大手企業などが自己都合などで退職した元社員を「アルムナイ(英語で卒業生・同窓生)」と位置づけて結びつきを強化し、再雇用や新たなビジネスの創出につなげようとしている。深刻な人手不足に加えて人材の流動化が全国的に高まっており、経験を積んだ元社員を即戦力として期待していることが背景にある。以前はぷつりと途切れることが大半だった企業と退職者の関係性は様変わりしつつあるようだ。(東京報道 鈴木孝典)
 「家族と過ごせる時間が増えてよかった」。古巣の三井住友海上火災保険(東京)に再就職した法人営業担当の市川隆太さん(35)は笑顔でデスクワークに取り組む。
 市川さんはかねて興味を持っていたスポーツビジネスに携わりたいとして、2021年12月に約10年間勤めた三井住友海上を退職。関東のプロスポーツチームの運営会社で働き始めた。仕事は充実していたが週末の試合開催に合わせた出勤が多いため、共働きの妻と2歳の長男と過ごせる土日の時間が減ってしまった。子育てに十分関われなくなったことに頭を悩ませていたという。
 そんな中、古巣の三井住友海上が中途退職者との交流や再雇用に力を入れていることを知った。「仕事も大切だが家庭も大事にしたい」と考えて運営会社の退職を決意し、23年4月に再就職した。一度やめた会社への復職に「後ろめたさや葛藤は当然あった」というが、かつての同僚から「戻ってきてくれてうれしい」と優しい言葉をかけられ、ほっとしたという。

サイドバーでクエリ検索

古巣の三井住友海上に再就職し、デスクワークに取り組む市川隆太さん

同社は22年9月、アルムナイを対象にした社内ネットワークを構築した。オンラインでの交流会や、社内の取り組みなどに関する情報発信などを行っており、これまでに13人が再就職している。交流を通じて元社員が在籍する会社に新規ビジネスに関する業務委託を行ったケースもあり「ネットワークは元社員と企業の双方にメリットがあると思う」(広報部)と説明する。
 トヨタ自動車や大手総合商社の双日など、首都圏を中心に少なくとも数百社以上がアルムナイとの交流を深めている。アルムナイとのネットワークづくりのためのシステムを提供するハッカズーク(東京)によると、アルムナイとの交流を進める企業は元社員を①古巣の企業文化を知っているため復職しても組織になじみやすく、即戦力として期待できる②前職で学んだ知見や技術が組織の活性化に役立つ―ととらえているという。
 アルムナイとのネットワークづくりは道内の企業も取り組んでいる。家具・インテリア製造小売り最大手のニトリホールディングス(HD、札幌)は2022年12月にアルムナイの採用を開始。オンラインを中心に元社員との交流を続けている。登録者数は200強まで増え、このうち数人が採用に至ったという。同HDは「外からの視点で、組織風土や社内制度を見つめ直すことができる」とネットワークづくりの利点を強調する。
 北海道銀行(札幌)も23年8月に同様の取り組みをスタートさせ、これまでに元行員2人を採用したほか、再入行を希望するアルムナイも複数いるという。広報担当者は「アルムナイとの交流を通じ、従来より多様な人材が活躍できる企業風土が育まれつつある」と力を込める。2月には同行の元行員らを集めた交流イベントを都内で初開催し、約20人が古巣の良さについて語り合ったという。
 企業がアルムナイと良好な関係を築くことは、企業価値の向上にもつながると専門家は指摘する。
 ニッセイ基礎研究所の小原一隆主任研究員は、アルムナイと企業の理想的な関係を、米大リーグで活躍する大谷翔平選手と大リーグ入りを容認した古巣の北海道日本ハムファイターズに例える。日本ハムが大谷選手を育てて大リーグに送り出した球団として評価されているとして「社員の転職について寛容で開かれた企業だとの評判が高まれば、企業の印象が良くなり、将来的にさらに優秀な社員が集まることにつながる」と話す。
 ハッカズークの鈴木仁志社長は、従来型の企業の多くは新入社員に対してすぐに退職しないように気を配る一方で「社員の退職が決まると急にそっぽを向いたり、転職理由を事細かに聞き出すなど、辞める人の印象を悪くする対応がこれまで多かった」と話す。退職者に「裏切り者」などのレッテルをはり、交流を嫌う風潮もあったという。

アルムナイ向けのオンラインシステムを提供するハッカズークの鈴木仁志社長

都内のあるコンサルティング会社では2年間で約40人のアルムナイを採用したケースもあるという。こうした企業は在職中から退職時まで社員と良好な関係を保っているとし、「企業が再雇用もしたいと思うのであれば、社員との日頃からの接し方が何より大切になる」(鈴木社長)としている。
 一方で鈴木社長は、即戦力としてアルムナイに期待する企業が多くなっている最近の流れに対し、人材確保を急ぎたいという企業の思惑に理解を示しつつ、「焦らずに一人一人と良好な関係を築く『急がば回れ』の精神が大切だ」と指摘している。

 

2024年3月25日 10:00(3月26日 8:05更新)北海道新聞どうしん電子版より転載