【佐呂間、湧別、北見】旧国鉄湧網線(網走―中湧別、90キロ)が1987年に廃線してから37年。北見市のNPO法人「オホーツク鉄道歴史保存会」が昨年11月、地域の生活を支えた湧網線の歴史をまとめた冊子を自費出版するなど、記憶を呼び起こす機運が高まっている。沿線には、当時の面影を残す鉄道公園などの施設も少なくない。過去から現在。鉄路の軌跡をたどった。(75年本紙撮影の写真以外、カラー写真をモノクロに変換しました)
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旧北見共立駅と旧土佐乗降場の間に残る橋梁跡。今にも列車が通過しそうだ=5月20日、北見市常呂町

佐呂間小学校への通学路として生まれ変わった湧網線の線路跡=5月15日、佐呂間町

夕日に向かって伸びる佐呂間町中心部の遊歩道。町民が楽しげに歩くのは、湧網線の線路跡(約150メートル)だ。町が98年、遊歩道として整備した。遊歩道脇に住む伊丹栄さん(75)は「コンビニへの近道。通学路だし、散歩している人もよく見かけるよ」。町民の日常にすっかり溶け込んでいた。
 湧網線は、大正時代から陳情を続けた沿線住民の熱意が実り、53年に全線開通した。住民の足だけではなく、オホーツク海沿岸の豊かな自然を楽しめるとあって観光客にも人気だった。しかし、自動車の普及による利用者減少、国鉄民営化による路線再編成の流れに巻き込まれ、87年3月19日に役目を終えた。

線路の枕木の間から自然と生えてきたシラカバに手をかける石渡輝道さん=5月17日、湧別町計呂地

廃線から2年後に湧別町の旧計呂地駅を活用してオープンした計呂地交通公園。管理人の石渡輝道さん(85)はこの駅から湧別高に通ったという。旧型客車を活用した宿泊施設を備え、ライダーたちを中心に全国から人が集う場になっている。新型コロナウイルス対策で宿泊客の受け入れを中止していたが、7月から5年ぶりに受け入れを再開する。「ここがあるから計呂地にみんな来てくれる。古いからこそきれいにして迎えたい」。当時の線路の枕木の間から伸びたシラカバの木を見つめながら、笑顔を見せた。

流氷を横目に常呂―網走・能取間を走る湧網線。保線作業を担った佐々木修さんは言う。「今なら観光路線になったと思う」=1975年、本紙撮影

北見市常呂町の畑の中にぽつんと残る橋梁(きょうりょう)と築堤の跡は、在りし日の湧網線を思い起こさせる。保線作業員だった同町のパート従業員佐々木修さん(80)は「車窓から流氷やハマナスが見え、風光明媚(めいび)で好きな路線だった。自分が保線していた場所が残っているのは懐かしく、うれしい」と語る。
 散策が快適なこの季節。往時に思いをはせながら巡ってみては。

 

2024年5月25日 21:29北海道新聞どうしん電子版より転載