我が子の声。

ワタシは生まれつき聴覚に障害を持っている。
補聴器をつけて『音』を拾う。
でも、『音』を拾うことができても何の音なのか区別もできない。もちろん、『音』の音源がどこからなのかも区別が難しい。

なので『声』を拾うことができても『声』としてではなく『音』として拾ってしまう。
そして、 何を言ってるのかも口の形と照らし合わせないと分からない。

表情や口の形を見て、どんな感情で表して言ってるのかを区別する。

中学3年の長男、中学2年の長女、そして1歳になったばかりの次男の声はどんな声なのかも聞こえない。

でも、心の『声』は聞こえる。

それは生きている我が子の温もりや笑顔や様々な表情で『声』として感じとることができる。

だから聞こえなくても別の形で感じ取れることはすごく幸せ。

長男、長女は二人とも手話で話をしてくれる。手話を教えた訳ではなく、ワタシが使う手話を小さい頃から見て覚えたから照れ

小さい頃から通訳してくれたり、電話に出てくれたり、してくれたり。当たり前のように、ワタシの『耳』になってくれてた。小さい頃は一生懸命つたない手振りで手話を使って話してくれてた。何かを伝えたくて一生懸命になって話してくれていた。今では流暢に手話でコミュニケーションがとれている。

本当に感謝してる。

1歳になったばかりの次男も自然に手話を覚えて何かを一生懸命伝えてくるんだろうな。
楽しみだなーチュー

3人ともワタシにとって宝。

立派に育て上げなくちゃビックリマーク

さてと

晩ごはんの支度せねばキョロキョロ