【置戸】今年の元日。古里が地震に見舞われ誰とも連絡が付かず、不安を抱え過ごした。翌日夕になって父の声を聞き安堵(あんど)したのもつかの間、母は心肺停止に。石川県輪島市出身で置戸町在住の主婦井上幸恵さん(51)は、1月1日に発生した能登半島地震で実家が全壊し、母の柿本利子さん=享年88歳=を亡くした。変わり果てたまちにも心を痛めたが、町民の善意に励まされ、前を向き再び歩み始めた。「能登に寄り添い、置戸の町に恩返ししていきたい」。5月1日で地震発生から4カ月。
 元日の夕方、農業法人役員の夫、一味さん(52)と娘3人の一家5人で置戸神社を訪れていた井上さんは、車載テレビで地震を知った。父母が住む輪島市鳳至(ふげし)町の実家に電話をしたが誰も出ない。同市に住む兄夫婦も音信不通だった。
 翌日、テレビの映像で実家が倒壊しているのを横浜市に住む姉が見つけた。「4人とも駄目かも知れない」。最悪の事態が頭をよぎる中、夕方になって父の義治さん(83)と連絡が取れた。未明に倒壊した家から救出されていたという。しかしこの直後、言葉を失った。「お母さんは心肺停止で運ばれた」。母は病院に搬送され、死亡が確認された。

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2月に輪島を訪れた際も、自宅付近は建物が倒壊したままだった(井上幸恵さん提供)

 兄夫婦は1日、実家で食事をした後、車で移動中に地震に遭遇した。橋は50センチも隆起し、後方は土砂崩れ。危うく難を逃れたという。2人は輪島市内で避難所立ち上げに奔走した。
 輪島の火葬場が被災したため、母の葬儀は金沢市で行い、井上さんは父の避難に付き添って2月中旬まで金沢に滞在。この間、輪島にも足を運び、その変わりように衝撃を受けた。
 小、中学校教諭の父と保育園の先生だった母。高校卒業後、静岡の大学に進み、8年間の社会人生活を経て田舎暮らし体験で置戸を訪れ、出会った一味さんと結婚した。井上さんは「自分のやりたいことを自由にやらせてくれた父母には感謝しかない」と話す。
 金沢で避難を続けてきた父は、5月の連休明けから輪島市内の仮設住宅に入居できるようになった。今後、実家は解体の手続きを進めるという。
 母の葬儀の際、井上さんもメンバーとして活動する置戸の農業女性グループ「楽(らく)し~な」で作った乾燥野菜を持参。輪島市教委に勤務していた義姉に託した。その後も置戸町教職員互助会を通じて乾燥野菜105袋を市教委に届けた。
 能登半島出身だと知って、町内の友人や夫の知り合いからも多くの善意や励ましの言葉が寄せられた。「漁業や輪島塗など、生業の復興にはまだほど遠い。能登に思いを寄せるとともに、置戸でも何かできたらと思っている」。日々、自分のあるべき姿、どう生きるかを考えている。

兄、姉らと連絡を取り合ったスマホを手に語る井上さん

2024年4月30日 22:17北海道新聞どうしん電子版より転載