死の話題は縁起が悪い。そう思っていませんか。でも、自分の残りの人生が見えてきたら…。札幌市内のある女性は2023年秋、主治医からがんの中でも5年生存率が低いとされる膵臓(すいぞう)がんで、余命3カ月と宣告されました。彼女はある思いを胸に、抗がん剤治療を続けています。(くらし報道部デジタル委員 升田一憲)

「ここで皆とわいわい、楽しく過ごしたい」と話す坂口きりこさん=札幌・ススキノのサリサリ市場で(伊丹恒撮影)

「サリサリ市場」のある雑居ビル

酔客が行き交う北海道最大の歓楽街、札幌・ススキノ。
 札幌駅前通から少し離れた雑居ビル3階に小劇場「サリサリ市場」はある。窓のない30平方メートルほどのフロア奥に縦3メートル、横2メートルのスクリーン。横壁には、映画のチラシが所狭しと貼られている。観客が十数人も入れば手狭という感じだ。
 劇場を主宰している坂口きりこさん(59)は、ミニシアターより規模が小さいので「マイクロシアター」と呼んでいる。商業ベースに乗りにくいインディーズ映画の上映会をはじめ、落語、演劇なども不定期で開く。

映画監督の手塚悟さんと朗読劇をする坂口きりこさん(右)

2月中旬、短編映画の上映会が開かれた。ここの魅力は、映画人も多く訪れ、製作時の逸話も気軽に聞けること。この日は短編映画を手がけた監督の手塚悟さん(41)=東京都中野区在住=もサリサリ市場に駆け付けた。約1時間半の上映後、手塚さんと坂口さんは一緒に朗読会も行い、観客約10人を喜ばせた。
 この上映会が異色だったのは、SNSなどで「生前葬も兼ねている」と宣伝したことだ。
 生前葬 本人が元気なうちにお世話になった人に感謝の気持ち、お別れを伝えるために行われている。人生の節目や「終活」、病気など死を意識したのをきっかけに検討される。「男装の麗人」として一世を風靡した俳優水の江滝子さんは1993年、77歳の時に行った。葬儀委員長は俳優森繁久弥さんが務め、約500人が集まった。水の江さんは2009年に94歳で亡くなり、葬儀は身内だけで行われた。歌手の小椋佳さんは14年9月12日から4日間、東京・渋谷のNHKホールで生前葬コンサートを開いた。小椋さんは公演の紹介文の中で「この仕事には『定年』がない。だったら自分で『けり』をつけようという考えに至りました」と記している。
 坂口さんは最後に、「私は今は、末期の膵臓がんで抗がん剤の治療を続けています。幸いこの薬が効き、こうやって皆さんの前で出られています。この病気は何よりも早期発見が大事です。みなさんはぜひ健康診断を受けてくださいね」とあいさつした。
この後、坂口さんの生い立ちに触れ、生前葬を始めるまでのいきさつを紹介します
 場内は一時しんみりとなったが、坂口さんが「さあ、飲みましょうよ」と呼び掛け、観客全員でいすやテーブルを中央に動かした。つまみやお酒がテーブルに並び、乾杯した。
 「生前葬と言いながら、これじゃ、飲み会じゃないの」。そんな声が漏れ、皆どっと笑った。
■映画の魅力にはまる
 函館市出身の坂口さんは高校卒業後、専門学校を経て札幌市内の建設会社に就職。20歳の頃、ある男性と知り合い、一男一女を設けたが、後にシングルマザーに。不動産会社や郵便局などで働き、子供を懸命に育てた。
 もともと映画好きで、1996年に札幌駅近くで開館した映画館「蠍座(さそりざ)」に目が止まった。翌97年にスタッフになった。「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」をはじめ、道内外の映画祭に足しげく通い、多くの映画人と知己を得た。
 「みな映画への思いが熱く、ひかれました。彼ら、彼女らの作る映画を1人でも多くの人に見てもらいたい一心でした」

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2014年まで札幌駅前にあった映画館「蠍座」

監督や俳優らとの交流も深められた蠍座だったが、2014年に閉館。熱心なファンに支えられたものの、経営は容易でなかった。
 「突然のことで自分のバックボーンがなくなってしまうほどの衝撃でした」。しかし、映画への思いは捨てきれない。映画を見続け、映画祭へ足を運び、映画人との交流を続けた。「変わらず友人付き合いをしてくれる映画人のためにも、自分にできることは何かと模索が始まりました」
 転機は18年、名古屋や大阪で見たシアターカフェだった。観客席が20~30人ほどと広くないが、関西で活動する映画人がふらりと訪れ、観客と一緒に映画を見て飲んだり、話をしたりできた。「実にうらやましい。理想的な場所だと思いました」。劇場の経営者から運営面の課題や注意点などを細かく聞いた。「自分も札幌でやりたい」との意欲が湧き、夜勤のアルバイトも始めるなど事業資金の捻出に力を入れ始めた。

入り口そばにある「サリサリ市場」の看板

19年、念願だったフロアが見つかり、内装など開業準備のさなかに新型コロナウイルスの感染流行に巻き込まれた。開業は21年7月と予定より1年以上も遅れた。名称の「サリサリ」はタガログ語で「ごちゃまぜ」の意。多様な文化や娯楽が集まり、楽しくにぎやかな場にという意味を込めた。
■保健師からなぜか手紙が

「とくとく健診」のパンフレット

坂口さんは、札幌市が生活習慣病予防を目的に行う特定健診「とくとく健診」を毎年受診していた。23年8月、自宅に市から手紙が届いた。保健師からで再検査を求める内容だった。行きつけの病院に行くと、もっと大きな病院に行くように言われた。
 9月、札幌医科大学に向かった。「おなかが多少痛く、夏バテかな」と思ったが、意外な宣告をされた。
 「膵臓がんで肺に転移しています。手術は不可能です」。医師から淡々と告知された。

膵臓がん 膵臓から発生した悪性の腫瘍のことを指す。国立がん研究センターによると、5年生存率は8.5%(09~11年)と、がん全体の64.1%(同)と比べてかなり低い。膵臓は、長さが約20センチの臓器で、消化を助ける膵液(すいえき)や血糖値を調節するホルモンのインスリンを分泌している。胃の裏側にあり、多くの臓器に囲まれている。膵臓がんの初期は症状がほとんどないため、早期発見、早期治療が難しい。
 医師はすぐ、「抗がん剤の治療を始めましょう」と言った。坂口さんは事情がのみ込めず、「つらそうだから治療したくない」と返すと、医師は「膵臓がんは足が早いんです。余命は3カ月です」と話した。
 坂口さんは最終的に、医師の提案を受け入れることにした。劇場のイベントと主治医のシフトをにらんで日程を組み、9月末から治療を始めることにした。
 9月中旬、自宅に帰った坂口さんはどうすべきが迷った。親しい人には電話で伝え、SNSで宣告されたことを書き込んだ。

「サリサリ市場」の常連客の1人、小野寺秀さん

電話を受け、すぐに店に駆け付けてくれたのが常連客の1人で自営業の小野寺秀さん(53)=札幌市東区=だ。10年ほど前、共通の知人を通して2人は知り合い、ロックなどのライブによく行った仲で、店にもよく通うになった。小野寺さんは、予後の悪い膵臓がんだと聞き、坂口さんのそばでオロオロと泣くばかりだった。
 坂口さんは悲愴(ひそう)感をみじんも見せず、みんなの前では明るく振るまった。そんな時、小野寺さんは「生前葬をするかい?」と提案した。かしこまったものではなく、通常のライブや催しに生前葬を抱き合わせるというものだ。医師から「宣告」を受けていたものの、まだ実感がなく、「全然死ぬ気なんかなく、考えもつかないことでした。『それはいい、やろう』って言いました。笑っていたいと思っていたんです」

舞台であいさつをする着ぐるみ姿の坂口きりこさん(坂口さん提供)

初回は11月1日と決まった。札幌市北区のライブハウスを貸し切り、小野寺さんが、関西を拠点にするロックンロールバンドを呼んだ。30人の観客が集まり、坂口さんは着ぐるみを着て舞台に登場し、あいさつでは「今日は本当にありがとうございました」と深々と頭を下げた。生前葬と銘打ったため、事情がよく分からず香典を持って来る人もいた。坂口さんが当時を振り返る。
 「当初は白装束を着ては、なんていう話もあったくらいなんです。とにかく着ぐるみ姿で明るくし、みんなを楽しませ、少しでも元気づけたかった。私もいっぱい、元気をもらいました」

京都府から駆け付け、舞台であいさつする安田淳一監督(坂口さん提供)

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映画「拳銃と目玉焼」のポスターを見入る坂口きりこさん(伊丹恒撮影)

 会場には京都府から映画監督の安田淳一さん(57)=城陽市在住=も駆け付けた。
 安田さんは運動会や結婚式などのビデオ撮影業を営む傍ら、40歳過ぎに「やりたいことやらんとあかん」と一念発起し、映画作りを始めた苦労人だ。3年の歳月を掛けた「拳銃と目玉焼」は、中年男性を主人公にしたヒーロー映画で破格の低予算だったものの、映画ファンから高い評価を得た。坂口さんは14年に東京・新宿の映画館でこの作品に感動し、安田さんにメールを送ったのが縁で交流を始めた。札幌の蠍座でも上映する予定だったが、閉館のため約束を果たせず、「サリサリ市場」を坂口さんが立ち上げる原動力にもなった。
 「坂口さんはボクの新作を出すたびに映画館に足を運んでくれ、SNSなどで情報を発信してくれる。実にバイタリティーのある方で心強く思って言います」
 インディーズ映画はなかなか日の目が当たらず、俳優らの立場も弱いが「坂口さんはそこに注目し、光を当ててくれる。今度はボクが励ます番です」と語る。
■「リラックスできます」
 「サリサリ市場」を盛り上げてくれる人はまだいる。常連客から歌舞伎俳優の登場をダブらせ、「中村屋さん」の愛称で親しまれている清水大輔さん(53)=札幌市豊平区=。本業は通信関連企業の会社員だ。
 清水さんは2年ほど前、サリサリ市場であったジャズイベントを偶然インターネットで見つけ、参加した。

来場者と一緒に談笑する清水大輔さん(右端)。右から3人目が坂口きりこさん

「ステージが終わると、さっそく打ち上げになりました。わきあいあいとした雰囲気で、何かいいなと思って。それ以来、月1、2回は通っています。坂口さんはいつもリラックスした空間を作ってくれますね」
 昨年10月、坂口さんの入院時は、清水さんが代役で映画の上映をしたこともあった。
■手足のしびれ、むくみも
 坂口さんは、多くの常連客に支えられている。店も軌道に乗り始めた中でのがん宣告だっただけに、心中は穏やかではなかったはずだ。しかし、坂口さんは、弱音を見せない。
 「主治医からは、同じ抗がん剤治療を続け、『1年半も通っている人もいる。そうなろうよ』と励ましてくれます。私もまだ、諦める段階ではないと思っています」
 毎週、続けている抗がん剤治療は幸い、坂口さんの身体に合っているようで、激しい痛みはないという。ただ、最近は手足のしびれ、むくみが出てきた。映画の上映会中、観客席から見えない厨房(ちゅうぼう)の奥で身体を休める日も増えた。

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「常に前を向いて生きていきたい」と話す坂口きりこさん(伊丹恒撮影)

 「だれかに声を掛ければすぐにサリサリ市場に駆け付け、手伝ってくれる人がいて本当に助かっているし、感謝しています。コロナで厳しい時に市場を開き、続けることができて本当に良かった。1日でも長く続けることが私の生きがいで、希望にもなっています」

2024年5月11日 10:00(5月11日 12:11更新)北海道新聞どうしん電子版より転載