私にとっての「会話」 | ソラの『幸せをいつも心に』

ソラの『幸せをいつも心に』

なりたい自分を目指し、日々の記録や気持ちの整理・吐き出しをしています。
メンタルクリニック、心理療法は1月11日に卒業し、そこで得たことを活かして、頑張って生きています。

人と会話をする時、相手が楽しむのを、笑うのを、どう感じるかを決めつけたり、コントロールしようと必死になってしまう。

そして、自分の思い通りの反応がくると、そう!それが正解!みたいな反応をしてしまう。



会話をしていて、私は違和感があるだろうなと思う。



自分の気持ちをしまって、

今こういうのが正しいんだろうな、
相手はこう返されるのを望んでいるんだろうな、
じゃあそう言おう。
相手が望んでいるような態度で。



つまり、
「私はあなたの期待通りの反応をしてあげてるのよ!」
「期待通りに反応する私は偉いでしょ!嬉しいでしょ!」
と、
相手から高評価を得るため、私は必死にそうしているのだ。



これは、
小学生の頃、おばとの関係で、

また中学生の頃、クラスのヤンキーのような女の子に目をつけられないために

身に付けたものだ。



そこに私の心はないし、
相手を理解しようという気持ちもない。


私が会話をする目的は、
自分が、相手の期待にそう優れたお人形かどうか、
その高評価をもらうために、
私は必死になって会話をしている。


そして、
会話が辛くて嫌いで、会話なんてしたくないと思う。




こんな調子だから、
周りと上手くいかない。



相手にも、正しい反応を期待してしまう。
それにそっていたら異常に嬉しくなり、
そっていなかったら落ち込む。
私が間違ってたんやな、って自分を責め出す。



気持ちが深すぎるし、重たすぎるねん。



期待したり、
正しいとか間違ってるとか、そんなんないのに。



もっと自由であっていいのに。
自分の考え、感情を信じて、それを出したり、
相手の考えや感情を、他人のものとして、
「他人の自由」として、理解できたらいいのに。


くそぉ。



何を言うべきか、
何が正しいか、


それを禁止したら、まじで口下手でモゴモゴしてて、全っ然喋られへん!
会話にならへん!


これも練習なんやろうな。