クラシック音楽のコンサートでおもしろいことがあった。私は井上道義さんという指揮者のファンで、ときどきコンサートに行く。サービス精神旺盛の井上さんは、演奏が終わったあとにステージ上から今後の予定のお知らせを始めた。
 「3月はえーと、ほら、あのピアノがうまいやつ。誰だっけ」
 すかさずオーケストラのバイオリニストが小さな声で「オゾネ」と答えると、井上さんはすぐに続けた。
 「そうそう、小曽根真。その彼と(コンサートを)やるんだよ」
 もし私だったら、これから一緒にコンサートをやるピアニストの名前を忘れて誰かに教えてもらったら、「ごめんなさい、たいへんな失礼をしました」などとあわててしまうかもしれない。それが、77歳の井上さんはまったく何ごともなかったように振る舞ったものだから、客席はあたたかな笑いに包まれた。
 ある程度の年齢になれば、「固有名詞が出てこない」とか「用事があったのに忘れてしまった」などということは当たり前に起きる。そのとき「まあ、そんなこともあるさ」と受け入れられるタイプと、「どうしよう。私もついにもの忘れをするようになったか」と落ち込むタイプとがいる。後者の方がストレスがずっと大きく、それがまた次のど忘れを生むこともある。
 世界的な指揮者の井上さんですら、共演者の名前を思い出せないことがある。それでも悪びれない姿を見て私もホッとしたし、客席のほかの人たちも「なんだ、みんな同じなんだ。あまり気にする必要はないんだ」と思えたはずだ。
 世の中にも毎日の生活にも、心配なことや気がかりなことはいっぱいだ。でも、気にしなくてよいことは明るくやりすごして、自分を励ましながら暮らしていきたい。(かやま・りか 精神科医)

2024年1月7日 05:00北海道新聞どうしん電子版より転載