「ある程度落ち着くまで一緒に回るから。困ったことがあったら、俺がいるし」。昨年12月25日、生活困窮者支援に取り組むNPO法人自立支援事業所ベトサダ(札幌市東区)の代表理事、菅原勇也さん(39)が、運転しながら後部座席の男性(70)に話しかけた。

ベトサダを利用する男性と不動産会社を訪れて話をする菅原勇也さん(左)

 

男性は窃盗罪で1年半の刑期を終え、10日前に出所したばかり。財産は所持金24万円のみ。菅原さんは、低所得や高齢の人が賃貸住宅に入居できるよう支援する、道指定の居住支援法人でもある不動産会社に、男性を連れて行った。
 ベトサダは熱心なカトリック信者だった故・真鍋千賀子さんが1997年、札幌の公園にいたホームレスたちに豚汁やおにぎりを作って配ったのが始まりだ。2009年、NPO法人を設立。聖書に出てくる泉の名前にちなみ、古いアパートを「ベトサダ荘」と名付け、路上生活者を無料で泊めて食事を提供し、働き口を探す手伝いを始めた。
 現在は、ホームレスの相談支援を行う一般社団法人札幌一時生活支援協議会JOINの構成4団体の一つとして、40~50代の男性を中心に、月平均で7人程度を受け入れている。
 ここ10年ほどの傾向として、派遣労働者の貧困が目立つ。寮付きの工場で働いていたが契約満了で仕事と住居を同時に失い、新たな仕事が見つからない。あるいは失職し収入が絶たれたことで家賃が払えず、賃貸住宅を強制退去させられる―など。菅原さんは「話を聞くと本人の責任ばかりではないと分かる」と話す。
 厚生労働省の国民生活基礎調査(21年)によると、所得が平均の半分以下の世帯の割合を示す「相対的貧困率」は15・4%。背景には非正規雇用の拡大があると指摘される。80年代に1割台だった非正規雇用の割合は、現在30%台後半。正規雇用との年収の差は200万円以上もある。

 

菅原さん自身も貧困を経験した。札幌で母子家庭に育ち、小1の時には母から「おまえのことは嫌いだ」と言われた。食事を用意されず、学校に必要なものも買ってもらえなかった。中学生になり近所の工場で働き始め、小遣いを稼いだ。
 高校を卒業して家を出た。アルバイトしていたガソリンスタンドで、22歳で正社員になった。がむしゃらに働いたが、27歳の時、親のように目をかけてくれていた上司が突然退職し、歯車が狂った。生活が荒れ精神的に不安定になり、職場でモノに当たった。
 29歳の真冬、死のうとして車検切れの車の中で眠くなるのを待った。3、4日何も食べていなかった。家賃は滞納し、住まいを失った。もうろうとしながら「帰るところはなく心配してくれる人もいない。失うものは何もない」と思った。

「貧困は人ごとじゃない。誰もがいつどうなるかわからない」と話す菅原勇也さん

 

目が覚めると病院にいて、点滴を受けていた。誰かが警察に保護を求めたようだ。退院後、警察に勧められベトサダへ。当時の代表の真鍋さんに誘われて施設の運営を手伝ううちに、活力を取り戻していった。21年に代表理事に就任した。
 この冬に入り、うれしかったことがある。元利用者の40代男性から「仕事は順調。余裕が出てきたから、ウインタースポーツを始めようかな」との電話をもらったのだ。
 男性は派遣労働の仕事が切れ、半年間家賃を滞納。強制退去となり数週間ネットカフェで寝泊まりした後、昨年8月にベトサダに来た。菅原さんは、男性の借金約300万円の債務整理のため、各地に相談窓口を設け無料の法律相談などを行う日本司法支援センター(法テラス)を紹介し、家計管理の方法を伝え、今後困った時に頼れる役所や民間団体の情報を渡した。
 一度困窮すると、住まいに仕事、人とのつながりを得て社会に復帰するのは、自力では非常に難しい。菅原さんは「困っているならできる限り助ける。だから自分の生活を取り戻してほしい」と、いつも利用者に伝えている。(有田麻子)

2024年1月9日 05:00(1月9日 13:23更新)北海道新聞どうしん電子版より転載