昨日は格闘と放棄について書いた。
今日は部屋の穢れを取った後
禊
そして
足洗穢れ落とし。
油断するとすぐに
禊場に穢れが発生する。
これは生命であり自然。
人として健康であるためには
やむなくこの穢れを
排除しなければならい。
今まで自分は何か納得いくものが無く
格闘してきたが
やっと自分が探し求めて来たものに
辿り着きつつある。
厳密に言うと
辿り着いたというより
元から持っていた思想に
近い存在がいたことが大きい。
一体化や共感というよりは
後押し感。
霊的に言えば力強い守護霊の
存在を感じる。
反感を持たれることや
無視されることもあり
また説明され
ただ傾聴していた自分がいたが。
そのままで、または
あるがままで良いのでは
ないだろうか?という。
虫好きだったからか無視
されたか?苦笑
それはそれで
大いなる勘違いをしたり
されたりしていたのかも知れない。
無視反感を持たれたことも
ここに辿り着くための
ストーリーだったのだと
解釈できる。
これからも傾聴はしながら
探求していく。
生きている間は留まることがない。
元から
社会適応共感されていた方々は
そこで満足し成長は
止まっているとも考えられる。
よって
これから晩年型として
さらに一歩一歩歩みたい。笑
親父の採血の結果が出た。
入院はしなくて良いようだ。笑
数値も低くはないものの
上がってもいない。
ただ栄養が問題だ。苦笑
これは自分の管理不足とも言えるので
考えなければならないが
ここ2、3日で
生かし生かされることに
意味があるのか?という問いに
ぶち当たる。
縁は1つの趣味のような
ものに感じて来た。
頑張って結果を得る得ない。
結果は一時の喜びでしかなく
趣味的な。
それも1つの執着的か。
生は絶えず何らかの
動きを求めている。
それは感動かも知れない。
静と動を感じ続けること。
今夜もバクティヨーガ。
そして
ハタヨーガ。
俺たち差異響☆