道新先生

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札幌農学校の寄宿舎。左は演武場=1887年ごろ(北大付属図書館提供)
 この春、新たな大学生活の始まりに胸を膨らませている人も多いでしょう。北大や室蘭工大など道内の複数の大学には学寮(寄宿舎)での生活を寮生自らが運営する「自治寮」があります。中でも北大恵迪寮は、札幌農学校(現北大)初代教頭ウィリアム・クラークの自主独立の精神が寮生の創意工夫で引き継がれています。
 現在、男女の寮生約400人が暮らす恵迪寮。入寮案内には「『自治』とは自らに関することを自らで解決する」とあります。例えば、掃除や食事当番など生活に関わる事柄は話し合ってルールを作る。寮祭などは自治を行う環境でこそ自由な発想が可能だといいます。
 寮長の岸大輔さん(21)は「自治を基礎として、どうしたら日常がより豊かになるかを模索しています。議論したり、何かを達成したりする経験は、成長につながると信じています」と話します。
 恵迪寮の自治の源はどこにあるのでしょうか。恵迪寮の歴史に詳しい元北大副学長の藤田正一さん(79)は「クラーク博士が校則とした『Be,gentleman!(紳士たれ)』が源です。卒業生の新渡戸稲造の勧めもあって1899年(明治32年)、学生自らが寮自治を宣言したのです」。当時は日清戦争勝利に酔う風紀の乱れがあり、寄宿舎(恵迪寮の前身)の秩序を保つために、それまでの舎監制を廃し、寮生の手で22条から成る規約が設けられました。
 学寮などの自治活動史が専門の近畿大教職教育部(東大阪市)の教授、冨岡勝さん(59)によると、90年に第一高等中学校(現東大)の寄宿舎に自治制が導入されると、旧制高校の寄宿舎が自治による共同生活を通じた教育施設として意識されるようになりました。冨岡さんは「中でもクラーク博士の精神に由来する恵迪寮は出色」と指摘します。
 1907年、農学校は東北帝大農科大となり、その2年前に新築された寄宿舎が「恵迪寮」と命名されました。世界的な遺伝学者の木原均が入寮したのは12年。有名な寮歌「都ぞ弥生」がつくられた年です。三女の木原ゆり子さん(87)=横浜市在住=は「父も翌年、寮歌『幾世幾年』を作詞して英語教師の有島武郎先生に添削してもらったようです」と話します。有島が寄宿舎係を務めた08年には「自治とは自炊なり」として自炊制が始まり、自家用の野菜を作り、ニワトリや豚も飼育されました。
 昭和に入り、戦時色が強くなるに従い、伝統の定山渓旅行などが時局にそぐわないとして中止され、41年(昭和16年)には寮自治も廃止。冨岡さんは「戦後は経済の混乱の中で、学寮は学生生活を支える厚生施設として切実に求められ、多くの学寮で戦前同様に寮自治が行われました」と説明します。
 室蘭工業専門学校(現室蘭工大)の明徳寮は45年に寮自治の権利を獲得しました。現在約240人の男子学生が暮らし、寮長の落合宏紀さん(20)は「大勢での生活は煩わしいことも多いですが、その中で得られる価値を伝えたい」と意気込みます。
 恵迪寮自治会は78年から十勝管内士幌町と共同で士幌小屋チセ・フレップを管理運営し、同町教委と連携して、地元小学生の学習支援などを行っています。
 小屋建設に尽力した1人でOBの鹿田幸年さん(68)=千歳市在住=は「寮祭で士幌町の町づくりの魅力を講演してもらったことがきっかけです」と振り返ります。寮生の鎌倉大輔さん(23)も「士幌町への旅行を通じて寮生同士の交流が深まり、同時に地域社会にも貢献できる」と小屋の魅力を語ります。
 近年、老朽化などの理由で全国の自治寮が減少しています。その中で先月、京大吉田寮の寮生に建物の明け渡しを大学が求めた裁判で、京都地裁が居住を認める判決を出しました。京大大学院法学研究科教授の高山佳奈子さんは「低廉な寄宿料の居住のみが寮生活の目的ではなく、多様な学生による自治の意義を司法が認めた」と指摘します。明徳寮で自治のあり方に悩んだ筆者も勇気づけられる言葉です。
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札幌農学校の新寄宿舎と新寮生。1907年に「恵迪寮」と命名=1905年(北大付属図書館提供)
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「自治とは自炊なり」。自炊制が実施された恵迪寮=1913年(「青春の北大恵迪寮」より)
寮生活の様子=昭和30年代(「室蘭工業大学百年」より)
新入寮生を歓迎する士幌ツアー。後ろに建つのが士幌小屋チセ・フレップ=2013年(恵迪寮提供)
2024年3月28日 5:00北海道新聞どうしん電子版より転載