阪急系列の事業所なので、阪急電発行のパスを使って通勤していた。当時は阪急以外の電鉄会社にも乗車できたので、休みの時にはそれを利用し、伊勢電と近鉄(注を乗り継いで伊勢に帰っていた。

 伊勢に行けば、野菜などをたくさん持ち帰らせてくれた。兄嫁(夫の姉)が年子で出産をしたので、孫の顔を見に来る義父母ともよく顔を合わせた。

 その折に「昼間留守にすことが多いため、隣組から、焼夷弾が落ちたらどうするのかと言われる」という話を小耳にはさんだ義父が、68歳の隠居の身で自由がきくから、留守番に二軒家に行くと言い出したので、申し出を受けた。

 家は義父が買ってくれたものだったので、思い入れがあったのかもしれない。義父は肌身離さず、腹巻の中に実印と家の権利を忍ばせていた。

 昼間、時間があると釣りに行き、おかずを確保してくれるので、ありがたかった。



(注 大阪から伊勢への鉄道は吸収合併を繰り返しており、昭和18年には参宮急行電鉄を合併した関西急行鉄道で行くことができた。伊勢電気鉄道は昭和11年に参宮急行電鉄に合併されている。

(近畿日本鉄道100年のあゆみ 平成22年発行による)