1人で介護していた祖母の死を、孫は誰にも相談できなかった。遺体を半年間自宅に放置したとして、死体遺棄の罪に問われた無職の男(33)に、旭川地裁が執行猶予付き判決を言い渡した。男は公判で、相談できない「怖さ」があったと語った。
 「そっち」。昨年10月中旬、旭川市の店舗兼住宅を訪れた警察官に、2階の仏間に寝そべっていた男は、深いため息をついた後に居間を指さし、答えたという。指さした先には何枚も重なった布団。警察官が布団をめくると、白骨化した足が見えた。冒頭陳述などで検察官は、祖母の遺体発見時の状況を説明で再現した。
■認知症で介護
 祖母と孫の2人暮らしは、2020年夏から始まった。旭川出身の男は、北見市内の大学を中退後、数年は道央にある実家に引きこもる生活だった。祖父の死去や祖母の体調不安があって旭川に移住。仕事はせず、祖母の年金と自身の学費用だった貯蓄を取り崩して暮らした。認知症が悪化し、居間で寝起きしていた祖母に3食を与え、排せつの世話もしたという。
 男によると、両親とは疎遠だった。父親には2~3カ月に1度「祖母は生きている」と電話で報告。母とはあまり連絡は取らなかった。両親との関係性について男は「罵倒されるとかはないが、単に何もない」と言葉少なに説明していた。
 病院嫌いな祖母は通院を激しく嫌がった。市の地域包括支援センターの訪問も一度は受けたが、「お金がかかる」と断ってしまった。祖母は、昨年4月下旬に死去。食事に一切手をつけないことに異変を感じ、胸に耳を当てると、心音がなかったという。その後も言い出せずにいたが、同センターが10月に父に連絡して、事件が発覚した。
 なぜ、祖母の死を家族や公的機関に言い出せなかったのか。起訴内容を認めた男は、被告人質問の際、弁護人にこう話していた。
 弁護人「おばあちゃんが亡くなった時の報告をなぜ誰にもしなかったのか」
 男「えっと…」
 弁護人「事件の根幹で大切なところ」
 男「死体の存在を明らかにするのが怖くて、元の生活にも戻りたくなかった」
 弁護人「『元の生活』とはどういう意味か」
 男「働かないで、実家にいるということ」
■働く意思示す
 一方、男は「父親や施設に頼ればよかった」と悔いた。働かない自分に対し、親が実家で苦しむ姿を見たくなかったと打ち明け、今後について「(社会に)負けないで頑張りたい」「働きたい」と前向きな思いも繰り返した。死後は年金にも手を付けていなかった。
 公判では、介護生活について「苦痛ではなかった。自分が働いていない代わりに、おばあちゃんの介護を続けることが、社会の役に立っているとも強く思えたから」とも語っていた。証言台で、胸の内を「(祖母に対して)申し訳ない気持ちでいっぱい」だとした。
 昨年12月、裁判官は、懲役1年執行猶予3年の判決を言い渡した後、社会復帰を目指す男に諭した。「裁判所からの『宿題』が二つあります。一つは仕事を探すこと。もう一つは、おばあちゃんのお墓に手を合わせ、申し訳ない気持ちを行動で示してください」
 4月下旬、男が「大好きだった」という祖母の一周忌が来る。
■同様の事件 増加に警鐘
 追い詰められた男の声なき声を拾うことはできなかったのか。男と祖母の住居は、旭川市内で古くから続く商店街の近く。近隣には元店舗兼住宅が多いが、ここ10年ほどは「シャッター街」。近隣住民によると、新型コロナ流行後に町内会会合が中止続きだったため、祖母の姿を見る機会も数年間無くなっていたという。
 隣に住む男性(79)は、男と何度か会話を交わすことがあったといい、「『料理するのかい』と聞いたら、『おばちゃんの料理をつくったりしています』と話をしたりした」と振り返った。だが、それ以上の生活状況は分からなかった。「もっと親しく接していれば、困っていることを自分にも話してくれたのかな」
 包括支援センターでは、虐待の恐れなどがない限り、訪問には強制力がないため「合意が得られない世帯へは行けず、現場にとって課題の一つ」と言う。

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死体遺棄事件の現場となった店舗兼住宅=2023年10月12日撮影
 道北で引きこもりなどの相談を受けている「旭川ファミリーカウンセリングセンター」の臨床心理士佐藤伸一さん(70)は、事件について「若いうちから介護を行って孤立する『ヤングケアラー』の問題にも近い」とみる。「本人は介護自体がやりがいで、差し伸べられる支援に『生きがいを奪うのか』と反発してしまいがち。高齢化、過疎化が止まらない中、都会、地方関係なく、家族間で起きる死体遺棄事件自体は、今後も増えていくはずだ」と警鐘を鳴らす。

2024年4月5日 21:17(4月7日 18:18更新)北海道新聞どうしん電子版より転載