「ある日の釣り」 | 風に吹かれて マイ・ヴォイス

風に吹かれて マイ・ヴォイス

なりゆきまかせに出会った話題とイメージで、「世の中コンナモンダ」の生態系をのんびり探検しています。これはそのときどきの、ささやかな標本箱。

 ここは、岩だらけの岬の海岸から、潮が引いたときだけ徒歩で渡れる岩場だ。海岸とは5~6メートル離れていて、あいだには谷底のようにえぐれた溝が走り、岩場の広さは10畳くらいで岩の高さは2~3メートルというところ。これから夕マヅメで、狙っているメジナの喰いがよくなる。きょうは晴れて気温も湿度も低い、オレの好きな天気だ。風はゆるい。釣日和といってもいい。

 細くて軽くて丈夫な竿を鳴らせて、10~20メートル先の早い流れに刺しエサのオキアミを送り込む。本来はやりたくないことだが、集魚のためのコマセとして買ってきたアミエビと小さいオキアミのブロックを解凍しながら、融けてバラけたやつを、よくしなる専用の柄杓にすくって潮の流れに撒いて乗せる。経験から、この一連の作業が何も気になるところもなくできれば、だいたいは釣果が出る。ジンクスかもしれないが。

 冬の時期、大きなメジナを狙うには、磯で採取した海苔をエサにする釣り人が多い。大きなメジナは、太るのをきらって高タンパクな動物性のエサを摂らないのだという説明を半信半疑に聞いたことがある。人間と同じで笑える。いずれにしてもオレは、若くてイキのいいメジナを狙うことにしている。

 夕日に光る海面を流れている小さめのオレンジ色のウキが、さっきから、ちょっと変った信号を送ってくる。あまり期待しないように、餌取りの小魚がエサをつついているのかと思おうとしたが、オレの経験は違うことをオレに伝えてくる。餌取りも、このくらいの大きさの針についたエサならどこかで呑み込みにかかることがほとんどだ。それを嫌って、いましがた、コマセを自分の仕掛けから3~4メートル離れたところに撒いたところだった。そこにはすぐに餌取りの小さいのが群れてきていた。

 はっきりしたアタリがないまま時間が過ぎた。ひょっとして、エサがすでに取られてなくなったか、利口なメジナで、オレの様子をみているか――。とびきり値の張った上等のオキアミだ。どうパクつくか、エサのまわりにいるメジナのヤツはそれを考えているのかもしれない。だいたいまともな魚なら、エサについた針やそれにつながった仕掛けに気がつかないわけはない。海の光の中ではテグスもよく見えるし、自分を魚のサイズにおきかえてみればすぐにわかることだ。釣られる魚は、何も考えていないヤツか、このくらいなら釣り上げられるような事態にはならないだろうと高をくくっている世間知らずだ。

 ひょっとしたら、遊び相手がほしいのかな。オレの気を引こうとしているのか。けっこう楽じゃない魚の人生に飽きて、オレに釣り上げてほしいのか?――いやいやこんなこと、アングラーが考えることじゃない。

 だいぶ日が水平線に近づいてきた。波も少し大きくなってきた。離れた岩場で釣っている人が、大物と格闘しているみたいだ。タモ網を右手に持ち替えて、右へ左へとバランスをとるように細かく移動している。こっちも早く勝負を決めたいところだ。カモメかウミネコかはっきりしないが、海鳥が2羽、近くを飛ぶ。あいつら上からどんなことを見てるんだ。いいや聞きたくない、勝負するオレが、自分で判断するさ。

 またウキがもぞもぞと動く。スーッと消し込まないウキの、不規則な動きのタイミングと振れの大きさが気になるのだ。きっと、エサを口にちょっとくわえては吐き出し、出してはまたくわえているのだ。ヤツもしっかり用心しているな。ヤツの身のこなしが目に浮かぶ。呑み込め、エサを呑み込むんだ。とっておきのエサだぞ!――おまえのこれからのためにも、1回はオレと勝負してみろ! 声を出さずにそう叫んだ。   

 まだ日が残っているが、海岸の岩場の上の林の、木々の明暗がはっきりしてきた。

 見ると、足もとに珍しくカニが這い歩いている。おい、どかないとオレに踏みつけられるぞ。本気で言っているんだ。おい!――こいつはまた、なにを考えているんだ? オレといま張り合っているメジナと同じか? 生き物なんて、みんな同じようなものだから。