9月の秋分の日は
亡き父の誕生日でした
九州の施設に入っていた父が
昨年末に亡くなってから
私自身の体調不良もあって
父のことをあまり考えませんでした
もう九州まで行く元気がなくて
新盆も妹に一任しました
でも秋分の日は久しぶりに
父のことを思い出していました
昨年の誕生日に
父にメッセージを郵便で送ったら
父から電話がかかってきました
ところが耳が遠くなったのか
声が出にくくなったのか
ほとんど会話になりません
父に送ったメッセージについて
話したい気持ちもあったけれど
もう語り合うこともできない
父の死が近づいている現実を前に
私は少し怯えてたじろいでいた
のかもしれません
もう会話もできないのか・・・
父が電話を切る前に
絞り出すように言った
「とにかくありがとう」
という言葉を思い出しました
そこには色々な想いが
込められていたのでしょう
私への最後の言葉として
「ありがとう」を残してくれた父に
感謝の気持ちが湧いてきて
私からも亡き父に向って
「ありがとう」と
何度も伝えていました
けっして良好とは言えない
親子関係でした
お互い相手のことを
自分勝手だと思っていたから(笑)
父から「○○してやったのに」
と言われるたびに
私は「○○してくれなかったくせに」
って反発していたのでした
似た者同士だったね
今ならそう思えます
私が人生最大のピンチの時に
父は「俺に迷惑をかけるな」
と言って助けてくれなかったし
「だったらあなたも私に迷惑かけないでね」
って私も頑なな態度を取り続けました
まさしく写し鏡だったのでしょう
だけど何かあると兄や妹ではなく
なぜか私に頼ろうとしてくるのです
自分の気持ちを一番理解してくれるのは
似た者同士の私しかいない
と思っていたのでしょう(苦笑)
お互い甘えることが苦手だったよね
でも施設に入った最後の数年間は
近くに住む従姉弟たちに甘えて過ごし
本当に幸せだったと思います
そして父が甘えてくれたことが嬉しい
と従姉が言ってくれました
従姉のように子ども時代にちゃんと
親に甘えることができた人は
優しい大人になるのでしょう
子ども時代にちゃんと甘える
ことができずに育ってしまうと
自分勝手な大人になってしまう
のかもしれません
きっと父も親に甘えることができずに
頑張って生きてきたのでしょう
この世の中には
優しい人も自分勝手な人も
両方いていいのでしょう
両方の人がいるからこそ
人生ドラマが生まれるのでしょう
だから父も私も
そのままでOK
お互いの生き様を
否定するのはやめよう
そう思えました
ずっとケチをつけてきた父の生き様に
丸ごとOKを出したら
写し鏡の自分に対しても
丸ごとOKを出せたみたいです
ふっと浮かんできた
笑顔の父に向って伝えました
お父さん
ほんとうにありがとう