能登半島地震の被災地で宿泊施設として活躍するキャンピングカー(日本RV協会提供)

 

甚大な被害を及ぼした能登半島地震の被災地にキャンピングカーが続々と集結している。キャンプなどのレジャー向けとみられがちだが、車内には防災に必要不可欠な要素が備わっている。(くらし報道部デジタル委員 升田一憲)
 被害の大きい珠洲市役所には、北海道を含む全国から200人超の自治体職員らが応援に駆け付けている。周囲に宿泊施設はなく、職員らは当初、市役所の廊下や空きスペースなどに寝袋を敷き、横になっていた。暖房完備のキャンピングカーで体を休めるようになったのは、熊本地震を経験したある職員の機転からだった。
 今年1月1日。石川県で起きた地震の模様を伝えるテレビ映像を見て、熊本市危機管理室主幹の大塚和典さん(60)は「現地で応援しないといけない」と思った。

家屋が倒壊した熊本県益城町の街並み=2016年4月16日

 

2016年の熊本地震では、震度7の激しい揺れが2度も観測され、その後も余震が頻発して甚大な被害が出た。大塚さんは当時、食料や物資を被災者に届ける物資供給を担当した。防災の重要性を再認識し、災害時に対処する人材の民間資格「危機管理士」1級、防災士などの資格も取得した。

熊本市役所で執務中の大塚和典さん(本人提供)

大塚さんは熊本市幹部と掛け合い、3日後には被害の大きかった珠洲市に能登半島地震の応援部隊4人を送ることが決まった。大塚さんが陣頭指揮を取ることになった。現地では最大10人の職員が支援に当たった。
 熊本市からの応援部隊は当初、被害のほとんどなかった金沢市内の宿泊施設に泊まり、車で珠洲市と往復する計画だった。想定した移動時間は片道2時間だったが、現地は想像以上に深刻だった。「道路があちこちで寸断され、迂回(うかい)路を通らなければいけませんでした。初日の行きだけで7時間半もかかりました」
■乗用車は寒く、眠れず
 往復の移動は無理だと諦め、大塚さんはホテルをキャンセルした。熊本の応援部隊の一行はその日、乗用車の中で車中泊をした。セダンタイプのため、シートを下げても寝床を平らにはできない。デコボコして車内は寒く、初日はほとんど眠れなかった。こんな状態だと疲れが取れず、日中の作業も能率が上がらない、と大塚さんは思った。

熊本地震で苦い教訓がある。
 前震、本震以外には震度6以上の地震を5回も観測するなど熊本市内では強い余震に見舞われた。熊本市内在住の5千人を対象に市が震災直後に避難先を尋ねたアンケートがある。「指定避難所以外で車中避難」が最も多い26・4%で、次が指定避難所(21・3%)だった。「指定避難所で車中避難」(12・8%)を入れると、車中泊は39・2%に及んだ。駐車場に止められた当時の記録写真を見ると乗用車が多く、就寝スペースが確保されたキャンピングカーは見当たらない。
■怖かった「エコノミークラス症候群」
 熊本地震では、家屋の倒壊で圧死など直接の死者数50人に対し、4倍以上の218人が地震後に亡くなっていた。必ずしも車中泊が原因ではないが、避難生活を送る中で、心身に支障を来したり、持病が悪化したりしたことなどが想定される。
この後、大塚さんとキャンピングカーとの意外な結び付き、車内に備わったさまざまな機能などを紹介します

 足を下げた状態で長時間、同じ姿勢や水分不足になると患う恐れがあるのが「エコノミークラス症候群」だ。足に血の塊である血栓ができ、それが肺で詰まると激しい胸の痛みや息苦しさが続く。正確な人数は把握できていないが、亡くなった人も相当数に上るとみられていた。
 大塚さんもエコノミークラス症候群の怖さを知っていた。その時、キャンピングカーの販売業者らでつくる日本RV協会(東京)の会長、荒木賢治さん(63)の顔がふと浮かんだ。キャンピングカーがあれば宿泊施設になる、と思った。荒木さんは福岡県でキャンピングカーの製造、販売メーカー「ナッツ」を経営している。大塚さんは10年以上前に荒木さんの店でキャンピングカーを購入したことがあった。

荒木さんも災害時こそキャンピングカーが心強い力になると確認していた。荒木さんは、石川県から一番近い京都府の販売店からキャンピングカーの手配を約束してくれた。

さらに日本RV協会が、使われていないキャンピングカーの提供を加盟する140社に呼び掛けると、1月11日までに珠洲市に19台が集まった。三重県伊勢市から輪島市に応援に駆け付けている職員も珠洲市の取り組みを聞き、同じような支援要請を行い、20台の設置が決まった。

珠洲市に集結したキャンピングカー(大塚和典さん提供)

持ち込まれたキャンピングカーの多くは、キャブコンバージョンと呼ばれ、運転席の上にも就寝スペースがあり、3~4人が足を伸ばして休むことができる。エンジンを掛けなくても使えるFFヒーターが内蔵され、空調整備も充実している。
■煮炊きのできるキッチン、トイレも
 大塚さんは「乗用車の座席に寝るのと、キャンピングカーでは寝心地が全然違う。ゆっくり休めるので、作業効率もよくなった」と話す。荒木さんも「会員企業の協力のおかげ。被災地の支援につながり、実にうれしい」と語る。

キャンピングカー内のトイレ

キャンピングカーにはそもそも、防災時に役立つ装置が備わっている。車種にもよるが、シンクやガスコンロのほか、トイレやシャワーもある。避難場所となる体育館などではペット同伴が難しく、離れたくないという理由で自宅にとどまる人もいるが、キャンピングカーなら一緒に過ごせる。プライバシーを確保できることも大きい。

日本RV協会が2022年7~10月に行ったインターネット調査では、非常時でも電源を確保でき、生活空間を確保できるキャンピングカーが役立つと考えるユーザーが多かった。
 官庁も災害時のキャンピングカーの優位性に着目。日本RV協会は、国土交通省や経済産業省、農林水産省などからの申し込みが続く。荒木さんは「今の被災地の状況を見ると宿泊所としてキャンピングカーを使うなら、まだまだ数が足りません。今後は会員ではない一般のユーザー、レンタカー業者にも呼び掛け、キャンピングカーを集め、被災地に送りたいと思う」と話している。

 別の方法でキャンピングカーを被災地に送り届けている人がいる。石川県穴水町で車中泊スポット兼シェアハウス施設を営む中川生馬さん(45)だ。

バックパッカーとして旅行をしていた頃の中川生馬さん(以下の写真はいずれも中川さん提供)

■旅好きが講じて「バンライフ」へ
 キャンピングカーに魅せられたのは、30代で会社を辞めて日本各地を巡った旅にあった。車なら移動も寝泊まりもできると、車中心で過ごす「バンライフ」を始めた。

移住先を探していた2013年、風光明媚(めいび)な石川県穴水町を気に入り、移住した。築50年ほどの古民家を購入。車を5台ほど駐車でき、長期滞在のできる車中泊とシェアハウスの施設「田舎バックパッカーハウス」を2019年12月に開業した。
 地震の当日、中川さんは神奈川県鎌倉市の実家に帰省中だった。移住先の穴水町の様子が気になり、いてもたってもいられない。はやる気持ちを抑え、ホームセンターで、レトルト食品やカップ麺、水などの食料、工具類を買い込んだ。金額は15万円にも上った。

中川さんの愛車ハイエースに積まれた大量の食料など

中川さんは全国で車中泊のできるスポットやキャンピングカー専門のカーシェア、レンタルを仲介するインターネット運営会社「Carstay(カーステイ)」(神奈川県)の広報業務も担っている。登録している企業の関係者と連絡を取り合い、ポータブルバッテリーの貸与を呼び掛けた。現地では電気が復旧していないため、できるだけ多く集める必要があると思った。ポータブルバッテリーは8台、衛星インターネット「スターリンク」1台が集まった

あちこちで寸断されていた道路

 

1月4日深夜に鎌倉を出発。能登半島に入ると路面は途端に悪くなった。地割れで寸断され、迂回を何度も余儀なくされた。現地に到着すると避難場所の学校や保育園などに物資を届けた。石川県穴水町の中川さんの施設「田舎バックパッカーハウス」に着いたのは午後5時ごろだった。

タンスも横倒しとなった室内。中川さんの施設「田舎バックパッカーハウス」

外壁は崩れ落ち、玄関ドアは倒れ、窓ガラスが割れていた。合併浄化槽は隆起。中に入ると、タンスにふすま、パソコンモニターなど大型の家具は軒並み倒れていた。柱の一部は斜めになり、家の基礎は若干ずれていた。
 一方、そこから2キロほど離れ、自宅も兼ねた2棟目の施設「田舎バックパッカーハウス Station2」は幸い、天井の一部が崩れ落ちる程度だった。ただ、余震が心配だったため、愛車のハイエースの車内で眠ることにした。
■連日、何度も余震で目覚める
 翌日からは施設の後片付けに追われたが、キャンピングカーで横になり、布団で眠ることができた。
 その間、中川さんの務める「Carstay」には、キャンピングカーの空き具合を尋ねたり、貸与を求めたりする人が相次いだ。
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被災地に集まったキャンピングカー

「Carstay」は新型コロナウイルスの感染が流行した2020年4月、医療機関の簡易的な診療や治療に当たる従事者向けの休憩スペースなどとして、使われていないキャンピングカーを貸し出す「バンシェルター」という事業を始めていた。能登半島地震では、神奈川の本社からスタッフが入れ替わり応援に入るなどして対応に当たり、特定非営利活動法人や停電の復旧作業を行う電力会社、仮設住宅の建設に関わる作業員の休憩、宿泊場所として計19台を貸し出した。

珠洲市内の珠洲ホースパークの駐車場に置かれたキャンピングカー

 特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン(広島)には5台が送られた。国内外の災害被災地や紛争地などで人道支援を行う国際NGOで、2019年に立ち上げた災害緊急支援のプロジェクトチーム「空飛ぶ捜索医療団〝ARROWS〟(アローズ)」は東日本大震災や熊本地震などでも支援活動している。
 今回は医師を含むスタッフが珠洲市に派遣され、最大時で40人に及んだ。巡回診療に捜索・救助、避難所での支援、物資搬送など幅広い業務に連日当たる。キャンピングカーは隊員らの宿泊施設として活用されている。
■暖房完備、プライバシーも確保
 産業医科大学病院(北九州市)呼吸器内科の医師、村田祐一さん(32)はキャンピングカー内の寝泊まりについて「暖房も付いて暖かく、快適です。睡眠不足になれば日中のリズムも崩れるため、寝床を確保できるのは実にありがたい」と話す。車体が大きい分、風の影響を受けやすく、横揺れがあるものの、「起きることはありますが、まったく問題ないレベルです」。

珠洲市内の珠洲ホースパークの駐車場に置かれたキャンピングカー

ARROWSのチームの一員で避難所の支援に当たる国連職員の安田あゆみさん(36)は「カーテンで仕切られ、一人になれる空間があるのは大事。周囲の目が気になる生活だとストレスになるがここならリラックスできる」と話す。

■連日、キャンピングカーの問い合あわせ

 中川さんの下には連日、企業や団体などからの問い合わせが届く。

 中川さんはこう話す。

 「ボランティアの受け入れが本格化すれば、宿泊施設の確保は待ったなしの問題だと思います。さらなる余震で家の中は不安という人にも対応できるはずです。さらに声掛けを進め、使えるキャンピングカーがあれば、現地に持っていきたい。キャンピングカーの新たな用途、『可動産』の可能性も同時に感じられればうれしい」

 

 

2024年2月10日 10:00(2月11日 23:51更新)北海道新聞どうしん電子版より転載