今まで「見てはいけない」と教えられ
見ないようにしていたことが、
少しずつ見えるようになってきた。
というのは、
「自分の考えや価値観を信じみてよう」と思えるようになったから。
今までは、自分の中に物事の判断基準を持っていなかった。
持っていると、とても苦しいし、混乱したし、怒られたり、恥ずかしい思いをしたり、母親を苦しめることになっていたからだ。
だから、
目の前で起きていること、
自分がされたこと、
自分が置かれている状況を
はっきりさせずぼやかしてきた。
感情もマヒさせて、
自分の意思も持たないで、
まわりが辛くないように、
自分が間違ったことをして責められないように、
それを判断基準として、生きてきた。
感情をマヒさせて、相手の正解を出し続ける生き方
これは意思ではない。
能動的なものではない。
誰かの人生のために、私がいた、だけ。
でも今は、自分の人生を生きられる。
そして、
意思も芽生えてきた。
自分の意思で行動するために、
自分の価値観、考え方による判断基準が必要だ。
そしてそれを信じられたから、目の前のことを自分の物差しではかり、
それに基づいて行動する。
それが自分らしい生き方。
自分の人生を生きることなんや。
なんか、
理屈っぽくなったけど、
自分自身を信じられるようになったことと、
目の前のことを見れる強さ、落ち着きを取り戻せたこと、
それが最近の成長だなと、
自分ええかんじやぞ、
頑張ってる、
えらい、
好きやで。