アフガニスタンなどでの人道支援に取り組んだ福岡市出身の中村哲医師が、2019年12月、武装集団の凶弾に倒れて4年が過ぎた。同国でこの春、中村さんのアイデアを生かした新方式の取水堰(ぜき)が完成する。渇水に苦しむ住民を救おうと始まった灌漑(かんがい)事業は、中村さんが現地代表を務めた同市の民間活動団体(NGO)「ペシャワール会」によって次のステージへ踏み出す。(梅野健吾)
中村医師の写真のそばで灌漑事業について話すペシャワール会の村上会長(昨年11月、福岡市中央区のペシャワール会事務局で)
中村医師の写真のそばで灌漑事業について話すペシャワール会の村上会長(昨年11月、福岡市中央区のペシャワール会事務局で)
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■湧き水、川、雨水組み合わせる
 中村さんはアフガニスタンでの活動を担う現地NGO「ピース・ジャパン・メディカルサービス(PMS)」を指揮し、灌漑事業などを手がけてきた。これまでに整備された取水堰はアフガニスタン東部に計10か所。そこから水を供給する耕作地は2万3800ヘクタールに広がり、難民となっていた住民たちの帰還につながった。

住民が主体的に関われるよう、施工も維持管理も現地で入手できる資器材で行える工法が編み出された。日本とアフガニスタンの伝統工法を融合したこの「PMS方式灌漑事業」で、クナール川、カブール川など大河川から取水する堰を完成させた。

 中村さんの活動拠点だった東部ナンガルハル州の州都ジャララバードから南に約40キロのバラコット。ここで22年10月に始めた灌漑工事で、ペシャワール会とPMSは新しい手法に挑戦している。

 山脈の麓の谷あいにあるバラコットでは川の流量が小さく、十分な灌漑用水の確保が難しい。そこで新しい手法では、ため池を設けて、▽湧き水▽洪水時の川▽台地から谷あいに流れ込む雨水――の主に3通りの取水を組み合わせて水を得ることを目指す。

 中村さんのアイデアを基にした設計で施工を進め、3月の完成を見込む。この「バラコット方式」の効果を実証できれば、広く干ばつに悩むアフガニスタンで水を確保できるエリアが大幅に広がると期待される。

 「シスター、仕事の後にもう1時間だけ働いていいか? 労賃はいらない」

 昨年7月、バラコットの現場を視察したPMS支援室長の藤田千代子さん(65)は、現地のPMSメンバーたちから尋ねられた。

 無給でも働こうとする理由を尋ねる藤田さんに、メンバーは答えた。「ドクターナカムラは『PMSの仕事の後、1時間は国のため、誰かのために働きなさい』と言っていたんだ」

 バラコットでは「定時の後の1時間労働」が定着したという。「中村さんと仕事をした誰もが、今も彼を身近に感じている」と話す。

■資金と人材不足が課題

 バラコット方式への期待は大きいが、普及には課題もある。資金と人材の不足だ。ペシャワール会の村上優会長(74)は「我々だけでアフガニスタン全土に事業を広げるのは不可能」と話す。

 ただ、希望はある。昨年8月、国際協力機構(JICA)が資金を出し、国連食糧農業機関(FAO)がアフガニスタンで灌漑事業を行う、との契約が結ばれ、その実施にPMS方式が採用されたのだった。

 場所はジャララバードから北東約40キロのクナール川流域のヌールガル。PMSは、FAOに工法を指導する形で事業に携わる見通しだ。具体的な工法の指導を巡って課題は多く、関係者が協議を進めている。ペシャワール会は「他の組織がPMS方式の普及のために学ぶことに意義がある」としている。

 「みんなの良心を束ねて事業ができるのは気持ちのいいもんだ」――。村上会長は中村さんの言葉を思い返し、こう話した。「連綿と思いが続いていくことが、奇跡のように感じられる」

 中村さんの死から4年。志を同じくする人々はその悲劇を乗り越え、力強く歩みを続けている。

 ◆中村哲医師=1984年にパキスタン・ペシャワルの病院に赴任し、ハンセン病患者の診療に尽力。2000年以降は、アフガニスタンで井戸や農業用水路などの整備に取り組んだ。19年12月4日、同国ジャララバードを車で移動中、武装集団に殺害された。73歳だった。

読売新聞 によるストーリー • 1 時間

中村哲医師特別サイト「一隅を照らす」-西日本新聞 (nishinippon.co.jp)