進撃の巨人のアニメのファイナルが今週末放送ってことで、これを最初に投稿した時はシリーズものだと勘違いしてたが、そうじゃないらしい・・・。

というのが分かったのが先週末、ファイナル前編(再)とあったので、録画しなかったのだが、ちらっと見たら・・・、「

あまり憶えてない!」

(;´▽`A``

 

ということで、芝機のHDDレコ内を探すと、進撃の巨人のフォルダに・・・無い・・・。

多分、フォルダに入れてないだけで、保存はされてるはずだと過去を遡ると・・・あった・・・。

 

そして、見た。改めて。

 

やはり進撃の巨人の後半は怒涛の展開なので、おさらいをしておいて良かった。そして・・・、保存されてて良かった・・・。

(´▽`) ほっ

 

 

で、その中で、心に響く台詞があった。特にパレスチナ問題が酷くなってるこの時期ということもあって。

 

下にあるリンクより抜粋

 

「この責任は 我々全ての大人たちにある!
憎しみを利用し憎しみを育み続け、憎しみに救いがあると信じ、我々が至らぬ問題の全てを悪魔の島へ吐き捨ててきた。
その結果 あの怪物が生まれ、我々が与え続けた憎悪を返しに来た。 」

と。

 

 

進撃の巨人は最初は隔離された壁に囲まれた世界に住む人々、人種が外の世界から敵対視されている。

 

外の世界と内の世界で、ともに、相手は化け物扱い・・・。

でも、いざ触れ合ってみると・・・、私達と同じじゃないか・・・って疑問が湧き上がる。

 

壁に囲まれた世界に住む人々は外の世界から隔離されその壁が破壊されることになると、お互い、どちらかを駆逐、根絶やし、根絶しない限り、憎しみの連鎖は止めることが出来ないという1つの考えに行き着く。

 

勿論、他の対処法として、壁の中に隔離、隔絶という手段を取ってきたり、ネタバレになるが、ジークのような子供を産めないようにして、やがて絶滅・・・という手段が解決として実行されようとされる。

 

そんな中先程の台詞。これは外の世界の主人公達を壁の内に閉じ込めてた人間の司令官みたいな人の台詞だ。

 

「この責任は 我々全ての大人たちにある!
憎しみを利用し憎しみを育み続け、憎しみに救いがあると信じ、我々が至らぬ問題の全てを悪魔の島へ吐き捨ててきた。
その結果 あの怪物が生まれ、我々が与え続けた憎悪を返しに来た。 」

と。

 

そして、もし生き残ることがあれば 二度と同じ過ちはおかさないみたいなことを誓う。

 

憎しみ・・・。

 

ちょっとスケールを凄くちゃっちゃくするけど、私はかねてより書いてるようにせっかち気味?いやせっかちなので、二人並んで歩いてる人とかとすれ違ったり、追い抜いたりする時にすれ違いづらい時に内心ちょっとイラッとするのだが、すれ違おうとする時に相手の年配のおばさんが「どうぞ」とか「すみませんねー」とか言って譲ってくれたりすると、「あ、こちらこそなんかすみません・・・」となる。

 

そして、我を張って道を譲らなかったりして我道を行く感じより、譲る方が強い、尊い・・・というのが、より良い考え方なんだろうなぁとか思ったりする。

 

私はここにブログ書く前に他のブログでこういう時に思い出すのが、アーミッシュの事件だ。

もう、あまり憶えて無くて今、オドオドハラハラが始まったから検索もしないが、確かアメリカで起こった銃乱射事件、コロンバイン高校かなんかで遺族となったアーミッシュの人が、犯人を恨まないと言ったのだ。

 

憎しみ・根絶・寛容

について考える種は、フィクションや想像でもあるものだ・・・。