マスコミが高市政権に関して偏向報道と見紛うような報道をしていることはつとに伝えられ、一部では「マスゴミ」と呼ばれている。そんな中で1月20にはその中でも特に槍玉に挙げられるTBSとその系列局で、ネット界を賑わせる「事件」が起こった。

 

その一つは朝のTBSの情報番組で、司会の安住紳一郎アナがあまりにもストレートな感想を述べたことであった。同アナは「高市内閣の支持率は約80%に達しています。多くの有権者はそのままの政権を望んでいるのではないか」と述べた。

 

また安住アナは中道改革連合の新政党立ち上げには、「若者の支持を得られず先細りの政党(立憲と公明)が一緒になった」と述べた。これがTBSという放送局が今まで言い続けた「方針」と明らかに違うトーンだったからである。

 

これらは特別な意見というよりは、事実に基づいた数字とそれから当然帰結する結果を述べたに過ぎないものである。しかし高市政権は極端な右寄り政権で、その行く末は不安で、中道改革連合は安定的で穏健な考え方の伸びてほしい政党という考えに反していた。

 

一方TBSの系列局MBSでは評論家に取材したという建付けで、安全保障に関する各党の政策を報じた。中道、国民民主、共産は「優しくて穏やかな日本を作りたい」。自民、維新、参政は「強くて怖い日本を作りたい」と言うのがその時の内容である。

 

評論家という他人の言葉とはいえ、局が発したからにはその局の考えであり、評論家がそうではなかったと言い訳してもそれは通らない。放送局の真の勤めは事実を事実のまま伝え、判断は視聴者に委ねるべきものだが、自らの主張を敢えて伝えるところに過ちはある。

 

また安住アナは率直に事実を伝えたために、局との軋轢で退社するのではとネット界隈では心配されている。このような歪んだことが起こるから最近は放送そのものの存在価値が言われ、視聴者離れが伝えられるのである。

 

我らも一次情報に触れられる場合はできるだけそれによって事実を確認し、偏った情報には惑わされぬように務めるべきである。既存メディアは盛んにネットメディアの捏造を喧伝し、信じるに足りないことを強調するが、何既存メディアこそ信じるには値しない。

 

今は様々な確かめようがあり、我らも一つ所だけを信じては騙されることになる。

1月23日の高市総理の予告通りの解散を受けて、与野党各党は実質的に選挙戦へと突入した。野党第1党の立憲民主党は旧与党の一角だった公明党と新党を結成し、選挙戦に臨むことになったが、その初陣は呆れるほどの体たらくであった。

 

まず今回の新党結成は衆議院議員だけのもので、参議院そして地方議員は含まないという誠に奇妙なものであった。衆議院は中道改革連合という政党名で活動するが、参議院や地方議員は昔の名のまま立憲民主党・公明党という別々の名前で活動すると言う。

 

これだけでも今回の新党は衆議院の選挙目当てだということが極めて露骨に分かるが、内容は更に酷いものであった。立憲民主党は自らが基調としていた主張をことごとく捨て、公明党の主張を丸呑みした。

 

したがって安保法制には違憲部分はない、原発の稼働は賛成し原発ゼロと言わない、沖縄の普天間移設は推進すると言った具合である。当然だが、立憲民主党の中には、中道改革連合には入るが、中に行ってから原発ゼロに変えていくと言った議員まで出てきた。

 

また沖縄の「オール沖縄」という立憲支持母体はこの変節に猛抗議し、安住幹事長はあやふやな回答に回帰する始末であった。しかも参議院議員は従来の主張のままだとすれば、参議院の立憲・公明の議員は中道改革の主張とどう整合性を取るのだろうか。

 

そして挙句の果てに公明党の内部文書までが暴露され、比例区では「中道」と書けと言いながら、小選挙区では原則「中道」だが人物本位で投票と言っている。それは旧公明党候補者は比例名簿の一位など高位に書いてもらえるから、ほぼ当選は間違いなしだからだと言う。

 

旧立憲議員にとっては「創価学会票」等巨大な組織票が自らを支えてくれると思っているからだろうがそう簡単だろうか。朝日新聞という中道よりの新聞がした世論調査ではかつて9%の立憲、5%の公明が合わさったら、合計でも9%の支持しか無いと言う。

 

つまり併せた新党は旧2つの政党の単純合計よりも支持を減らしており、有権者はこの欺瞞を見抜いているのである。今後この衆参のスタンスの違いは他の党の格好の攻撃材料となり、候補者はその対応に困惑することは間違いないと思われる。

 

所詮その場限りの票目当ての野合であることが明白となり、またその主張がはっきりしないものであることは、有権者の誰の目にも明らかになり、投票結果に跳ね返る。

1月19日に高市総理は週末の1月23日に国会開会冒頭で衆議院を解散し、27日に公示そして2月8日に投開票を行うことを表明した。高市総理はそこで何故この時期に解散するのか、そして政権を託されたら何を行うかを事細かに且つ力強く説明した。

 

まず高市総理は自分が総理になってまた連立パートナーが変わってから、一度も選挙による洗礼を受けていないことを述べた。よって自らが政権を担当することを国民が認めるか否かを問いたいと言い、もし信任が得られなければ内閣総理大臣の任を退くと言った。

 

前総理の石破氏が与党過半数が勝敗ラインと言いながら、選挙の結果その過半数を割ったにもかかわらず、居座ったことと対比される。少数与党は各委員会特に予算委員会を野党に渡し、審議の進め方の舵取りをされていることは大いに不都合だったろう。

 

また積極経済を標榜したのは高市総理になってからでこの点への信任も得たいと言ったが、これも現予算案が旧政権下の産物であることからである。また放漫財政との批判を意識してか、プライマリーバランスを黒字化させた予算であることも強調した。

 

また物価高への対応として、ガソリン減税等への成果を述べたが併せて時限的とはいえ食品等への消費減税を打ち出した。これは中道改革連合も言ったことだが、この結果消費減税の実現性が高まったことは疑いないことである。

 

今回の高市総理の演説に対する批判で、「自分に対する信任」を求めたことを取り上げたものがあるが、少数与党を解消したいのは当然である。また消費減税が時限的な点も批判されるが、給付付き税額控除などとの関連もありまずはその第一歩と考えたい。

 

高市総理が今回打ち出した公約はその殆どがかつての総裁選で主張したことであるが、これを国民に直接訴えたことになる。外交政策など自民党には未だ親中派と呼ばれる議員は多く、自民党を勝たせればそういう議員も残ることになり内心忸怩たる思いは残る。

 

しかし今回は自民党総裁として、憲法改正やスパイ防止など極めて明確に打ち出しての選挙であり自民党員であればそれには反対できない。また外国人受け入れ制限や再生可能エネルギー政策にもはっきりしないという批判もあるが、これも見守る時期であろう。

 

立憲と公明との思想なき野合による何を意味するかわからない中道路線より、高市総理の主張は明解で分かりやすい。願わくば圧倒的多数で信任してもらいたい。

イタリアの首相ジョルジャ・メローニ氏が自らの誕生日であった1月15日に訪日し、高市総理との首脳会談に臨んだ。G7の一角を担う欧州として初の首脳が来日し、混迷する国際情勢の中様々な意見交換の後「特別な戦略的パートナー」なることを宣言した。

 

イタリアとの関係ではイギリスを含む三カ国で、次期戦闘機の開発をすでに行っているが、それ以外でもお互いが連携することを約した。例えばエネルギーやレアアースなのでの相互融通や国際強調、科学技術などでの協調などである。

 

メローニ首相とは昨年の南アフリカのG20での場で、初対面にもかかわらず熱いハグを交わし、シンパシーを感じさせた。今回はその相互の友好関係を深めるとともに、具体的な政策レベルでの連携や協調を約したことで、実務的な結びつきも強めた。

 

メローニ首相は欧州で早くから保守的な政治姿勢を打ち出し、外国移民の流入にも強い警戒感を示し、独仏などとは対立した。欧州では「極右」「排外主義者」と言われ所謂グローバリストからは強く反発を受けていたが、2022年10月首相に就任した。

 

高市総理は苦学して大学を卒業し、米国で民主党のパトリシア・シュローダー下院議員の事務所で働き、一時はテレビのキャスターも務めた。無所属で立候補しその後自民党に入党したが、渡辺喜美氏とともに自由党に移り、新進党を経て自民党に入党した。

 

森派等に属したが、派閥を離れ活動するようになり、安倍晋三氏の薫陶を受け、保守論客となっていった。一方で政策ヲタクと呼ばれるように、議員同士の付き合いよりも政策の探求に務め、自民党の中でも法案を作れる数少ない政策痛となった。

 

高市総理もメローニ首相もお互いに国家の繁栄と国民を守り安定的な国家を作ることを目指す保守的政治家として大成した政治家である。今回のメローニ訪日で極めて特徴的なことは、ネットではかまびすしいほどに取り上げられたが、マスコミは極端に冷淡だった。

 

メローニ首相の日本アニメ好きや、娘を連れての来日等取り上げるネタは数多くあったが、そのような報道はまったくなく極め付きの冷淡さだった。欧州でもそうだったようだが、所謂グローバリストにとっては、評価してはいけない対象だったのであろう。

 

しかしメローニ氏はすでに足掛けで4年目に入る安定した首相であり、高市総理も78%を超える支持を受ける人である。アタやおろそかには出来ないのではないか。

高市政権が通常国会冒頭の解散総選挙は与野党に激震をもたらし、特に支持率が下がっている野党にとりわけ大きな衝撃を与えた。立民も公明も今のままでは大きく票を減らし、立民は野党第一党を維持することが非常に難しくなり、公明は議席を確保できるか覚束ない。

 

そこで当初は選挙協力と言った話が進んだが、それでも勝てないとなって、いっそ一つの党となってということらしい。公明はそれでもかつては与党の一角であり、政権を担い立民とは鋭く対決して、立民は与党としての公明を批判してきた。

 

また立民は「立憲共産」と言われたように、共産党との連携をし選挙協力を行ってきた。それが今度は「中道改革」を標語とし、党名すらそう言って、選挙民を引きつけようとしているようだが、その節操の無さに呆れるしか無い。

 

もともと立民は与党の政権運営を批判はするが、自分がどうしたいかは言えない経綸はなく、野党第一党として不信任も出せなかった。そして野党統一候補を出して政権奪取をと言って国民民主党の玉木氏を持ち上げて引き込もうとして失敗した。

 

また公明党は言わずと知れた「親中」政党であり、与党内でもその対中姿勢を引きずってきており、高市政権とは袂を分かった。高市総理はある意味では軛を外され、ある意味では自由に外交政策を行うことが出来て渡りに船の意味もあった。

 

マスコミは「中道」という点を強調し、新しい風を吹かせるのではないかと盛んに持ち上げるが、この両党の過去の言動は報じない。両党の内部でこれに表立って反対者が出ないことが不思議だが、支持者はこの突然の合流に容易に展開できるかは不透明だろう。

 

一方自民党でも公明の票が当てに出来ないことから、その票に頼った候補者が厳しくなることは考えられる。しかしかつて小野田大臣は公明が応援しないと言った際「別の党だから」と言って動ぜずしかも圧倒的な票差で当選したことがあったが、それに習うべきだろう。

 

いずれにしてもその時時で自らの所属を変え、挙げ句に協働する相手を変える不節操な者同士の合流は野合と言って差し支えない。自民党にも内部に親中議員は多く、高市政権の維持のためといえどそういう議員を抱え込むのはしんどいがそれでも負けられない。

 

立民と公明の場当たり的な新党結成と、それを煽るマスコミはあるが、高市政権は安定多数を得て勝利してほしいものである。

1月10日の読売新聞朝刊は一面トップで、今年の1月23日招集される通常国会で、高市総理が解散総選挙を行うことを検討していると報じた。通常国会は新年度の予算成立を大きな課題として開催されるから、多くのマスコミ関係者は冒頭解散はないと予想していた。

 

つまり年度内予算成立を目論めば、一番早くて2月8日投開票となる解散総選挙は難しいのではないかというのが論拠である。投開票からの日程では予算審議日程は取りづらく、予算の年度内成立が困難になるというのである。

 

日程的には確かにそうだが、仮に予算が成立しなければ暫定予算を組み、新年度に大型補正予算を組めば解決はできる。また今回の予算案は元々緊縮型の石破政権下で組み立てられたもので、高市政権の積極財政から見れば喜んで成立させたいものでもない。

 

何より今の高市政権では少数与党で、予算委員会も立憲民主党が握っており、その意味でもやりにくいことは間違いない。だからメローニ首相が来日し、外交的な成果が上がり、多分高市総理の支持も上がるであろう時を狙って、解散総選挙というのはやってみたいだろう。

 

もし仮に大きな支持を得て自民党が過半数を占めれば、参議院では少数だとしても国会運営は大きく楽になるだろう。何より石破色を払拭する効果も期待できるから、真に高市カラーを前面に出した国家運営がしやすくなるだろう。

 

読売新聞は昨年石破前総理の退陣時期などに関し、結果的に大誤報となるとくダネ配信をしているから、今回の報道にも一抹の不安はある。しかしだからこそ今回は相当の取材を行い覚悟を持って、報じたのだからそれなりの根拠はあるのだろう。

 

逆に高市総理を支持し、思い切って実行してもらいたい方は積極的に応援し、支持を少しでも多く集めたいものである。ただ与党復帰を匂わせている公明党などの誘いに乗ったりする議員や親中派のいかがわしい議員には自民党でも落選してほしい。

 

また今回選挙には消費税を含む減税も打ち出せれば、高市政権の支持は爆上がりするだろうから、一つの選択肢ではないか。いずれにしても高市氏が自らの信念を実現させたいならば、今回はその絶好の機会となるのではないか。

 

そのためにも今度の総選挙は何が何でも勝たなければならない選挙である。

この本は6篇の40ページ弱の短編からなっており、氏がよく舞台にする「神山(かみやま)藩」という仮の藩である。武士には階層があって、与えられた職務があり、それぞれの職務をどう過ごすかという物語になっている。

 

第一話「半夏生」は自分の父母と弟の墓に参る場面から始まり、普請方であった泥まみれの父と、それに対した弟を思い出す。弟は私塾でその父をからかわれたことを語りあんである主人公はそれを父に言わないように口止めする。

 

「半夏生」は父との会話を思い出し、やがて自分と夫を結びつけたきっかけになり、不慮の死を遂げた弟の跡継ぎを報告するものであった。第二話「江戸紫」は国元から急使として若侍が派遣され、江戸家老と会う。

 

江戸家老と今は国元に行っている側用人はともに切れ者だが、それぞれ相手を嫌っており対立している。江戸家老は急使の若者を江戸に留め置いて準備後書状を渡すが、その若者は凡庸と言われた国家老の跡取りで、身分を明かし大胆なことをする。

 

第三話「華の面」、佐太郎は笛方の次男坊だが、能を師匠について習っており、やがてはその師のあとを継ぐことになるかもしれない。江戸から本家の三男である正寧は新藩主としてお国入りするが、佐太郎と同年齢だと言われ、やがて能をともに練習する。

 

お国入りして2度目の参勤までに「翁」を舞うことになるが、藩重役の思惑が何で、若い藩主が何を感じているか。第四話「白い檻」、御弓頭野瀬三左衛門は藩内の政争に巻き込まれ、枢要な地位でなかったにも関わらず、辺境の地に幽閉された。

 

ある夜に三左衛門は凄まじい刺客に襲われ、弥平の助けで逃れるが、そのままでは再び襲われると考え、決着をつけようとする。襲われた住まいに行き、襲われた理由を突き止めるため再び死闘を繰り広げるが…。

 

第五話「柳しぐれ」は冒頭盗みに入った店で用心棒に切りつけられる場面から始まる。喜三次は怪我を負ったまま逃げ、塒近くで女とぶつかるが、その女は飲み屋をやっている盗人で、仲間に誘われその誘いに乗るが喜三次は実は密偵だった。

 

そして盗みの当日、喜三次は仲間を直前で逃がしてしまうが、それはなぜなのか。第六話「雫峠」は本の題名になる物語だが、矢木栄次郎は重病の足軽組屋敷の父を見舞った際、途中で知った女とすれ違ったがすぐには思い出せなかった。

 

栄次郎は剣の腕を見込まれて、150石の馬廻役の婿という破格の出世をしたが、自分の実家の後添いの母が、連れ子をして妹となった「ゆう」がいた。ゆうは美貌で300石の上司に見初められて嫁に行ったが、…。

                                                                                           

神山藩は砂原氏の作った架空の藩で、藤沢周平の海坂藩に似て、東北の雪深い藩であるらしい。そして大きな藩の分知に拠ってできた10万石の小藩でそこで織りなす様々な人の物語であった。

 

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今年1月三日(日本時間)に米国はベネズエラを攻撃し、ベネズエラ大統領マドゥロ氏を拘束し、米国国内に移送した。ベネズエラは石油の埋蔵量は多く、産油国ではあるが独裁政権下の極度のインフレで国民生活は必ずしも豊かとは言えない状況だとされている。

 

だとしても独立国であれば、独裁国家の非民主国であったとしても他国が軍事力で攻撃することは一般的には主権を犯したと非難される。ただ無論米国にとっても言い分はあり、第一は米国に対する麻薬輸出をしているのを止めなかったことだとされる。

 

第二には米国の企業が持っていた石油利権を、政権が中国と結び付き中国国営企業と結びつき米国企業を駆逐したことであるとされる。麻薬に関しては政権内部にそもそもその首謀者が参加していると言われ、麻薬ビジネスが国営だったと言って良い。

 

また石油利権にしても元は米国石油メジャーが開発し、運営していたものを反米政権がそれを取り上げ、中国がその権益に参画したとされる。中国はさらにそこに投資をし、安く石油を輸出させ利益を得たと言われている。

 

更にベネズエラ政府の権力者は名ばかりの選挙を行ったが、実際は国民多数の承認を得たとは言い難い実情がある。米国はそういう意味でマドゥロ大統領を正規の為政者としては承認していないと言っており、いわば非合法政府だとしている。

 

つまり米国はベネズエラを麻薬によって米国社会を混乱させるテロ勢力と認定し、一方で中国と共同して石油利権を奪ったものを奪還したと言う。いわば国家ぐるみで不法行為をしたといい、手段の是非の論議はあるが米国の言い分はある。

 

我が国の立場はこのような有無を言わせない攻撃は、中国の台湾進行を正当化しないかとかの懸念はあるものの、米国を単純に非難はできない。高市政権がこの米国の攻撃に具体的な論評をせず、ベネズエラが民主的国家として安定することを願っているとしたのは賢明だ。

 

またベネズエラの国民自体も800万もの国民が海外への避難しており、このアメリカの処置に歓声を上げている者もいると言う。確かに独裁者が国民の意志を正確に捉えないまま、自らの保身のために強権を発動される国民は溜まったものではない。

 

ただこの結果利権を失うことになった中国は黙っていないだろうし、この強権的な是正には国際世論が一致してトランプ大統領を支持はしないからしばらく注視が必要だろう。

年明けは三が日とも駅伝が観られ、今年も元旦は群馬路100Kmを走る実業団のの駅伝、2日3日は箱根駅伝である。群馬は私も3年あまり単身赴任で暮らした血で、駅伝コースにはかつての勤め先があるなど地縁もあって懐かしい。

 

実業団の駅伝は40チームあまりも走る規模の大きい駅伝だが、新興勢力が活躍し、GMOインターネットグループが総合優勝した。二位にもロジスティードが入り、三位にトヨタ自動車、四位はJR東日本と伝統企業だが、五位はサンベルクスと言った具合である。

 

また殆どの注目選手が箱根駅伝の出身者で、青山学院のOB等が目立ち、さながら大学駅伝のOBの大会の様相を示していた。箱根大学駅伝は昨年優勝の青山学院が出足で遅れたが、

以下確実に追い上げ、五区でトップと3分24秒差を逆転して三年連続の往路優勝を得た。

 

この前半では四区の一年生早稲田の鈴木選手が区間新の走りを見せ、四区で1分12秒差2位まで追い上げ、五区で一度は早稲田がトップに立った。青山学院は目覚ましかったのは五区の黒田だけだったが、他の区は着実にジリジリ追い上げる地力を見せる展開だった。

 

後半六区は青山の1年生が区間三位だが、堅実な走りで二位との差を広げ、七区は少し差を縮められたが、八区では区間新でまた引き離した。結局九区では区間賞を取り、十区を危なげなく逃げ切り三年連続を二度目とする優勝となった。

 

この「駅伝」という陸上競技は日本独特のもののようで、無論国際的な大会はないからこの競技では日本が唯一の国である。400mリレーとかは国際大会でもあるが、一区がハーフマラソンにもなるこのような長距離のリレー形式のような競技は日本だけなのである。

 

最近はチームのコンデション管理が良く、多分科学的になって見られないが、かつては途中で脱落する選手もいた。しかし汗の染み込んだタスキをつなぐというレースは極めて日本的な競技である。

 

競技者はほぼ例外なく、同じタスキを繋ぐ「仲間」のために走るのだと言い、過去の大学の伝統とともに、走り続ける動機は他者のためである。スポーツ競技の多くが個人の栄誉を目的とするが、駅伝は区間賞と言った個人栄誉もあるが圧倒的に団体の勝利を求める。

 

自分のためだけではなく、皆のためにと言うマインドそのものが日本人としての民族性かも知れないと感じるのである。

激動の令和7年が暮れ、新年が始まった。高市総理は就任後息付く間もなく働き、多くの成果を得たが、それはまだ政策が動き出したと言うだけで、具体的な果実としては結実していない。

 

17の重点分野への投資や、中堅所得層への基礎控除等の引き上げによる効果は今年から来年度を待たなければならない。そして何より石破前首相の置き土産の予算を嫌でも成立させて、国家財政を動かさなければならず、真の高市イズムが形になるのはそれ以降である。

 

まずは総選挙を行い、自前の政策を実行するための基礎固めをしなければならず、それでも参議院は少数だから連立は継続しなければならない。しかしそれを少しでも有利な形にするためには総選挙で圧倒的な勝利が必要だろう。

 

そのためには野党と戦うだけではなく、マスメディアとも対峙しなくてはならないが、総理は一層ダイレクトな発信をする必要がある。本来マスメディアは政治家の発する言葉をきちんと聞いて、それを歪めずに要点をまとめて伝えるべきものであった。

 

つまり事実を歪めずに事実を正確にしかも分かり安く伝える役割を担っていたのであるが、それを勘違いか意識的にバイアスを掛けて伝えるようになった。挙げ句には自分たちが主役であるかのように振る舞い、世間を誘導しようとさえした。

 

高市政権はその発足時期からその傲慢さを見抜き、自らSNSを通じて発信することを行ってきており、国民は一次情報として総理の意図を知る。それがどれほどマスメディアにとって、不都合で衝撃的なことかはその批判の仕方でわかる。

 

報道の自由の侵害とか知る自由の侵害とか喚くかも知れないが、自分たちの恣意的かつ歪めてきた報道を反省すらしていない。高市総裁が誕生してすぐ「支持率を落としてやる」と言った共同通信のカメラマンの声が何より報道の歪みを示している。

 

無論中国等と通じているとしか思えない野党や親中派議員の攻撃はこれからも続くだろうが、自らの信念を貫き通してほしい。今年は任期を残り少なくした習近平氏の最後のあがきの年となるかも知れないし、ウクライナもまだくすぶっている。

 

そんな中我らも情報の中身を自ら見極め、真の国益や我らのためになる政策は何かをしっかりと見極める力を求められている。