農耕接触2022春
長ネギとブロッコリ、赤しそが
確実に成長している。
今年の薔薇は大きく咲いたが
急に寒くなったので
早く枯れてしまった。苦笑
やはり寒暖差は植物にとって
キツイ時があり
特に鉢植えの小さなものは
枯れてしまいそうな時があり
逆に大きい木は何回も季節が
巡っていると勘違いしているようで
成長が早くなっているようだ。
近隣の木々が沢山あるお宅でも
あまりにも木々が大きくなり
高所作業車を呼んで剪定していた。
徒歩で通院や買い物に行く時
新しい一戸建てを見ると
ほとんど土が見えない
コンクリートでデザインされた
住宅ばかりで地球にとっての
健全性を考えた場合ヤバイ状態だ。
ほとんど厚塗りの化粧品を
塗られたかの如くに。。
これをヤバイ状態だと思えない方々が
ほとんどだと思うのだが
合理性の無駄がなく能率的な
考えをする人間の
成れの果てというか。。
スッキリとした街並みを
構成するために自然破壊が進んでいる。
年寄りは高層マンションに
住むべきではなく少なくとも2階建て
出来れば平屋に移り住んだ方が身のためだ。
高い所は若者に任せよう。
人は都市部ではなく
時代が確実に変わったので
田舎へ移住して人との距離感を
ある程度持って生活した方が健全だ。
またビルを使うなら
ビル内の農耕接触・水耕接触だ。
ネズミがそうだったように
人もあまり密接していると
ストレスが溜まってしまう。
音楽だって大きい音で
鳴らしたいじゃないか!♬
Universe 25
■N■
防草シートを貼ってから5年ほど
経過しただろうか?
そろそろ滅茶苦茶に破れ始め
貼り換えが必要だ。苦笑
何度も張りなおすのは手間が掛かるし
あまり時間が掛かると
肝心な音楽活動に支障が出る。
しかしながらこれも
自然を理解共感するための学びと捉える。
今後は破れると介護問題もあり
張れない可能性も出て来るので
身体は元気目な、おふくろの事も
考えて10年間はもつように
ベニヤ板で対応してみることにした。
ベニヤは木なので暫く様子を
観ないと変形してくる。
庭を見渡すとプロビデンスでか
生命力が上がって来ているのが判る。
5月16日はもしかしたら
悪い日?なのかと思っていたら
フラワームーンとやらで
思った以上に良い感じに展開している。
ピーマンとパプリカを生で
食べられるようになったのが
自分でも驚きの変化。笑
しかし相変わらず勃発は日々継続中。
体調はそこそこイイ感じで
少し立ち眩みがすることぐらいだろうか。。
しかし四物湯で立ち眩みは改善しつつある。
■N■
最近、目に触れたので即買いした本がある。
10年前頃から読書にふけっているが
苫米地氏の本は10冊以上持っている。
最初はミルトン・エリクソンがきっかけで
あらゆるジャンルで辿り着いてしまうので
驚きの才能だと思った。
自分の尊敬する方々は
それぞれ記していることが
間違っているのではなく
それぞれ違う意見を言っているので
遠目で考察している自分。
哲学的に尊敬している方は
何人かいるので一応は意見として
聞いておき後で自分の考えをまとめるか
それとも却下するかを考える。
まぁ大抵は誰でも
自分の思想行動の正当化に忙しいのだ。
それはある意味で大衆に
聴かせる場合は洗脳と同じで
なかなか洗脳されない場合は
抵抗を感じながらの戦脳に他ならないと思う。
だから仏教では五感を無力化して
戦闘にならないように抑制している。
健全な生き方とはどういうものか
模索しながら生き
早急な答えは慎んだ方がいい。
早急な答えを出してしまう場合
優れた他の思考を味わったことがなく
感情的にコメント等してしまう可能性が高い。
昔の日本は哲学的にとても優れているにも
関わらず戦争に負け哲学を
忘れさせられてしまっているのがとても残念だ。
おそらくイーロンマスク氏が言った
ワビサビとは西田幾多郎氏の京都学派
禅・浄土真宗系の考え方や仏教的な
カラフルではなく目立たないけれど
抑制された様や日々精進な日常感の美意識を
言っていたのではないかと。。
職人が多かったあの頃の日本。
自分も青年期に哲学に触れずに
生きて来たものだから他者に惑わされて
骨抜きにされてしまった。
その場合はあとで自分の未熟さに
気付き罪深くなる。
思考も浅いと時代のファッションの
ようなものに成り下がる。
考え抜かれたファッションには
普遍性があり時代が変わっても
手にしたくなる美が存在する。
特に日本の仏教である
浄土真宗の場合はキリスト的な
教えがあり凡夫と罪人は同系な捉え方になる。
だからキリストの赦し同様
浄土真宗は仏教の中では緩い。
人には赦せない弱さがあり
赦す強さが無ければ
個人がいき過ぎれば
国同士で戦争になってしまう。
動的であれば差異は
確実に広がっていき
静的であれば1つに融合されていく。
静的な場合は五感の無力化か
または今この瞬間を感じる事
だけに集中し言葉や思考を
遠ざけることにある。
自分はただ真実を知り体験したいだけで
教えに対して盲目的にはなりたくない。
差異響統合対象主義