互いに障害があり、結婚や出産を周囲に反対されて悩み、葛藤する夫婦は多い。石狩市の夫婦は自らの意思で子供をつくらないと決め、道南の夫婦は施設の支援を受けて子供を育てた。あすなろ福祉会の不妊処置問題が発覚してから1年余り。障害者の結婚や出産への支援は施設任せのまま。道は年度内に支援策をまとめる方針だが、どこまで充実できるか見通せない。

 石狩市内の一戸建て。上原真治さん(61)が抱く愛犬「ハリー」を、妻の祐子さん(52)がなでた。「まるでわが子のよう」と目を細める真治さんには、軽度の知的障害があり、祐子さんは軽度のダウン症がある。

 真治さんは釧路市の児童養護施設などで育ち、その後、石狩に移った。1994年、知的障害者の権利を考える活動を通じて東京に住んでいた祐子さんに出会い、98年に遠距離恋愛の交際を始めた。祐子さんの父は「遠くに娘を行かせたくない」と、結婚に強く反対したが、真治さんと祐子さんの決意は固かった。

 2人を支えたのは、社会福祉法人「はるにれの里」(石狩)理事長の木村昭一さん(77)だ。真治さんと10代のころから交流があり、当時は障害者施設の職員。木村さんは祐子さんの父親を訪ね、「今後の2人の人生を全力で支えます」と説得した。父親は子供をつくらないことを条件に結婚を認めたという。

 2人は出産の負担について話し合い、悩んだ末に子供はつくらないことにした。真治さんは「周囲の声は関係なく、夫婦のことは、自分たちで決断してきた」。けんかをしたことがないほど仲が良い2人は「今は幸せ」と口をそろえる。

 施設から支援を受け、子供を育てた知的障害のある夫婦もいる。

 渡島管内に住む50代の夫婦は21年前、同じグループホームに入居し、子供ができたことがきっかけで結婚した。妊娠が分かった時、施設からも親からも「産んで育てられるのか」などと何度も確認された。

 女性(57)は「最初は不安だった」と振り返る。それでも産み育てたいという夫婦の強い意思を受け、施設が支援に乗り出した。出産後、夫婦は子どもと暮らすため、グループホームを出てアパート暮らしを始めた。施設を運営する法人に、相談に乗ってもらったり、子供の遊び相手になってもらったりするなどの支援を受けた。女性は「ありがたかったが、当時は大変だった。もっと支援の選択肢があれば」と話す。

 道は年度内に障害者の結婚や出産の支援策をまとめる。ただ、9日の道障がい者施策推進審議会では、障害者本人の意思決定が適切に行われるよう、道側が施設の個別支援計画を点検することや職員に対する研修の充実を提起したが、目新しい具体的な打ち出しには至らなかった。「予算措置を伴う支援策は難しい」(関係者)というのが道の本音という。

 グループホームの入居者は、障害者総合支援法に基づき、原則18歳以上の障害者に限られ、出産後の子供の入居は想定されていない。道外では、ホームでの子育ての事例があるが、厚生労働省の法整備に向けた動きは進んでいない。

 東京家政大の田中恵美子教授(障害学)は「障害者も親になることを、当たり前に社会が認識するべきだ。保健師が丁寧に分かりやすく情報を提供するなど、施設だけでなく行政も親が子育てを相談できる場を整備していく必要がある」と指摘している。(今関茉莉、高野渡)

愛犬「ハリー」と暮らす上原さん夫婦。子供はつくらなかったが、2人は「幸せな家庭を築くことができている」

2024年2月9日 21:36(2月9日 22:33更新)北海道新聞どうしん電子版より転載