父親は本当は普通(気難しい性格では(母親の様に“天然”という訳では)無い)のはバレバレでした。

だから‥もうどうにも話がまとまらない時、恐怖と怒りを覚えさせられている時、珍しく帰ってくれば。
「良かった、救われた。ちょっと、話まとめてくれよ」などと思う物なのでございましたが、しかし。

頭ごなしに、お帰りに対するただいまも言わずに、異様な雰囲気で入って来ては‥

「うん、お母さんの言う事でいいよ、正しいよ(話というのは支離滅裂であるにも関わらず)」
だの
「二階へ行って勉強してろ!!(男気の有るタイプなどでは決して有りません)」
等と訳の分からない態度のみ。


こいつら。

まともな方は‘裏切り者’
本当は稀に見る良い人は‘気違い’

どっちが死んで片側に付けば良いのか?どっちも一長一短だから‥結局どっち道駄目か‥
幼少の頃(引っ越させられて)から、そればかり有りましたね。
勿論、どっちもかけがいが無く、死によるメリットも有れば、絶大な悲しみを背負う事ぐらい、偏差値75以上無くても誰でも分かる事になりますが。



そういう有様になり、しかし一人っ子で近所に(まともに)話せる人間も居なくなり、核家族なので年寄りも居ず、全く話せず。
そしてあるゆる情報源もシャットアウトさせられていては、「おかしい、異常極まりない!!」などとは年中無休で思ってはいても、しかしそれでも、「‘おかしい’状況の中に置かれているのだ」というはっきりした認識は持つに至れなかったのでありました。


至ると至るで‥
そんな、小さい子供が悩み、自力で分析する様な対象ではない巨大な事。普段の日常で、それについて来る人間なんかは居るはずはありません。
しかし「逆に」、それ(想像を絶する)が故に、余りにも悩んだ顔ばかりしている、何も買ってもらえないからみすぼらしくなっている子供を「馬鹿にしたりからかったり見下したり」するという‘作用’というのは、残念ながら社会には存在するのではございます。

きっと‘平和’だったのでしょう、‘幸せ’とか‘安心/安定’と呼ばれる物が約束されて、世間全般の人々は生きていたという事だったのでありましょう。
それぞれの‘収入’に、‘性格’に合わせせながら。

人々の文句を言いたくは有りません。言っても意味は有りません。
現実の話になります。


(続⇒)