「最終的には幸せにしてあげたかった。そのためには一緒に死ぬしかなかった」
 札幌市手稲区の自宅で2023年3月、当時88歳の妻を殺したとして男(90)が殺人罪に問われた。24年3月、札幌地裁での被告人質問。男は法廷の証言台で、弁護人や検察官の問いかけに小さくかすれた声で、たどたどしく答えた。
 検察側の冒頭陳述によると、男は2022年10月ごろに認知症と診断されたことで生きる自信を失い、同月に自殺を図って未遂となった。昨年2月、妻と長男がデイサービスに通うよう勧めたが、男は「施設に行っても恥をかくだけ。行けばもう家に帰れない」などと考えたとした。

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 同3月14日、妻と長男がデイサービスに通わせる手続きを進めたことに絶望し、自殺を決意。「1人で何もできない妻を残すわけにはいかない」と考え、妻の殺害を決め、首を締め上げて窒息死させたとしている。
 被告人質問の際、男は歩行器や車いすを使って証言台に向かった。検察官の問いかけにはほとんど言葉を発せず、記憶もおぼろげに話しているように見えた。答えに窮すと、検察官は質問事項を書いたメモを見せながら質問した。途中、何度も休憩した。
 検察官「首を絞めた時の体勢について、捜査段階ではあおむけに床に倒れていたと言うがその通りで間違いないか」
 男「内容が混同して分からない。なんて答えて良いのか…」
 検察官「どうして首を絞めて殺そうとしたのか。どうして首を絞める方法を選んだのか」
 男「覚悟があったから。今考えれば愚かだったと思う」
 殺害時の話になるとほとんど言葉が出なかったが、妻のことを聞かれるとはっきりとした口調で答えた。
 弁護人「亡くなられた奥さんに対してどういう気持ち」
 男「俺の気持ちとしてはかわいそうだったな。一緒にいてあげられたら…」
 弁護人「今でも奥さんのことを考える日はあるか」
 男「毎日考えている」
 証人として出廷した長男は、若き日の父についてこう語った。
 「仕事熱心で家族も大事にする人。寄り道せずに帰ってくるし、休日は家族みんなで出かけて家族の時間を大切にしていた。世間で言うところの理想の父親像ではないかと思っている」
 男は事務機械販売会社で営業の仕事をし、定年後は自営で事務所のデザインをしていた。日常生活では、読み書きが不得意だった妻に代わり、公的な手続きや資産運用を担当していたという。長男は「父は認知症が進んでいく中で、悲観したんじゃないかなと思う」と述べた。
 公判では男の認知症の程度について議論が交わされた。弁護側は幻視や認知機能の変動がある「レビー小体型認知症」で、自分をコントロールできない状況で起きた悲劇だったとして心神喪失による無罪を主張。検察側は「血管性認知症」だったとし、男は自分の考えで自死を選び、殺害の動機もあったと述べて懲役5年を求刑した。両者は真っ向から争っていた。
 判決は3月15日に言い渡されるはずだった。ところがその3日前、男は札幌市内の施設で病死した。突然のことに弁護人も驚いた。札幌地裁は夫の判決公判を取り消し、札幌地検は公訴棄却を決めた。夫の死により、判決を聞く機会はもう来ない。(報道センター 古田裕之)

2024年4月8日 12:00北海道新聞どうしん電子版より転載