約4万頭の乳牛が飼育されている根室管内中標津町。中標津町農協2階の会議室で2月中旬、農協幹部が十数人の地元酪農家に強く訴えかけた。「生乳を農協系統外に出さないでほしい」
■「出さないで」
 この酪農家たちはグループをつくり、4月から生乳の一部、年間計1万5千~2万トンを本州の生乳卸会社など系統外に出荷する計画を立てていた。中標津町農協管内の昨年の出荷量は約15万6千トンで、1割以上に当たる。
 農協幹部の説得に、酪農家たちは首を縦に振ることはなかった。輸送用のタンクローリーはリースで確保。メンバーの一人、大規模牧場「ループライズ」を経営する秋田聡さん(45)は「農協の生産枠を守っていては、経営が成り立たない。少しでも多く、高く売らなければ。農協を敵に回したいわけではなく、半分は系統に出荷する」と話す。
 酪農家はかつて、個人や小さな団体で乳業メーカーと交渉し、不利な立場に置かれていた。そうした背景から1966年に、ホクレンなど各地の農協系統の指定団体が、その地域の生乳をまとめて販売する「共販制度」が始まった。生乳はバターなどの加工用に比べ、牛乳になる飲用の方が高値となる。指定団体は、用途による不公平が生じないよう、酪農家への支払いは「プール乳価」と呼ばれる平均価格で行っている。
 国は2018年、酪農経営の自由度を高め、収益を上げやすくしようと、系統外出荷を後押しする法改正を行った。補給金の交付対象を系統外出荷分まで広げ、系統と系統外の両方に出荷することも可能にした。系統外は飲用向けが中心で、買い取り価格はプール乳価より高い。それでも、19年度の道内の生乳出荷量のうち、系統外は3.3%にとどまった。
 風向きが変わったのは22年度。新型コロナ禍で需要が落ち込み、農協系の生産者団体が乳価維持のため、前年度計画比0.2%減の生産抑制計画を打ち出した。各農協に生産枠を設ける形での生産抑制は、23年度も継続。生産量を維持したい酪農家は多く、系統外出荷が増えた。23年度の系統出荷は389万8千トン、系統外は22万3千トンで全体の5.4%に達した。サイドバーでクエリ検索農協系統外の生乳卸会社などに出荷するため、中標津町内の牧場で搾ったばかりの生乳をタンクローリーに入れる秋田さん=今月11日(大島拓人撮影)

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農協系統は本年度、再び増産基調に戻す。それでも目標は前年計画比1%増。需要は回復しつつあるが「牛乳余りが生じる可能性もある」(道東の農協幹部)とみて、大幅な増産は避けた。そのため、系統外への出荷はさらに増える見通しだ。
 系統外出荷は、生乳の需要が安定していれば、酪農家の増収につながる。しかし、新型コロナ禍のような想定外の事態で需要が落ち込めば、極端に安く買いたたかれたり、買い取りを拒否されたりする可能性もある。指定団体も、扱う生乳の量が減れば、乳業メーカーに対する交渉力が弱まることになる。
 系統外出荷を選ぶ酪農家の多くは、搾乳牛100頭以上のメガファームと呼ばれる大規模牧場。中標津町農協で説得を受けた酪農家も、大半がこの規模だ。国が生乳増産を目指し、2015年に始めた畜産クラスター事業で多額の設備投資を行い、規模を拡大してきた。
■コスト高直撃
 大規模経営は安価な輸入飼料の確保が前提だが、円安やロシアによるウクライナ侵攻の影響で輸入飼料が高騰。生産コストの上昇で「薄利」となり、「多売」しなければ経営を維持できない。
 元農林水産省の官僚で明治大農学部の作山巧教授は「クラスター事業が始まった当時の安倍政権は競争力重視。規模拡大に投資させる方向だった。その一方で輸入飼料が高騰した場合のリスクは全然、議論されていなかった」と指摘する。当時の農水省幹部の一人は「飼料価格などのリスクは、経営者である酪農家も考えなければならない」と言い切る。
 酪農という食料生産の現場にも、「競争力」と「自己責任」が強く求められるようになっている。その流れが加速するのか、立ち止まることになるのか、振り回される生産者たちの不安は高まるばかりだ。

2024年4月18日 5:00(4月18日 19:03更新)北海道新聞どうしん電子版より転載