道南の当事者らでつくる函館中途失聴者・難聴者協会(正会員21人、賛助会員23人)は、北海道中途難失聴者協会道南支部として1995年に発足し、2005年に現在の名称になった。耳が聞こえない、聞こえにくい人が集まって交流したり、サポート環境の整備を求めたりする活動を行っている。「難聴」は外から見えない障害のため、周囲に気づかれにくいという苦しみもある。望ましい社会のあり方について会長の吉田次寿さん(61)に聞いた。

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よしだ・ひでとし 森町出身。東京の専門学校卒業後、都内の会社に勤め、1990年に帰郷した。2021年4月に会長に就任し、現在2期目。

 ――会の趣旨は。
 「一つは相互親睦を通じた『障害受容の支援』です。人生の途中で難聴になった場合、障害を受け入れることができず、人生が嫌になってしまったり、周囲とコミュニケーションを取らなくなったりしてしまうことがあります。会では月に1回の例会を開き、レクリエーションや学習会のほか、現状や悩みを語り合う交流の場としています。聞こえなくても問題無く参加できるよう、文字通訳の『要約筆記』や文字起こしのアプリで音声情報を共有します。補聴器などに音声をクリアに届ける『ヒアリングループ』という機器の利用など、聞こえをサポートする情報についても共有しています。また自治体などに、障害による生活の困難や課題、支援方法を伝え、協力を依頼しています」
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――力を入れる活動は。
 「聴覚障害者の社会参加のため、周囲と同じ情報を得られる環境を整備することです。情報支援の一つとして要約筆記があります。会の発足と同時に手書き要約筆記サークル『あさがお』が活動を開始し、1999年にはパソコン要約筆記サークル『つばさ』もできました。こちらの準備委員会には私も参加しました。会議は毎日、夜中まで続くこともあって大変でしたが良い思い出です。また、会員難聴者や中途失聴者の多くは手話が分からないので、音声・会話が聞きにくくなると、社会から得られる情報が一気に減ります。聞こえない人には手話通訳というイメージが多いように思いますが、文字情報を必要とする方は多くいます。もっと文字で情報が得られる社会になればありがたいし、求めていきたいです」

――吉田さんはいつから難聴なのですか。
 「私は先天性難聴で、学校では1番前の席に座っていました。小学校の途中から補聴器を使うようになり、聞こえを補っていました。30代前半で突発性難聴を患い、一気に聞こえにくくなりました。音声だけだと周囲の会話の半分は分かりませんが、普段の生活では口の形や表情、聞こえる部分をつなげて会話を理解しています。特に困るのはJRや飛行機の機内でアナウンスが聞こえず情報が得られないことですが、最近は筆談に応じてくれるなど、配慮も広がっていると感じます」
 ――望ましい社会のあり方は。
 「健常者も障害者も同じ人間として生き、社会参加できればいいと思います。難聴者は1人でいる時よりも、周囲とコミュニケーションが必要となった時に困難を感じます。周りの人が会話している姿は見えても、自分だけは聞こえない。そういった場面で疎外感があります。『聞こえていないこと』を自覚させられ、つらい、さびしい気持ちになるのです。その場にいる人が一部筆談をする、口元を見せてわかりやすく話すなど、会話時に少しの配慮をしてくれるだけで、生活しやすくなる。ノーマライゼーションの社会に近づきます。今年4月からは障害者差別解消法に基づき、障害者に対する『合理的配慮』が民間事業者にも義務付けられます。障害に応じた適切なサポートがあれば、誰もが社会の一員として活躍できると思います」

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吉田次寿会長がインタビューの際に使っていたヒアリングループ

 

 ――会の今後の課題は。
 「函館市には障害者手帳所持の聴覚障害者は約1千人います。ただ、障害者手帳を持っていなくても会話が聞こえにくいと感じている人はたくさんいるでしょう。もっと多くの難聴者、中途失聴者に会のことを知ってもらい、賛同してもらえるよう周知し、共に楽しく生活していけるよう、福祉の向上を目指していきたいです。補聴器や援助システムなどさまざまな支援手段・補助があることも社会にPRしていきたいです」
 ――行政に期待することは。
 「函館市では障害者の情報取得や、意思疎通の手段を確保する『手話言語条例・障害者コミュニケーション条例』の制定に向けた検討が始まっていると聞いています。合理的配慮と合わせ、今後の周知啓発をお願いしたいです」(聞き手・鹿内朗代)

2024年1月21日 17:20(1月22日 11:03更新)北海道新聞どうしん電子版より転載