おやつを食べる母(左)の様子を見る父(右)と私=札幌市西区の介護老人保健施設

 

 記者(57)の母(83)が認知症と診断されたのは4年ほど前です。症状は予想以上の早さで進みました。札幌市西区の一軒家で父(86)の介護を受けながらの2人暮らしは難しくなり、今は市内の介護老人保健施設で生活しています。父は1人暮らしになりました。母の心身の変化や家族の葛藤、時々のさまざまな失敗が読者にも将来、役立つのではないかとの思いから、記者が自らの体験を毎月1回、振り返っています。9回目はデイサービスを初めて見学した時の模様や、その後の対応です。(くらし報道部デジタル委員 升田一憲)

母は2020年7月に「要介護1」と認定されたが、その後の手続きは何もせず、父と母との2人の生活が続いた。私は週1回のペースで実家に行き、様子を見る日々が続いた。当然、介護保険サービスの利用にはつながらない。介護をする上でさまざまな相談に乗ってくれるケアマネジャー(介護支援専門員)を見つけたのはその年の11月だった。
 平和の杜(もり)居宅介護支援事業所(札幌市西区)のケアマネジャー、千葉純子さん(67)は契約を交わしてから6日後、見学が可能な事業所を見つけてくれた。「よしっ、これで母の介護保険サービスの利用にようやくつながるぞ」。私は内心ほくそ笑んだ。

介護保険サービスは介護保険法に基づき、さまざまな種類がある。大きく分けるとホームヘルパーらが自宅に来てくれる訪問型のサービスと自宅から施設に通う通所型のサービスの二つある。
 千葉さんが勧めてくれたのは、通所型サービスの中でも、「通所介護(デイサービス)」。これは、要介護の高齢者が介護施設で入浴や排せつ、食事などの介護、レクリエーションを受けられるものだ。日帰りの介護サービスで、当日の朝、自宅にいれば施設の人が車で玄関先まで迎えに来てくれ、夕方には送り届けてくれる。
 このデイサービスが当時の母には一番合っているのではないか、と私は思った。父と2人で毎日、家で過ごしているとどうしても刺激が乏しくなる。会話もほとんどない。同じように通う高齢者らと簡単な体操、ゲームなども楽しみながら、脳を少しでも活性化させたかった。
■「デイサービス、行きたくない」
 施設の見学は2020年11月12日と決まった。私はその2日前の夜、最近の様子を聞こうと思い、実家に電話をした。父が意外なことを言い出した。
 「母さんが、『デイサービスに行きたくない』と言っている」

父はデイサービスを1日だけ体験してもらうこと、朝行ったら、夕方には戻れること―などを母に何とか説明したようだ。しかし、母はなぜ自分がそんな場所に行かなければいけないのか分からず、納得できなかったらしい。母は当時、込み入った話を理解しづらい状態になっていた。私はなぜ母が嫌がっているのかよく分からなかった。
 体験日の午前9時過ぎに実家に電話をすると、母は何とか迎えの車に乗ってくれたようだ。私はほっと胸をなで下ろした。
 当時はテレワークが推奨されていた頃で、自宅で作業をしていた私は一時中断し、実家に向かった。父を車に乗せ、一緒に見学に行った。

札幌市西区にあるツクイ札幌西野

施設は、介護大手ツクイのツクイ札幌西野だった。1階の広間には高齢者が十数人いた。70、80代が大半で男女半々ほどだった。テーブルに2人、または4人が向き合って座っていた。お昼ご飯を終え、めいめいがテレビを見たり、うとうとしたりとゆったりと過ごしていた。

糸を縫い合わせ、雑巾作りをしていた母

母は、古いタオルを糸で縫い合わせ雑巾をつくっていた。裁縫が得意な母には手慣れたものだ。私がそばに寄って手を振ると「あらっ、来たの」という感じで、ニコリと笑顔で返してくれた。
 隣の席に70代とみられる女性が座り、母の手作業をじっと見ていた。新顔の高齢者に興味津々といった感じだ。女性は時折、母に話し掛けるのだが、残念ながら母は気軽に雑談に応じられる状態ではない。女性は世話好きと見え、ここの施設のルールや雰囲気を一生懸命に伝えるのだが、母はいつものくせで笑ってごまかすだけだった。女性の厚意を無視するようにも見え、私の方が「申し訳ない。ごめんなさい」という気持ちにさせられた。
 介護福祉士の女性が、母の様子を伝えてくれた。「昼食は残さず、全部召し上がりましたよ。縫い物が大変お好きのようですね」
 20分ほど見学させてもらったが、雰囲気も良く、明るい感じがした。好きな縫い物をしていて、楽しそうにも見えた。
■母の対応にひどく混乱
 夜、実家に電話をすると父から驚くべきことが告げられた。
 「もうデイサービスには行きたくないと言っている。とにかく時間が長いと。自分のやりたいことができないって言うんだ」
 「時間が長いって言われても。でも、毎日行くわけじゃないし。どうしちゃったんだろう」。私はひどく混乱した。さらに聞くと、1日体験を終え、家に帰ってきたのは午後5時近くだった。辺りは少し暗くなっていて、ご飯の支度が遅れることも母には気掛かりだったらしい。
 私は、ケアマネジャーの千葉さんと連絡を取り、翌日、実家で相談することにした。

2020年11月14日午前10時。両親、ケアマネジャーの千葉さん、私の4人で実家の居間のテーブルで向かい合った。
 「母さん、楽しそうに裁縫をしていたじゃない。親切そうなお友達も隣りにいたし」
 私はそう言い、母に先日のデイサービスの様子を聞いた。しかし、母は父から聞いていた内容を繰り返した。
 「あんなに長い時間だと、家のことができなくなる。私がやりたいこともできない」
 「ご飯の用意は全然心配いらないよ。妹や妻が晩ご飯用のおかずを持ってくるから。今では便利な配食サービスもあるんだよ」
 それでも長年の習慣なのだろうか、自分が食事の用意をしないといけないと頑と思っている節があった。
 「週にたった1回だけだよ。母さんがデイサービスに行っている間、父さんも休めるんだよ」。そう言って母を収めるやりとりが続いたが、母の意思は変わらなかった。

足腰、腕の筋肉を鍛えることができるトレーニング機器

ここで千葉さんから助け舟が出た。
 「残念ながら、苗子さん(母)には見学したデイサービスが合わなかったのかもしれませんね。それでは半日とか、少し時間の短いサービスはどうでしょう。足腰を鍛えるためにも運動は大切ですよ。身体トレーニングができるような施設を探してみましょうか」
 すると母は「1人で行くのは嫌だ」「お父さんと一緒ならいい」と言い出した。しかし、父の返事は「俺はいい」だった。リハビリテーションなどを受けられるサービスのことだが、父は全く関心を示さなかった。
 千葉さんがすかさず父に呼び掛けた。
 「ちょっとのぞくだけでもどうですか。予防と言ったら大変失礼な言い方になるかもしれませんが、体の機能を維持することもとっても大事なことなんですよ」
 父も頑固だった。「僕はいい」の一点張り。千葉さんのアイデアは母にとっても父にとっても好都合で、その方向に進んでほしいと私は願った。
■新たな施設見学、妹も賛同
 その夜、仕事で実家に来られなかった妹(55)に電話し、この日の様子を伝えた。見学したデイサービスの利用は諦め、身体トレーニングができそうな介護施設を探す方向になりそうだと簡潔に伝えた。
 「あら、いいじゃない。でも、そんな所に行くかしら。お父さん次第ね」
 私の危惧の念を妹もすぐに察知した。父は足に加え、腰の具合も良くない。会うたびに「痛い、痛い」と言う。若い頃から運動習慣がなく、痛いから動くのを控える。控えると調子がさらに悪くなるという悪循環が続く。足の膝の軟骨がすり減り、歩くたびに痛むようだ。ただ、何もしないと筋力は衰える一方だ。放っておくと本当に歩けない体になる。
 ただ、私の忠告を素直に聞いてくれる父ではなかった。妹も重々承知しているのだろう。

8回連載した「親子で話そう 高齢者のための早めの備え」の切り抜き

 12月に入り、仕事が一層忙しくなってきた。
 「親子で話そう 高齢者のための早めの備え」と題した計8回の連載が決まったこともあり、私は高齢者の心の持ちよう、くせみたいなものをもっと知らなければいけない、と思った。

札幌医科大学の研究棟

 札幌医科大学脳神経内科の下濱(しもはま)俊教授の研究室を訪ねた。下濱教授は、認知症の研究を続け、道内各地で講演活動も続けている。年老いて病気になった時、家族の対処法などにも詳しく適任だと思った。
※下濱教授は2021年3月に定年退職した。現在は札幌医科大学名誉教授で、東京の医療法人社団慈誠会認知症センター長兼慈誠会練馬高野台病院特任院長。
■落ちる記憶、予測して判断
 下濱教授は老いる過程を分かりやすく解説してくれた。以下は一般的な男性の場合だ。
 「おおよそ75歳も過ぎれば、大抵の人は組織から離れ、家で過ごす日が多くなります。どうしても体力、気力の低下は否めません。体の調子も徐々に悪くなり、将来への漠然とした不安が広がります。妻がいれば大方男性の方が先に逝くので、自分の亡き後のことを考えることも多い。一方、記憶力は落ちるが過去の経験を踏まえ、将来を予測して判断し、対処しているんです」

認知症の講演会で話す下濱俊教授

意外なことに、一昔前の世代とは考え方が随分と変わってきているらしい。
 「お金、介護も含め子ども世代に面倒を見てもらおうと考える高齢者は、私の周りにいませんね。自分でしっかりとお金をため、体が動けなくなったら老人ホームのような施設に入る。そんな準備を着々としていますよ。一方、子どもが精神的な支えであるかどうかはとても重要ですね」
 その一言で自然と私の親の状況と重なった。父も母も自分が勧める介護保険サービスの利用に気乗りしていないことを聞いてみた。
 「確かに子供が急に出てきて、いろいろと親に言えば、けんかになるときがありますね。日頃からのコミュニケーションが大事になるんです」
■消えない 怒りや悲しみ
 下濱教授によると、親は子供に対し、苦労して大学に通わせたなどという思いもあるものだという。
 「息子、娘が強く出たりすると『何を言っているんだっ』となるんです。それに今の高齢男性は自分で仕事を成し遂げたという自信を持っていますから。高齢者扱いをすると、こじれるんです。それまでの親子間の関係性もあります。年を重ねても、怒りや悲しみ、不安などの感情はしっかりと残っています」
 親と良好な関係性を築くためには当然、時間が掛かる。「親を思う気持ち、態度が普段から出ていれば、親も『子供の言うこともそうだな』と理解し、対話につながります。親の性格も十分に理解した上で、ストレスを軽減させるような接し方も必要ですね」。
 下濱教授に「痛い所をつかれた」と思った。自分は介護の知識も多少あり、正しいことをしていると思ったが、言い方や態度に何かにじみ出てくるものなのだろう。決して上から目線で押し付けるような言い方をしているつもりはなかったが、父が不快に思ったのは間違いなかった。
■珍しくないサービス拒否
 デイサービスの利用を拒んだ母の対応も決して極端なものではなかった。
 下濱教授は「認知症の方で介護保険サービスの利用を嫌がる例は結構多いですね。施設に一度行って慣れる人ももちろんいますが、相当な時間が掛かる方もいます。無理強いしてストレスを与えるのもダメなので、対処は本当に難しいですね」との回答だった。
 下濱教授が指摘した「相当な時間」。当時は、大して気にも留めなかったが、まさに現実のものとなった。
 


 毎月1回、月末に配信しています。次回は、母が意外な言動や行動を取り始め、戸惑う家族の姿を報告します。併せて記事へのご意見、ご感想を募集しています。名前と連絡先を書いてkurashi@hokkaido-np.co.jpへお寄せください。
 


 升田一憲(ますだ・かずのり) 1966年9月、小樽市生まれ。大学卒業後、3年勤めた銀行を辞め、1994年に北海道新聞社に入社。帯広、室蘭、東京などでの勤務を経て2020年3月から、本社くらし報道部。シニアのセカンドライフや高齢期の課題、お墓や葬儀などのテーマを中心に取材している。

 

2024年2月24日 10:00(2月24日 19:34更新)北海道新聞どうしん電子版より転載