経済界有志らでつくる「人口戦略会議」(議長・三村明夫日本製鉄名誉会長)が1月、人口減少対策の提言「人口ビジョン2100」を発表しました。副議長の増田寛也日本郵政社長は2014年、「消滅可能性自治体」を公表し、人口減少がもたらす危機に警鐘を鳴らしたメンバーの一人です。あれから10年。政府や自治体はさまざまな対策を取ってきましたが、状況が改善する兆しは見えません。新たな提言をきっかけに事態は好転するのでしょうか。専門家らと探りました。(経済部キャップ 山田崇史)
 やまだ・たかし 札幌市出身。2002年入社。報道センター、釧路報道部、東京報道センターなどを経て、2022年7月から経済部。

人通りが少ないJR名寄駅前の商店街

「東京から地元へ帰ってきて、すごいびっくりしました」。名寄市でまちづくり活動を進める黒井理恵さん(45)は、Uターンした10年前を振り返りました。
 名寄高を卒業後、静岡県立大で開発経済学を学び、卒業後は東京で編集者やコンサルタントとして出版社などに勤務。まちづくり活動に従事したいと考えて14年ぶりに名寄へ戻り、イベントの企画・運営、企業や自治体向けの研修・講演などに走り回ってきました。
 戸惑ったのは「従業員も管理職も女性が多く、社長も女性だった東京の勤務先」と地方社会の違いでした。

サイドバーでクエリ検索

JR名寄駅前の商店街にあるまちづくり交流拠点で話す黒井理恵さん=2月6日

 

行政などの会議で手を挙げて発言すると、出席者が驚きの表情を見せる。イベントで先頭に立って活動すると、女性たちに感謝される。「女性が表舞台に出てくるのは受け入れがたいという地方の『男性社会』の壁を強く感じました。それは今もさほど変わりません」
 豊かな自然の中、のびのびと暮らせることが地方の魅力のはず。でも「このままでは女性がどんどん東京に行ってしまうのは止まらない」。今回の提言をきっかけに、どんな変化が起こるのか注目しています。
 住民基本台帳に基づく名寄市の人口は1月現在2万5365人。この10年で14%減りました。一方、東京都は約1391万人。10年前から5%以上増えています。
■止まらぬ人口一極集中
 「人口ビジョン2100」では、これまで欠けていた対応として①人口減少の要因や対策について国民へ十分な情報共有を図ってこなかった②若者、特に女性の意識や実態を重視し、政策に反映させる姿勢が不十分だった③今を生きる「現世代」に対し、社会を「将来世代」に継承していく責任があることを問いかけてこなかった―の3点を挙げました。

さらに戦略として、人口の安定と、少ない人口下での成長力確保を一体で進めなければいけないと強調。人口の急減が続く状態から脱し、2100年に8千万人で安定化させる目標を掲げました。具体策としては、若者の所得向上や、生産性の低い企業・産業・地域の構造改革などを進めるべきだとしました。

今回の提言をどう評価しているのか、高齢者が増えて地域の維持が難しくなるとされる「限界集落」の問題に詳しい東京都立大の山下祐介教授(55)=社会学=を訪ねました。
■地方創生政策のずれ
 「あの反省が入っていませんね」。山下教授は、安倍政権が進めた「地方創生」と、そのきっかけとなった「消滅可能性自治体」に関する分析が抜け落ちていると指摘しました。

東京都立大の山下祐介教授=2月13日、東京都内

消滅可能性自治体の試算では、子供を産む女性の減少と大都市集中で、全市区町村の半数に当たる896自治体が消滅しかねないと指摘されました。
 政府は人口減少対策の柱として「地方創生」を掲げ、全自治体に将来の人口目標と実現に向けた総合戦略の作成を求め、先進的な取り組みを財政支援し、自治体間の競争を促します。特に自治体が力を入れたのは、即効性がある移住の促進など、人を呼び込むことで地域活性化を図る対策でした。しかし、全体的には女性の大都市集中も、人口減少の速度を遅らせることもできませんでした。
 「地域が消滅するとあおりながら、実際に消えた集落がどれほどあるでしょうか?」
 問題意識にずれがあったことは明らかです。データを見てみましょう。

北海道では1997年の569万9千人をピークに人口が減り続けています。要因には、道外から入って来る人より出て行く人の方が多い「社会減」と、死亡数が出生数を上回る「自然減」があります。2009年以降は自然減が社会減を上回り、差は広がる一方です。
 人口減少には社会減より自然減、つまり出生数の減少のほうが大きく関わっていると言えます。
 今回の提言には「少子化の流れを変える」ことが最重要課題だと記されました。10年かかってようやく、人口減少を食い止める最大の鍵は少子化対策であると明示されました。
■動き出した企業トップ
 提言にはもう一つ、引っかかる点がありました。人口を安定させるのと同時に「少ない人口でも成長力のある社会を構築する」ことが必要との主張です。
 日本経済は国内総生産(GDP)がドイツに抜かれて4位に転落するなど低迷が続いています。それなのに年金や医療など高齢者の生活を支える現役世代の負担は増える一方です。
 若者、特に女性は人口を増やすためにたくさん子供を産むか、経済成長のためにもっと働くか、できれば両方実現して国を支えるべきだ―。そんなメッセージに映りませんか。
 提言をまとめたメンバーの一人で、民間シンクタンク日本総合研究所(東京)の翁百合理事長(63)に聞きました。

日本総合研究所の翁百合理事長=2月14日、東京都内

 「多様な価値観がある時代です。結婚しなければいけない、子供を産まなければいけないと言っているのではありません」。日銀出身で金融システムや経済政策が専門の翁理事長は、1月に女性として初めて、税のあり方を首相に提言する政府税制調査会の会長に就任しました。翁さんは自身も子供1人を育てながら働いてきた経験も踏まえ、解説してくれました。

女性1人が生涯に産む子供の推定人数「合計特殊出生率」は22年、過去最低の1.26となりました。今回の提言では60年までに、人口を維持できる水準の2.07に引き上げることを目標としています。
 どうすれば出生率が0.81上がるのか。翁理事長が最も重視しているのは「希望しているのに、結婚できない、もう1人子供がほしいが難しい。そういった願いがかなう社会にしていくこと」。夫婦間などでゼロから1人に、2人から3人にと、希望に沿って子供を増やせる環境の整備が大切だと訴えます。
 今回、特に注目してほしいのは、提言を策定した人口戦略会議のメンバー28人の顔ぶれだと言います。コマツ、三井住友フィナンシャルグループ、野村ホールディングス…。提言策定のメンバーには大企業のトップらが名を連ねました。
 過去の成功体験を引きずることなく、男女の役割分担意識を見直し、意思決定の場に女性を増やす方向に進めるか。政府や自治体だけでなく、大企業トップらを巻き込んだ「機運の盛り上げと意識改革」が始まろうとしていると言います。
■東京一極集中の加速
 北海道はどうなるのでしょうか。人口戦略会議幹事の一員で、人口減少問題に詳しい五十嵐智嘉子・北海道総合研究調査会理事長(67)は「のんびり構えていたら、東京一極集中がさらに加速しかねません」と訴えます。

北海道総合研究調査会の五十嵐智嘉子理事長

五十嵐理事長は、東京一極集中の要因には「引く力」と「押す力」があると説明します。「引く力」は進学先や仕事の選択肢が多いなど大都会としての魅力です。「押す力」は地方にいたくないと思わせる力。そう、冒頭に紹介した黒井さんが訴えた「男性社会」です。「地方には女性が結婚したり、子供を出産したら退職しなければいけないような雰囲気がまだまだある」と五十嵐理事長も声をそろえます。
 道都・札幌も大きな問題を抱えています。非正規雇用の女性が多いことです

働く女性に占める非正規雇用の割合は東京都が45.4%、全国は53.2%。札幌は55.8%に上ります。「女性は出産後に非正規になることが多い。非正規になると所得が下がるから子供を多く持てない。自分のキャリアを守りたい人は非正規にならずに子供を持たない」と指摘します。
 「東京の大企業が子育て支援に真剣に取り組めば、若者、特に女性はますます東京に行ってしまいます。北海道の自治体や企業こそ環境づくりを急がなければいけません」

人々が行き交う東京のJR新宿駅前。大都会による人を「引く力」は大きい

日本総研の翁理事長も同じ問題意識を持っていました。「男性も女性も家庭を支え、男性も女性も企業や社会を支える存在なんだということを、国全体、地方の隅々まで、意識を変えていく必要があります」
 道内自治体のトップや企業経営者が男性社会の変革に力を尽くせるか。行動が遅れれば、いよいよ「地方消滅」が現実味を帯びてくることになりそうです。

 

2024年2月27日 10:00(2月28日 7:15更新)北海道新聞どうしん電子版より転載