老孟司先生の回答】
 妻が出産や育児で苦労している時に何もしなかった夫は、おそらく一生、文句を言われることを覚悟しなければならないでしょう。
 ▽何もできなかった私
 心理学者の菅原ますみさんが出産を経験した夫婦について調査したところ、夫が家事や育児をサポートしてくれた妻ほど、愛情に変化がなかったそうです。
 今日の価値観に照らせば、私も誇れるような夫ではありません。お産の時に病院に行くようなこともせず、赤ん坊とは自宅で対面しました。
 言い訳ではありませんが、私がこういうことになるのは、幼い頃に父親に死なれているからかもしれません。そもそも世間でいうところの父親のイメージが分からないのです。昔は家庭に社会の常識や規範を持ち込むのは、父親の役割でした。私にはそれを間近に見る経験がなかったので、父親らしい振る舞いというものが、感覚的に備わっていないのでしょう。この先もずっと女房の小言が続くのでしょうが、何もできなかった私は、それを受けとめるしかないと思っています。
 ▽夫との関係を考える
 それぞれの家庭で、さまざまな事情があると思います。あなたの夫はASDということですが、それを聞いて思ったのは「診断名が付くのも、善しあしだ」ということ。治療のためにはもちろん必要なことですが、人間関係の問題になると、すべてを「病気だから仕方がない」と考えることにつながりはしないか。いわゆる思考停止です。
 というのも、ご相談が夫婦関係に悩むのではなく、子どものために、夫への恨みや怒りをどう解消するか、という結論に向かっているからです。でも、それはきっと問題の本質ではない。夫についてすっかり諦めてしまうより、相手との関係をどう変えていくか、あらためて考えてみてはいかがでしょうか。
 ▽視野を広げて
 物事は慢性的になると「何も方法がない」と思いがちですが、視点を変えることによって道が開けることもあります。本当にあなたが夫への恨みを消したいのなら、むしろ相手を受け入れる方が近道だろうと、私は思うのです。
 母親の認知症で苦労した阿川佐和子さんが言っていました。とんちんかんなことを言われても、無理に言うことを聞かせようとするのではなく、阿川さんご自身をお母さんの世界に合わせてみた、すると、ずいぶん気持ちが楽になったそうです。
 ただ、怒りや恨みを持ち続けながら、夫婦関係をずっとこの先も維持するのはやはり難しいのではないでしょうか。どうしても受け入れられないのならば、無理に結婚生活を続けるのもどうか、と私は思います。
 いずれにせよ、あなたの今後の人生を左右する大切なことと思うので、どこかに何か糸口があるか、少し視野を広げて考えてみてください。(毎週火曜に更新)

養老孟司さん(撮影・小島健一郎)
 養老孟司先生へのご相談やご質問を電子メールでお寄せください。メールアドレスはyourousoudan@kosaido-pub.co.jpです。採用された方には図書カードNEXT2000円分をお送りいたします。詳細は廣済堂出版ホームページ、https://kosaido-pub.co.jp/yourousoudan/をご覧ください。相談内容や相談者のプロフィルは、取材や投稿を基に再構成していることもあります。
 ☆ようろう・たけし 1937年神奈川県生まれ。95年に東京大教授を退官、同大名誉教授に。専門は解剖学。脳や身体を巡る考察をはじめ、社会や文化を広く論じる。京都国際マンガミュージアム名誉館長。2003年刊行の「バカの壁」(新潮新書)は大ベストセラーに。「唯脳論」(ちくま学芸文庫)、「虫の虫」(廣済堂出版)、「まる ありがとう」(西日本出版社)など著書多数。